<2>聖霊の賜物に対して詳しく知りましょう。<要約>
<コリント第一12:7-11>2024.6.2.大阪愛する教会、金好日牧師。
天の父なる神様が賜物を賜った目的は、聖徒たちに奉仕をさせ、キリストの体である教会を造り上げ、他の人々を助けてあげなさいという事なのです。即(すなわ)ち大勢の人々を伝道しなさいという事なのです。賜物には
1>知恵の言葉の賜物(たまもの)とは、天の父なる神様の御心のご計画を知らせ、未来に起こる事を知らせて災いを防げ、苦難(くなん)を耐え忍(しの)ばせるのです。
2>知識の言葉の賜物とは、一人一人の過去と現在の事を知らせるのです。
3>信仰とは、自分に与えられた小さな信仰を使って経験する際、ますます大きくなるので自分の信仰を使わねばならないのです。
4>病気を癒す力、即ち治癒(ちゆ)はイエス様の御名の力を信じ宣布し、また賜物を受けて癒される事もできるし、また聖書の御言葉を信じ信頼し宣布する際、癒される事も出来るのです。5>霊の見分ける賜物とは、人を見分ける賜物なのです。この地には二つ、神様に属する霊と、悪魔に属する霊が存在するのです。また私たちの内には三つ、聖霊の霊と、悪魔の霊と、人の考えがあるのです。また私たちの耳に聞こえる声も三つ、聖霊(せいれい)の御声(みこえ)と、邪悪(じゃあく)な霊(れい)の声(こえ)と、自分(じぶん)の考え、即ち魂(たましい)の声があるのです。この中で聖霊の御声だけが必要なのです。ですから、私たちは霊の見分ける賜物を賜って、これは私の考えであり、これは悪魔の声であり、これは聖霊の御声であると見分ける事が大事なのです。悪魔の声を聞いて自分自身もつまずく、それを人々に伝えて他の人もつまずかせる者になってはいけないのです。
人は一つの器なのです。その器に聖霊を盛っていれば、聖霊が働かれ、邪悪な霊を盛っていれば、悪霊が活動するのです。自分の考えが強すぎる人は自分の考えを強調するのです。大事なのは実なのです。実とは信仰生活なのです。実の中で最も大事なのは愛なのです。愛の実を見てその人を見分けねばならないのです。愛というのは、皆同じ愛ではないのです。
1>Eros-男女間の異性との愛です。
2>Storuge-親子間の愛、血縁関係の愛なのです。
3>Pilria-友人との愛、
4>Pirandropia-貧しい者、苦しむ者を助ける事、
5>Agape-神様の愛、即ち犠牲的な愛などがあるのです。その中で聖霊の実はアガぺの愛なのです。事実、血縁関係もしくは友人との愛だけが現われても、愛が豊かな者に見えたりするのです。しかし、犠牲的な愛のみが私たちの祝福の器になるのです。また、謙虚にならねばならないのです。愛があっても謙虚でなければ悪魔の誘惑(ゆうわく)に勝てず悪魔の僕になるのです。
6>奇跡を行なう賜物とは、賜物を賜るか、もしくはイエス様の御名の力を信じ命令し宣布すれば奇跡を経験するのです。
7>預言の賜物とは、使徒パウロは特に預言をしなさいと強調されたのです。預言を無視してはいけないのです。世の終わりの際には、男女の僕たちに聖霊を注いで下さるので、大勢の人々が夢を見たり、幻を見たり、預言、即ち将来の事を語るようになるのです。預言とは聖徒たちを愛に持って勧め、慰め、教会を造り上げる預言をせねばならないのです。預言とは部分的なものなので、色んな人に預言を聞いてパズルを合わせると、全体の意味を分かる事が出来るのです。
また、預言とは語る者と聞く者の霊的な状態によって人の考えが入れるので、見分けて受け入れなければならないのです。心に共感できる事や聖書的な事だけ受け入れなければならないのです。預言する者は謙虚と限りなく戦わなければならないのです。預言する者は愛の実を結ぶ事を切に願わねばならないのです。愛がなければ全てが無に等しいからなのです。また、預言が流されないように書き記して置き、それを常に覚えながら祈らねばならないのです。
첫댓글 Agape-神様の愛 .
犠牲的な愛を求めます。聖霊様従順しますアーメン、
https://youtu.be/k4jekYj6Jko?si=WTh2IP9s_q2N1wEh
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