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毎日新聞2024/6/1 東京朝刊有料記事1973文字
大日本帝国は「終戦構想」が破綻した後も戦争を続け、敗戦を迎えた。写真は1945年9月2日、東京湾上の米戦艦「ミズーリ」で開かれた降伏調印式
始まった戦争は容易に終わらない。ウクライナとガザでの戦争で、私たちはそのことを改めて実感した。戦争を始める為政者の多くは戦場の最前線に行かない。そして戦争の終わらせ方を知らない。かつての大日本帝国(帝国)がそうだったように。今回は帝国の「終戦構想」を振り返りつつ、日本政府が想定する「新しい戦争」について考えてみたい。
前回の本欄で書いた通り、帝国の指導者たちは武力で米国を屈服させられないことは分かっていた。ではどうやって戦争を終わらせるつもりだったのか。一応の「終戦構想」があった。開戦1カ月弱前の1941年11月15日、「大本営政府連絡会議」(主要閣僚と陸軍参謀本部、海軍軍令部の幹部らによる会議)でまとめられた「対米英蘭蔣戦争終末促進ニ関スル腹案」だ。
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要約すると(1)東アジアや西南太平洋から米国、英国、オランダの勢力を排除して重要資源を確保し、長期自給自足体制を整備する(2)中国(蔣介石政権)を屈服させる(3)三国同盟を結んでいたドイツ、イタリアと連携して英国を屈服させる(4)それによって米国の戦意を失わせ、講和に持ち込む――というものだ。
(1)は最も可能性があった。開戦後、日本軍はインドネシアでオランダ軍、フィリピンで米軍、シンガポールで英軍を破るなどして連合国から植民地を奪取した。「大東亜共栄圏」が実現するかに見えた。だが米国が戦備を整えて本格的な反攻を始めると、制空権も制海権も握られ、重要資源を日本に送れなくなった。(2)についていえば、中国には37年から4年間戦って勝利できていなかった。さらに米英などとも戦争を始めてしまい、勝つのは至難となった。
(3)も可能性は低かった。海軍力が弱いドイツにとって、英本土上陸作戦を決行するのは困難だった。41年6月にはソ連とも戦争を始めたのだからなおさらだ。注目すべきなのは、ドイツがこの二正面作戦を開始した後に、帝国首脳がドイツの対英戦勝利を前提とした「構想」を決めたことだ。仮にドイツが英国に勝ったとしても、米国が戦意を失い帝国にとって都合のいい講和に応じる保証はまったくなかった。
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当時、陸軍の軍務官僚だった故・石井秋穂氏はこの「構想」作成に関わった。昭和史研究の第一人者でノンフィクション作家の保阪正康氏が石井氏に取材している。作成について聞くと「考えてみればむちゃくちゃな話ですよ」と回顧したという。「願望みたいな内容の腹案をつくるしかなかった」とも明かした(保阪氏「昭和史、二つの日」)。陸海軍とも幹部たちは戦争に前のめりだった。この時すでに帝国は「戦争ありき」で動いており、形だけでも終戦構想がほしかったのだ。
この願望に空想を積み重ねた蜃気楼(しんきろう)のような「終戦構想」は、私の歴史観の柱になっている。それは「為政者は、時に庶民の想像よりはるかに重大な間違いを犯す」ということだ。
帝国は開戦後しばらくは勝利を重ねたものの、次第に国力の差があらわになった。たとえば44年7月。マリアナ諸島のサイパンが米軍に占領された。ここを拠点に、米軍は戦略爆撃機B29による日本本土爆撃を執拗(しつよう)に続けた。一方、帝国が米本土を戦略爆撃することは不可能だった。同年10月にはフィリピンに米軍が上陸し、戦力で大きく劣る日本軍は追い詰められていった。
遅くともこの時点で(1)~(3)のすべてが破綻しており、敗戦は明らかだった。実際、開戦前に3度首相を務めた近衛文麿は45年2月14日、昭和天皇に早期終戦を訴えている(近衛上奏文)。実際の終戦より半年も前のことだった。
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だが昭和天皇は、どこかで連合国軍に勝利し、それを背景にしてより有利な条件で講和する(一撃講和論)という意図から近衛の案を採用しなかった。ずるずると戦争を続けた結果が沖縄での凄惨(せいさん)な地上戦だった。その沖縄が米軍に占領されても帝国は戦争をやめなかった。連合国と講和すべく頼ったのはソ連。帝国は、米英との間で日本侵攻の秘密協定を結んでいたこの国に、天皇の特使として近衛を送ろうとした。だが相手にされず、逆に45年8月8日に宣戦布告された。やめられない戦争の帰結が広島と長崎への原爆投下であり、シベリア抑留だった。
戦争になれば被害は庶民に広く、長く、深く及ぶ。日本政府が「新しい戦争」に備えるのなら、被害を最小限にするための「終戦構想」も想定する必要がある。だが、まともな構想が作られることはないだろう。あるいは密室で再び「蜃気楼」のような「構想」が作成されるかもしれない。「構想」無しの「戦争準備」。もしくは現実味がまるでない「構想」。いずれにせよそれを暴くのがジャーナリズムの役割であり、戦争の抑止力になると思う。(専門記者)(第1土曜日掲載)