|
毎日新聞2024/5/15 東京朝刊有料記事1009文字
<sui-setsu>
日本で初めてチョコレートを売り出したのは東京の菓子店「風月堂」だとされる。1878(明治11)年の新聞広告が確認できる。
大正期には大手菓子メーカーがカカオ豆からの一貫生産に乗り出し、チョコは一気に大衆化した。
甘く、ほろ苦い風味と、口溶けに日本人はたちまち、とりこになった。夏目漱石の小説「こころ」には、主人公がチョコを塗ったカステラをほおばる場面が登場する。当時の普及ぶりが分かる。
Advertisement
そんな大人気商品が突然、市民の前から姿を消した。1940(昭和15)年のことだ。
背景にあったのは戦争だ。栄養価が豊富で、医薬品にも加工できるカカオはすべて軍が掌握し、民間のチョコ製造はストップした。
それでも市民はあきらめなかった。「カカオの代わりになる食材はないか」と戦時中、「代替チョコ」の研究・製造が続けられたとの記録が残っている。
小豆や芋に落花生、果てはチューリップの球根まで、ありとあらゆる植物を試したらしい。肝心の味は本物にはほど遠かったようだが、チョコに魅入られた人々のあくなき情熱が伝わってくる。
長年、カカオの研究を続けてきた明治によると、最近ではポリフェノールなど含有される成分も国内外で注目されている。
カカオ豆の皮からは保湿成分も見つかった。食品以外の分野でも「カカオパワー」が期待されているということだろう。
そんなカカオをめぐる心配なニュースがある。カカオの不作が深刻化し、「ビーン(豆)ショック」が世界を揺るがしている。
世界生産の6割超を占めるコートジボワールやガーナなど西アフリカの異常気象が原因だ。
生産地を熱波や豪雨が襲い、カカオを枯らす病気も拡大している。ロイター通信は「現地の収穫量は壊滅的だ」と伝えている。
カカオの国際先物価格は初めて1トン当たり1万ドルを超えた。1年前と比べ3倍以上もの急騰だ。
国内外の菓子メーカーも対応に追われ、チョコや関連商品の値上げを余儀なくされている。
戦時中の日本のように「代替チョコ」の開発も始まってはいるが、最新技術をもってしても、味はもちろん、カカオパワーの完全な再現は不可能だ。
この状況がいつまで続くかは読めない。カカオ農家の多くは零細だ。不作による収入減で肥料や農薬が買えなくなり、さらに収量が落ち込む悪循環に陥っている。
新興国に依存した供給体制に、止まらない異常気象。チョコから透ける現実は苦い。(専門記者)