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毎日新聞2024/6/7 東京朝刊有料記事720文字
理化学研究所の仁科芳雄博士=1948年、尾野勇撮影
なるほドリ 今年のアカデミー賞、7部門で受賞した映画「オッペンハイマー」を見たよ。米国の原爆開発を描いていたけど、日本も研究していたの?
記者 製造には程遠い段階で終わったものの、日本でも著名(ちょめい)な物理学者が極秘(ごくひ)に研究していました。1938年、ドイツで原子の核分裂(かくぶんれつ)が発見されます。中性子(ちゅうせいし)をウラン原子に衝突させると原子核が割れ、連鎖(れんさ)反応で莫大(ばくだい)なエネルギーを得られると分かってきたのです。翌年にはナチス政権下のドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)。米英はドイツによる新型爆弾の開発を恐れて研究開発に乗り出し、日本も軍主導で着手しました。
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Q 誰が研究していたの?
A 陸軍は「現代物理学の父」と呼ばれる理化学研究所の仁科芳雄(にしなよしお)博士に依頼。計画は博士の名前の頭文字を当てた「ニ号研究」と呼ばれました。一方、海軍は京都帝国大(現京都大)の荒勝文策(あらかつぶんさく)教授らに依頼、「F研究」と呼ばれました。核分裂(Fission)が由来とされています。日本人初のノーベル賞受賞者となった湯川秀樹(ゆかわひでき)博士も携わっていました。
Q なぜ失敗したの?
A 十分なウラン鉱石(こうせき)を入手できなかったことが大きな理由です。天然のウランには核分裂を起こしやすい「ウラン235」が約0・7%しか含まれず、濃縮(のうしゅく)する必要がありましたが、その技術も確立できなかったようです。一方、米国の原爆は広島、長崎に投下され壊滅的な被害をもたらしました。湯川博士は戦後、核兵器と戦争に反対する活動に力を注いでいます。(くらし科学環境部)