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毎日新聞2024/5/25 東京朝刊有料記事1990文字
中国の無人月探査機「嫦娥6号」を搭載して打ち上げられた「長征5号遥8」ロケット=中国海南省の文昌宇宙発射場で5月3日、ロイター
1969年に人類史上初めて月面に着陸したアームストロング船長らが乗ったアポロ11号以来、米国が地球に持ち帰った「月の石」は総計約380キロに達する。1グラム2億4000万円といわれた石の一部は135カ国に贈られた。
日本が受け取った石は70年大阪万博で米国館に展示された石とは別で、今は国立科学博物館に展示されている。
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冷戦下、共産圏だった東欧諸国にも贈られ、ソ連とはルナ計画で無人宇宙船が持ち帰った「月の石」と交換した。しかし、国交のなかった中国は対象外。中国に1グラムの「月の石」が贈られたのは米中国交正常化直前の78年だった。
その後の米中蜜月の時代は宇宙分野でも協力が進んだ。80年代後半に米中の「宇宙貿易協定」などが締結され、89年の天安門事件による中断を経て、90年代前半には米国製の商用人工衛星が中国のロケットで打ち上げられた。
しかし、失敗が続いた上、米議会が中国への技術流出を疑い、協力は頓挫。99年から衛星の輸出規制が始まった。2011年には米議会の承認なしに米航空宇宙局(NASA)が中国と交流することを禁じる「ウルフ修正条項」が制定された。
中国は国際宇宙ステーション(ISS)からも排除されて独自に宇宙開発を進めることになった。米国には中国の宇宙技術が発展して優位性を脅かされることを防ぐ狙いがあったのだろう。
最先端の5G技術をリードしていた中国通信大手「華為技術(ファーウェイ)」を米市場から締め出し、技術移転を禁じたことにも似ている。宇宙が中国封じ込めの先駆けになったともいえる。
◇ ◇
今月3日、海南島の文昌宇宙発射場から月面無人探査機「嫦娥(じょうが)6号」が打ち上げられた。月の裏側から約2キロの試料(サンプル)を持ち帰る世界初のミッション。成功すれば、米国にもない「月の石」を手に入れることになる。
月の裏との通信を確保するため、七夕伝説で彦星が織姫に会うために渡るカササギの橋にちなんだ中継衛星「鵲橋(じゃっきょう)2号」を打ち上げた。5年前に月の裏に初着陸した「嫦娥4号」の経験の上に着実に技術を成熟させている。
中国は自前の宇宙ステーション「天宮」を完成させた。4月24日の「中国宇宙の日」に合わせ、25日に打ち上げられた有人宇宙船「神舟18号」は「天宮」とのドッキングに成功。月面探査プロジェクトの責任者は30年までに中国人初の月面着陸を成功させた上で35年までに月面に研究ステーションを完成させるという野心的な目標を掲げた。
米国は日本などと有人月面着陸やその後の月面基地建設を目指すアルテミス計画を進める。米中どちらが先にアポロ以来の宇宙飛行士を月に送り込むか。負けられない競争だ。米ワシントン・ポスト紙は中国の順調な進展が「NASAと議会に懸念を引き起こしている」と指摘した。
嫦娥6号はフランス、イタリア、スウェーデンの科学機器を搭載し、友好国のパキスタンの超小型衛星を発射して月周回軌道に載せた。この衛星が撮影した月の写真を公表した。30カ国以上が参加したアルテミス計画に大きく水をあけられているとはいえ、中国も宇宙での国際協力に各国を引きつけようとしている。
◇ ◇
宇宙での米中の対立構図に微妙な変化が起きたのは昨年末だ。20年に「嫦娥5号」が持ち帰った月の試料の研究申請に米国の科学者が参加することをNASAが認め、米議会も承認したのだ。
5号は6号のミッションに先立ち、月の表側に着陸し、中国としては初めて約1・7キロの試料を持ち帰った。米国よりはるかに少ないが、旧ソ連が3度のルナ計画で得た量の5倍だ。
NASAは「解禁」の理由を「まだ採取していない月の領域からの試料で月の地質学的歴史に関する貴重な新しい科学的洞察を提供することが期待される」と説明した。
NASAのネルソン長官は米議会の公聴会で「中国が米国より先に月探査に成功すれば、月を自国の領土と主張するかもしれない」と語った。歴代長官の中でも特に厳しい対中姿勢で知られる。
限定的とはいえ、ゴーサインを出したのはなぜか。未知の領域を中国が独占することへの警戒か。順調なら6月中に6号が持ち帰る月の裏の試料にアクセスする可能性を残したいのかもしれない。
4月下旬に武漢で行われた外国人研究者対象の最終選考会には日米英独仏とパキスタンから計10人の研究者が招かれ、半数の5人を米国人研究者が占めたという。
中国には協力を求めるなら「ウルフ修正条項」を撤廃すべきだという声も根強い。バイデン米政権が中国製電気自動車(EV)への関税を100%に引き上げるなど対中圧力を強める中、中国が米国人研究者に試料を渡すのか。今後の米中関係や月探査レースの将来を考える上でもその決定の行方が興味深い。(特別編集委員)(第4土曜日掲載)