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毎日新聞2024/5/28 東京朝刊612文字
「火牛の計」の伝説を意匠化した化粧まわしで土俵入りする大の里(手前)。奥は琴桜=両国国技館で2024年5月25日、北山夏帆撮影
1972年5月場所、初土俵以来15場所目に関脇で初優勝した輪島の優勝額
「相撲と将棋はプロとアマチュアの差が最も大きい」。昭和の時代によく耳にした。その壁を崩した一人が2年連続学生横綱のタイトルを手に1970年に角界入りした輪島だろう▲初土俵から15場所目。関脇だった72年5月場所で初の賜杯を手にした。後に横綱として北の湖と「輪湖時代」を築く「黄金の左」の一端を見せ、小紙は「輪島 プロも征服」の見出しで報じた▲それから半世紀余。5月場所で大の里が所要7場所で初優勝した。輪島より1年以上早い。先場所の尊富士の所要10場所も超える史上最速だ。大イチョウを結えないちょんまげ力士の連続優勝。プロとアマの歴然とした差も今は昔か▲もっとも日体大1年での学生横綱や2年連続のアマ横綱という経歴や恵まれた体には当初から「大器」の雰囲気が漂う。3場所連続の2桁勝利で、次は入幕から所要6場所での大関昇進という大鵬の記録に挑む▲唯一の学生相撲出身横綱である輪島は初の本名横綱でもあった。石川県七尾市生まれ。違和感がないのは能登起源の姓で出身地が自然に思い浮かんだからだろう。大の里も同県津幡町の出身。千秋楽は町の古戦場で木曽義仲が使ったという「火牛の計」の伝説を意匠化した化粧まわしを使った▲「いい報告ができてうれしい」。能登半島地震の被災地への思いを口にした。郷土力士の活躍に元気をもらう相撲ファンは多い。少し気が早いが「まだまだ上に番付がある」という23歳に輪島を重ねる被災者も少なくないのではないか。