「ギャング集団」がんの正体を暴くフォロー
抗がん剤より副作用が少ない理由とは? ギャングの資金源を断つ分子標的薬の実力
大須賀覚・がん研究者/アラバマ大学バーミンハム校助教授
2025年1月26日
がんの治療で使う薬には、前回の記事でお伝えした細胞障害性抗がん剤(抗がん剤)以外にも複数あります。中でも近年、治療の要となっているのが分子標的薬です。聞いたことがないという方も多いかもしれませんが、簡単に言うと、がんの「増殖スイッチ」をオフにするもので、抗がん剤に比べると正常細胞を巻き込みにくいというメリットがあります。今回は、この分子標的薬について解説します。
がん細胞が行うシノギとは?
本連載は「がん細胞がギャングに似ている」という前提で解説をしてきました。ギャングはさまざまな悪事を働いてお金を集め、組織を大きくしていきます。逆に言うと、お金がなければ仲間を集められず組織が大きくなることもありません。
実はがん細胞も似たようなもので、悪事によって資金を得ながら増殖しています。がん細胞が行うシノギ(お金稼ぎ)のことを「増殖シグナル」といいます。
前回の記事で説明した通り、がん細胞の最大の特徴は「増える」ことにあります。増える際「増殖シグナル」というスイッチをオンにしています。がん細胞はこの増殖シグナルを活性化することで、どんどん増えていくことになります。正常細胞では一般的にスイッチはオフになっているのですが、何らかの原因でスイッチが壊れ、常にオンになると細胞は増殖し続けてしまうのです。
以前の記事で、がん細胞ができるプロセスは「正常細胞の遺伝子に傷がつくこと=正常細胞に遺伝子変異が入ること」であると説明しました。実はこの「遺伝子変異が入ること」が「増殖シグナルのスイッチが壊れる」現象であることが多いです。分子標的薬は異常を起こしている増殖スイッチに直接くっついてオフにし、がん細胞の増殖を抑えてくれるのです。
オレオレ詐欺もダフ屋も…「増殖シグナル」には種類がある
そもそも分子標的薬という用語は「特定のたんぱく質などを標的にする薬剤」の総称となっていて、その種類は実に多岐にわたります。がん以外の疾患に対する分子標的薬もありますが、がんに対する分子標的薬は前述したように、がんの増殖シグナルを標的としたものが主となるため、今回はそれを中心に解説することをご了承ください。
長年の研究によって、がん細胞に見られる「増殖シグナルの異常」にはいくつもの種類があることが分かってきました。だからこそ、それぞれの異常に対して個別に分子標的薬を作る必要があるのです。
たとえると、ギャングの集団は何らかの悪事によってお金を得ていても、その方法は組織によって異なるということです。ある組織は「オレオレ詐欺」で資金を得ているのに対して、また別の組織は「ダフ屋行為」で資金を得ている。すると警察の取り締まりも、それぞれの悪事に合わせる必要が生じます。オレオレ詐欺をしているギャング集団にダフ屋行為の取り締まりをしても効果はないからです。
つまり、分子標的薬も、がん細胞ごとの増殖シグナルに合わせて使い分ける必要があるのです。HER2という増殖シグナルを持つがん細胞に対してはHER2を抑える分子標的薬、EGFRの増殖シグナルを持つがん細胞にはEGFRを抑える分子標的薬が必要ということになります。
そのためにはまず、どんな増殖シグナルを持っているのかを調べなければなりません。それが、がんの遺伝子異常を調べる検査です。その人のがん細胞がどのようなシノギをしているかを調べた上で、それに合わせた治療戦略を練ることになります。
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分子標的薬の副作用が少ない理由
がん細胞は実にさまざまな増殖シグナルを持っているため、あらゆるシノギに対して分子標的薬開発が行われてきました。現在は多種類の分子標的薬が、さまざまながんの標準治療として使われています。
分子標的薬の優れている点は、がん細胞の持つ増殖シグナルをうまく抑えられれば劇的な効果を見込めることにあります。換言すると、ギャング集団の資金源を完璧に把握し、完璧に狙い撃ちしてくれる"ドンピシャの薬"を使えば、がん細胞の集団である腫瘍を劇的に小さくできる場合があるのです。時に、古くから使われている抗がん剤よりも大きな効果を上げることがあります。
もう一つ、分子標的薬が優れている点として、抗がん剤に比べて副作用が少ないことがあります。分子標的薬が狙っている増殖シグナルの多くはがん細胞だけで活発に使われていて、正常細胞ではほとんど使われていないためです。分子標的薬で全身の増殖シグナルを抑えても正常細胞にあまり影響が出ないのは、そうしたメカニズムによるものです。
これはオレオレ詐欺を行うギャング集団を徹底的に取り締まっても、一般市民(正常細胞)には全く悪影響がなく、困るのはギャング集団(がん細胞)だけ――とも表現できます。前回の記事で、抗がん剤による治療は入れ墨をしている人を捕まえるようなもので、確かにがん細胞を殺せはするものの、時に入れ墨をしている一般市民も捕まえてしまうため、正常細胞にダメージを与えて副作用が出ることがある――と説明しました。それに引き換え、分子標的薬は、抗がん剤以上にがん細胞特有の増殖シグナルを標的にしているので、正常細胞に障害を与えにくいと言えます。結果、患者さんはつらい副作用に見舞われることが少なく、比較的楽に治療を進めることができるのです。
抗がん剤よりも高価という問題点
とはいえ、分子標的薬もまだまだ完璧ではありません。中には効果が不十分だったり、副作用を引き起こすものもあります。効果が出ない理由は複数あって、一つは患者さんに最適な分子標的薬が選ばれていない場合。オレオレ詐欺をしているギャング集団にダフ屋行為の取り締まりをしたケースです。
もう一つ、がん細胞の持つ増殖シグナルが複数ある場合も該当します。ギャング集団で言えばオレオレ詐欺だけでなく、クレジットカードを偽造するスキミング詐欺もして資金を得ているような場合、オレオレ詐欺だけを取り締まっても、スキミング詐欺から得ている資金を断てず、がん細胞をたたき切れないという現象が起こります。がん細胞がたった一つの増殖シグナルに依存している場合は分子標的薬による治療が効果的ですが、複数の増殖シグナルを持つがん細胞では難しいという弱点があります。
ならば、全ての資金源を断つために、2~3種類の分子標的薬を使えばよいと思う方がいるかもしれません。確かにそうした方法も、一部のがん治療ではうまくいっています。
ただ、問題になるのが価格です。一般的に分子標的薬は開発と製造にコストがかかるため、古くからある抗がん剤よりも価格が高く、患者さんの治療費の負担が増えてしまう傾向にあります。複数の薬剤を使う必要性があっても、現実にはコスト面で簡単ではないということがあるのです。
再発、再々発をも迎え撃つ
また、分子標的薬のもう一つの問題点に、がんの再発があります。増殖シグナルを抑えることで、いったんはがんの腫瘍を小さくすることに成功しても、その後、がんが再発することはあります。
なぜでしょう。悪賢いがん細胞は、一つの増殖シグナルを封じられても、すぐに違う増殖シグナルを見つけてくるからです。オレオレ詐欺ばかりで資金を得ていたギャング集団が、取り締まりにより一度は組織を縮小させるものの、その後に空き巣で資金を得るようになり再び増殖してしまう――という状況になります。
それでも、がん研究者はへこたれず、対策を練っています。ある分子標的薬を使った後、がん細胞が次にどんな増殖シグナルを繰り出してくるのかを調べ、次に使うべき分子標的薬を探って対処しているのです。たとえばオレオレ詐欺で取り締まられたギャング集団は後にスキミング詐欺をすることが多いことをあらかじめ調べていて、スキミング詐欺の取り締まりを間髪入れずに行っています。
現代のがん治療では最初の分子標的薬、再発後の分子標的薬、さらに再々発後の第3弾の分子標的薬――というように綿密な戦略を練って行われています。悪賢いがんと闘い続ける研究者の努力が、このようなところにもあることを知っていただければ幸いです。
写真はゲッティ
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筑波大学医学専門学群卒。卒業後は脳神経外科医として、主に悪性脳腫瘍の治療に従事。患者と向き合う日々の中で、現行治療の限界に直面し、患者を救える新薬開発をしたいとがん研究者に転向。現在は米国で研究を続ける。近年、日本で不正確ながん情報が広がっている現状を危惧して、がんを正しく理解してもらおうと、情報発信活動も積極的に行っている。著書に「世界中の医学研究を徹底的に比較してわかった最高のがん治療」(ダイヤモンド社、勝俣範之氏・津川友介氏と共著)。Twitterアカウントは @SatoruO (フォロワー4万5千人)。