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毎日新聞2024/5/26 東京朝刊有料記事923文字
<滝野隆浩の掃苔記(そうたいき)>
九州で1人暮らしの母はあれやこれや苦心しながら、訪問看護師らに支えられてうまく暮らしている。会いに行っていろいろ話した。もの忘れがあるからといって話半分に聞き流すワケにはいかない。時々、すごいことを話す。
「私の話は私にしてよ」。自分に関する種々のサービスが、いつの間にか自分以外のところで決められていることへの不満を表したこの言葉。当欄で紹介したら、読者投稿で何度か引用された。高齢者の専門医からは「あれは至言でしたね」と言われた。本人の意向を尊重する。それが介護保険制度の本質なのだ。
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ケアマネジャーの招集でサービス提供者が集まる会議に本人も出た。体重が落ちて弱ってきたかも。宅配弁当にしたらどうか。デイサービスのリハビリに行きましょう。会話も弾むしね。買い物はこちらでやったほうが安心です……。終了後、母がぽつりと言う。「私にはぜんぜん話、聞いてくれんやったね。何かの本で読んだけど、『私のことは私に聞いて』って思うとる人多いんだってね」。いや、それ、当欄で読んだ、自分の言葉でしょう!
確かに、介護・介助する側は先回りして「安全」を優先するから、本人の思いは聞き入れられないことも多い。母は冷蔵庫については「大丈夫、触らんで」と抵抗していたが、おなじ野菜をいくつも買い、賞味期限切れの品も多くなっているからと、中の物を捨てられた。私がさらに捨てていたら、そばに来て耳打ちされた。「あれもダメ、これもダメって……。『ダメばってん、大丈夫』っていうのが、長男の役目やなかとね」
そのとおりである。支えてくれている側の理屈は正しい。だとしても、息子まで「正しい側」に回ってしまったら、母の立つ瀬はない。
「ひとりで生きてくって大変ねえ。なかなか死ねんしねえ」。母の本音。この先、もの忘れがさらに進んでも、私は「大丈夫」と言い続けたほうがいいのだろう。何度おなじ話を聞かされたとしても。「あのね、何度聞いても黙って聞いてりゃいい。『さっき聞いた!』とか怒鳴ると、もう信用しなくなるよ」。おっしゃるとおり。専門家もそう言う。「でも実はさ、時々、忘れたふりしてんのよ。そのほうがいろいろ楽やから」(専門編集委員)