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「もしかするとずっと違うままかも…」 同じ「5類」の季節性インフルエンザと比べ、年間死者数は10倍! 専門家が予想する新型コロナの未来青野由利・客員編集委員
2025年1月23日
5年前に新型コロナウイルスの最初の集団感染が起きたとされる市場の跡地。周囲は塀で囲われて封鎖されている=中国湖北省武漢市で2024年1月15日午後1時7分、河津啓介撮影
新型コロナウイルスの感染者が国内で初めて確認されてから1月15日で丸5年になった。クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」で集団感染が起きたのは2月、世界保健機関(WHO)が世界的流行(パンデミック)を表明したのは3月のことだ。
一時は各国がロックダウンを実施し、日本でも緊急事態が宣言されるなど、かつてない非常事態に世界が翻弄(ほんろう)された。
WHOは23年5月に「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態の宣言」を終了させたが、新型コロナウイルス感染症は今も流行を繰り返し、季節性インフルエンザを超える死者を出している。
新型コロナウイルス感染症とはどういう感染症だったのか。今後どう推移するのか。これを超えるパンデミックは近い将来にやってくるのか――。
政府の「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」や「分科会」のメンバーとして、第一線でこの感染症のリスク評価と危機管理に取り組んだ東北大学の押谷仁さんに聞いた。
日本の死亡者数は13万人以上
――新型コロナウイルス感染症の現状をどうみていますか?
◆季節性インフルエンザとは大きく違う状況で推移しているというのが現状だと思います。
2年前の22年12月14日に当時の加藤勝信厚生労働相に言われて、「新型コロナウイルス感染症を5類にするとはどういうことか」をまとめました。
その時に「季節性インフルエンザとは大きく違う」と書いたのですが、いまだに違うし、これからもたぶん違う。もしかするとずっと違うままかもしれません。
――どう違うのでしょうか。
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◆インフルエンザは主に冬に流行するという季節性がありますが、新型コロナウイルス感染症は季節性がほとんど見られず、年間を通して一定の流行があり、夏と冬に大きな流行になるという状況が続いています。
日本では今でも死亡統計上、多い時で月に3000人以上の人が新型コロナウイルス感染症で死亡しています。23年5月に季節性インフルエンザと同じ5類になってから1年間で亡くなった人は3万2000人以上になります。
23年8月までの累計死亡者数は13万2000人を超えます。
超過死亡(注:パンデミックがなかったと仮定した場合の死亡者数を、実際の死亡者数がどれだけ上回ったかを示す数値)はこれより多いとの分析もあります。
政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会後に記者会見し、国内の感染状況の分析を説明する押谷仁・東北大教授(左)と脇田隆字・国立感染症研究所長=東京都千代田区で2020年8月21日午後3時14分、原田啓之撮影
一方、季節性インフルエンザの死者数は死亡統計でみると年間3000人程度で、超過死亡でみると年間1万人程度です。
はるかに新型コロナウイルス感染症の死者数が多く、高齢者にとっては今も危険なウイルスです。
――改めて、新型コロナウイルス感染症(新型コロナ)はどういうものだったのでしょうか。
◆多くの専門家が想定していたより、はるかに伝播(でんぱ)性が高かった。最悪のインフルエンザといわれる1918年のスペインインフルエンザ(「スペイン風邪」)でも、ウイルスの伝播性は基本再生産数(注:ある感染症に免疫を持たない集団の中で、1人の感染者が2次感染を生み出す推定値)が1.8から2ぐらいです。
今回のウイルスは最初に武漢で見つかった株で2.5から3.5ぐらいだったと推定されています。基本再生産数が3.5というのは、呼吸器ウイルスでは我々が想定していなかったものなんです。
そんな化け物みたいなウイルスがでてきてしまったんです。
ほとんどの国がロックダウンするという、SF作家でさえ想像できなかったことが起きました。パンデミックが起きても国境を越える移動制限なんて絶対できないと多くの国が考えていたわけです。でも、実際にはほとんどの国がやった。そうでないと膨大な数の死者が出てしまうことが想定されていたからです。
そういうことが起きて、経済的にもものすごく大きなインパクトをもたらした。にもかかわらず、(公衆衛生の観点から)何も反省していないのが世界の実情だと思います。
多数の死者を「みないことにした」のが5類
――世間は新型コロナを忘れかけているように思えます。
◆「5類」の意味するものはなんだったのか。一つには、多数の死者を「見ないことにした」ということだと思います。
5類に移行した後もパンデミックは続き、多くの人が亡くなっていたのに、社会が「忘れよう」としたのではないでしょうか。
報道をみても、当初は「新型コロナによる死亡」は「社会正義に反するもの」だったのに、5類移行後は「経済が戻ってよかった」という報道一色になってしまいました。
歴史的にみても、パンデミックは地震や津波のような自然災害と違って、記憶に残りにくい。犠牲者の慰霊碑が建てられるのも極めてまれです。
人々が日常生活の大きな制限に耐えられる期間は限られていて、その結果、パンデミックのような感染症のリスクに対して人々は鈍感になっていく、という指摘もあります。パンデミック対策を考える上での課題でしょう。
――大学で講義する時に最初に出すスライドがあるそうですね?
◆まず「891」と「983」を出して、「これはなんの数でしょう」と問います。
横浜港の大黒ふ頭に停泊するクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」に横付けされたバス。防護服姿の人が見える=横浜市鶴見区で2020(令和2)年2月22日、本社ヘリから
答えは、「891」が「2020年2月から5月までの3カ月間に国内で新型コロナウイルス感染症で死亡した人の数」で、いわゆる「第1波」での死亡者数です。一方、「983」は「2023年1月13日と14日の2日間に報告された新型コロナウイルス感染症による死亡者数」です。
次に「22,212」と「28,469」。前者が「東日本大による死亡者(関連死を含む)と行方不明者の合計」、後者が「2022年10月10日から2023年4月11日の半年間の国内の新型コロナによる死亡者数」です。
半年で東日本大震災より多くの人が亡くなり、2日間で1000人近くの死亡者が報告されることもあった。これは単なる数字ではなく、「人」であることを忘れてはならないと思います。
新型コロナを経て世界は何も変わらなかった
――今回のパンデミックを経て世界が何も変わらなかったことが残念だとおっしゃっていました。
◆今、世界のパンデミックのリスクは極端に高まってしまっています。今回のパンデミックを経験してそれがよくわかったはずです。本来ならパンデミックのリスクを回避する方向に社会を変えていかなくてはならないのに、まったくそうならずに、パンデミック前に戻そうとしています。
――なぜ、パンデミックのリスクが高まっているのでしょう。
◆パンデミックを含む新たな感染症(新興感染症)を起こすようなウイルスの4分の3は人獣共通感染症で、人と動物が接点を持つ場所にリスクがあります。
インフルエンザはもともとカモなど水鳥が持つウイルスで、人類が動物を家畜化したことで、ニワトリや豚を介して人に感染するようになりました。
はしか(麻疹)の原因ウイルスも元は牛のウイルスです。
今、世界の人口が80億人に達し、森林破壊が進み、家畜の飼育頭数が人間より速いスピードで増えています。
その結果、動物のウイルスが人の社会に漏れ出す「スピルオーバー」の頻度が上がってしまいました。
昔は「ぽたぽた」だったのに、今は「ジャージャー」と漏れているイメージです。
03年の重症急性呼吸器症候群(SARS)はコウモリからハクビシンを経て人に感染したと考えられています。新型コロナウイルスもコウモリから別の動物を経て人間に感染した可能性があります。中国の研究所からの流出説もあり、結論はでていませんが、最新のデータからは動物から感染した可能性が高いと考えられます。
中国・武漢で最初の集団感染が起きた華南海鮮卸売市場の周辺を監視する当局者=武漢市で2020年7月13日、工藤哲撮影
現在、コンゴ民主共和国で流行しているMポックスは、元はげっ歯類が持つウイルスです。米国の乳牛に広まって問題になっている鳥インフルエンザ「H5N1」は野鳥から牛に感染したと考えられています。
以前はスピルオーバーが起きても地域に限定した感染にとどめられましたが、今ではグローバル化が進み、人々の移動が瞬く間に病原体を世界に拡散させてしまいます。
今回のパンデミックが瞬く間に世界に広がったのも、中国の「一帯一路」政策と無関係ではないと思います。
「開放系」社会はパンデミックに脆弱
――えっ、一帯一路ですか?
◆中国の経済発展で、春節に多くの人々が海外旅行をするようになったことが今回のパンデミック初期の感染拡大に関与していたということもありますが、中国以外のところでまず大きな流行が起きたのはイタリア、それからイランです。
中東で真っ先に一帯一路を支持したのがイラン、欧州ではイタリアなんです。中国と世界がつながるようになったこともウイルスの拡散に関与していたと考えられます。
――それは考えてみませんでした。
◆今、日本では、こんなに外国人がたくさんやってきて、インバウンド需要がこんなに膨らんで、「めでたしめでたし」と言っている。
それに伴うリスクを誰も振り返ろうとしていないんですよね。
新型コロナ前を超えるようなインバウンド需要がやってきて、経済効果が何百億円と言っている。でも、パンデミックがやってきたら何百億円の損失ではすみません。
――社会はどう変わるべき?
◆いろいろありますが、たとえば、こんなにインバウンド需要に頼る経済の在り方が正しいのか。これは生態学者の五箇公一さんもおっしゃっているのですが、「地産地消」にもっと目を向けた方がいい。昔ながらの自給自足ではなく、地域ごとにいろいろな産物があって、経済が地域で完結できる循環型の社会です。
今はその逆で、人も物も大きく動く「開放系」の社会なのですが、そういう社会はパンデミックのリスクにとても弱いのです。
五箇さんは「ヒアリがやってくるのと、パンデミックがやってくるのは同じだ」と言っていますが、その通りでしょう。
日本は世界に車を売ろうとする一方で、地方は産業がなくなっていく。そういう社会の在り方そのものを見直さなければいけなかった。
東京もこれだけ人が集まって、高いビルばかり建てて、それは本当に必要なんですか? 地方にいいところがいっぱいあって、リモートワークもできるようになって、東京にいなくてもよかったでしょう?という選択肢を見せてくれたのがこのパンデミックだった。それなのに、結局、社会を元に戻そうとしている。
次は子どもが重症化するかもしれない
――次のパンデミックはいつ、どんなものが起きそうでしょうか。
◆今回のパンデミックでは全世界で2700万人程度が死亡したという推計値もあります。
1920年1月15日付の東京日日新聞7面。品薄に伴う「口蓋」(マスク)の値上がりを伝えている。今の新型コロナウイルス感染拡大に伴う動きとよく似ている。隣には学校閉鎖の記事も
こんなに多くの人が亡くなるパンデミックは、1918年のスペインインフルエンザ以来です。今回はそれが100年の間隔で起きたわけですが、パンデミックのリスクが高まっているので、次は数年後かもしれません。
今回と同等の2500万人が死亡するパンデミックが、25年以内に起きる確率が48%という推計もあります。
何がパンデミックを起こすかといえば、インフルエンザウイルスである蓋然(がいぜん)性はコロナウイルスより高いと思います。
その場合、今回のパンデミックとはかなり違ったものになるはずです。
――どう違う?
◆インフルエンザウイルスでパンデミックが起きたら、ほぼ間違いなく、子どもが感染の中心になります。
今回のパンデミックでは高齢者が主に亡くなり、子どもの感染は少なく重症例は非常に少なかったのですが、これはこれまでのインフルエンザパンデミックとは全く違います。
我々が知っているほとんどのウイルス性呼吸器感染症は、インフルエンザもRSウイルスもアデノウイルスも、子どもが感染の中心で、高齢者だけでなく子どもも重症化します。
医療物資が不足するなか、寄贈されたものや文房具で手作りしたものなど複数のフェースシールドを用意し、感染予防のため試行錯誤を続けている永井小児科の看護師たち=仙台市宮城野区で2020年4月23日午後5時45分、和田大典撮影
そういう中で考えなくてはならないのは、小児科医療がとても脆弱(ぜいじゃく)になっていることです。
少子高齢化が進んで、小児科のベッドがどんどん減らされ、小児科のなり手がいなくなっている。しかも、本当はいいことなんだけど、パンデミック対策を考えると問題のあることが起きています。
――なんでしょう?
◆小児科医が重症の感染症を見る機会が激減しているんです。
かつては、細菌性の髄膜炎とか、肺炎球菌とか、麻疹の脳炎・肺炎とか、子どもが重症化する感染症がたくさんありました。
そういった感染症の問題が、ワクチンや治療薬で次々に解決されて、今は小児科医が小児の重症感染症を診る機会は大きく減っています。
以前は冬になると病棟いっぱい、ロタウイルスによる下痢症の子どもの患者がいましたが、ワクチンが広く使われるようになってほとんどそういった患者はいなくなりました。今、RSウイルス感染症も、ワクチンや新しい予防薬(モノクローナル抗体)ができて、入院が激減するだろうと言われているんです。
いいことなんですが、それは重症の感染症を見られる小児科医が少なくなっている、ということを意味しているんです。
一方で、救急医は小児科の病気を見るのが不得手です。
――トレーニングが必要でしょうか?
◆救急医も何カ月か小児科でローテーションして子どももみられるようにしておくとか、集中治療の専門家と感染症の専門家をつないでおくとか、そういう必要があります。
ワクチン一辺倒ではだめ
――そもそも、世界はパンデミックにどう備えればいいでしょうか。
◆最近、英国の医療系専門誌「The Lancet」の特集が世界の専門家に依頼して、「2050年までに世界が健康のためにすべき投資」というテーマでリポートをまとめました。その中で、僕もパンデミックについての部分を書きました。
そこでパンデミックの対応段階として挙げたのは、「プリベンション(予防)」「プリペアドネス(準備)」「アーリーレスポンス(早期対応)」「レイトレスポンス(後期対応)」の4段階です。
中でもパンデミックが起きないようにする「予防」と「早期対応」が大事で、そのためには「グローバルパブリックグッズ」としての投資が必要だと書いています。
グローバルパブリックグッズとは、世界のどの国にとっても利益のあるもので、パンデミックのリスクの防止はそれにあたります。それを国際社会が協力して構築していかなくてはならない。
新型コロナワクチンの接種=東京都港区で2022年9月20日、幾島健太郎撮影
ただ、現状では世界中でワクチンをいかに早く作るかということに偏って投資しています。日本でもSCARDAと呼ばれる政府の大きなプロジェクトが動いています。
もちろん、ワクチンはパンデミックの被害を最小限に抑えるためには重要なツールですが、これは4段階の最後の「レイトレスポンス(後期対応)」で初めて意味を持つものです。
本当は、火が燃えないようにすること(「予防」)、燃えそうになったら早く消すこと(「早期対応」)にもっと投資しなくてはいけないのに、燃えた後の消火のためのワクチン一辺倒ではだめでしょう。
パンデミックは防げたかもしれない
――次のパンデミックの可能性が高いのはインフルエンザということでしたが、対応は大丈夫でしょうか?
◆今、アメリカで高病原性鳥インフルエンザ「H5N1」が乳牛に感染を広げ、一部で牛から人への感染も起きています。
これにきちんと対応しないとパンデミックにつながるリスクがあります。
でも、アメリカはまともに対応しているとは思えません。
たとえば、乳牛から人への感染の疑いがあっても、農場主の許可が得られずサンプルが取れない、というケースがあると聞きます。
これではパンデミックを未然に防ぐことが難しくなります。
――パンデミックを事前に防ぐことはできるのでしょうか。
◆実は、今回も封じ込めるチャンスがありました。
最初に武漢から広がったのは、2020年2月から3月にかけて北海道・東京・大阪などで流行したウイルス株ですが、日本ではこの株による流行は3月中旬にほぼ収束していました。
韓国のテグで起きた宗教集団の大きなクラスターもこの株によるものでしたが、制御された。台湾や香港は最初に中国からの渡航者をシャットダウンしていたので、小さな流行で済んだ。
最初に武漢から広がった株は、中国を含めアジアでは3月下旬までにほとんど制御していたんです。
ところが、その後、この株が変異した感染性の高いウイルスが欧州から日本にやってきて、皆さんが言う「第1波」の流行を形成したんです。
そして20年4月7日に日本政府が緊急事態宣言を出すのですが、その流行のほとんどはこのヨーロッパ株によるものでした。
ヨーロッパ株は東海岸からアメリカに入って、南米にも広がっていった。
2021年10月の英科学誌「ネイチャー」の論文=ネイチャーのホームページより
21年の10月にネイチャーに論文が出ていますが、欧米では当初、大量の感染者が見逃されていたんです。それによって世界的な封じ込めの可能性が消滅しました。
もし、欧米を含め世界が協力して制御できていれば、パンデミックは防げた可能性があります。
アメリカでまたトランプ政権になることで、パンデミックを未然に防ぐ体制を国際社会が協力して構築していくことはより困難になることが予想されます。これによっても世界のパンデミックに対する脆弱性が増大する恐れがあります。
日本版CDCを維持できるか
――新型コロナ対応では、日本が抱えるさまざまな課題が浮き彫りになりました。 実は、こうした課題は09年のインフルエンザパンデミックの時に指摘されていたことですが、ほとんど改善されていませんでした。今回は改善されたのでしょうか。
たとえば、今回、政府に招集されて対策にあたった専門家は、役割も身分もあいまいで、みなさんは、いわば「手弁当」で対応にあたっていました。
本来なら、平時は通常の研究や医療にたずさわっている専門家に、緊急時は一定の身分を付与して、対策に集中できるようにする仕組みが必要だと思うのですが。
◆パンデミックに備える専門家の在り方という点では、政府は「日本版CDC」として国立感染症研究所と国立国際医療研究センターを統合して「国立健康危機管理研究機構」を25年春に発足させることになっています。
でも、日本が手本にしたがる米国のCDCは、今回のパンデミック対応では機能不全でしたし、そもそも日本とはシステムが違います。
CDCが平時から1万何千人ものスタッフを抱えていられるのは、軍組織に近い位置づけだからです。普段はあまり役に立たなくても、いざという緊急時に役立てるためにあれだけの人を維持できる。
日本はそうはいきません。日本版CDCができても、しばらくパンデミックが起きなければ、役に立たないとみなされた部門が削られていく恐れがあります。
国立国際医療研究センター=東京都新宿区で2023年5月26日午後6時32分、添島香苗撮影
――厚労省の中に平時から専門家を置くという考え方もあったかと思います。
◆感染症危機管理は、知識と経験がないとできません。
本当に感染症危機管理を政府がやっていこうと思うなら、知識と経験の両方を持つ人を厚労省におかなくてはなりませんが、そのようにはなっていません。
――押谷さんが厚労省の専門家会合に毎回提出していた都道府県別の「エピカーブ(流行曲線)」は、流行動向を知り、疫学的分析をするために不可欠ですが、そのもとになるデータを一元的に入手できず、自治体のホームページから自分たちで集めていたと聞きました。この問題は解決されたのでしょうか?
◆当初は、大学院生とか医学部の学生に手伝ってもらって、自治体のウェブサイトから手作業で感染者のデータを入力していました。
データのフォーマットが自治体ごとに違ったり、しょっちゅう変わったりして、大変でした。
この問題は、政府のデータベースが新しくなっても不完全な部分があり、本質的には解決されませんでした。
本来なら、感染者のデータが一元管理されて、さまざまな専門家が自由にアクセスして、データを解析できるようにしておかなくてはなりません。
PCRは「みんなにやってもだめ」
――PCR検査についてはさまざまな見方が飛び交いましたが、どう総括していますか?
◆まず、パンデミックの初期は日本でできるPCRの能力は本当に限られていて、誰もが検査を受けられるようにするのは現実的ではありませんでした。
シンガポールなどは03年のSARSの教訓からすべての病院で問題なくできる体制が整っていましたが、日本の政府はSARSや09年のインフルエンザパンデミックの教訓を生かしていなかった。
だから、限られたPCRで必要な人に検査をして、効率よく感染者を見つけるしかありませんでした。結果的に、欧米に比べれば、初期の感染者を大きく見逃していなかったと思います。
――その後も、検査能力はなかなか上がりませんでした。
◆たしかに、必要な検査が十分にできない状況は問題でした。ただ、一気に能力を上げようとすると検査の質が落ちるというリスクもあります。
日本では、地方衛生研究所で検査の品質管理をずっと実施していて、そこでは質が担保されていた。
PCR検査のための作業をする臨床検査技師=石川県保健環境センターで(同県提供)
いろいろな人たちが、大学などでもやればいいと言っていましたが、患者の診断のための検査は緻密さが必要で、本来、訓練を積んだ検査技師がやるものです。
大学の研究者がやると、間違える恐れがある。あの時点で検査結果を間違えると、検査を受けた人に大きな不利益がありました。
――いつでも、だれにでも、検査することで感染を抑えようという議論もずいぶんありました。
◆僕は最初から「誰もがPCRを受けられるようにするだけでは感染は抑えられない」と言っていました。
たとえば、英国の研究チームが約4万人のデータをもとに実施したシミュレーション分析では、人口の5%を毎週検査しても、実効再生産数(感染が広がっている状況で、1人の感染者が何人にうつすかの平均値)が2%ぐらいしか下がらない、という推計があります。
だれでも検査を受けられるようにした米国で感染が抑えられたかといえば、そんなことはありませんでした。
――いまではPCR検査をする人もずいぶん減ったようです。
◆実は、高齢者施設で定期的に検査することで流行が防げるというデータがあります。
感染抑止対策の中でエビデンスがあるものだと思います。
人口全体で検査するのは無理ですが、限られた集団で定期的に検査することには意味があります。
――PCR検査の体制は整備された?
◆今は、大きな病院では検査室でPCRができる体制になりましたが、保険収載されていないので、それが維持できなくなってきている。次にパンデミックが起きると、また同じ問題が起きる可能性があります。
決断するのは政治の責任
――政治と科学者の関係についてもずいぶん議論されました。改めて、どういう関係が理想的でしょうか。
◆今回はあたかも専門家会合が対策を決めているという誤った印象を持たれてしまいましたが、専門家は専門的見地から意見を述べて、それらの意見をもとに政治が責任をもって決断する、というのが正しい在り方だと思います。
そのためには、政府が招集する一つの専門家会合だけが見解を示すのではなく、専門分野ごとに複数のグループがあって、それぞれの見解を出していく体制にする必要があると思います。立場の違う専門家の意見を参考にしながら、選挙で選ばれた政治家が最終的に決断し、その結果起きたことには政治家が責任を持つようにすべきです。
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押谷仁・東北大学教授=本人提供
おしたに・ひとし
東北大学大学院医学系研究科・微生物学分野教授。東北大学医学部卒業。国立仙台病院(現・国立病院機構仙台医療センター)、JICA専門家(ザンビア)、WHO西太平洋地域事務局・感染症地域アドバイザーなどを経て2005年より現職。アジア・アフリカをフィールドとして感染症研究を行うとともに、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会、新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード、基本的対処方針分科会等の構成員を務めた。
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青野由利
客員編集委員
東京生まれ。科学ジャーナリスト。好きな分野は生命科学と天文学。著書に「インフルエンザは征圧できるのか」「宇宙はこう考えられている」「ゲノム編集の光と闇」(第35回講談社科学出版賞受賞)など。20年日本記者クラブ賞受賞。