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毎日新聞2024/6/15 東京夕刊有料記事462文字
ひめゆり平和祈念資料館に展示されている宮城祥子さんの数学ノート(複製)=沖縄県糸満市で2024年6月3日、喜屋武真之介撮影
沖縄県糸満市のひめゆり平和祈念資料館に1冊の数学ノートが展示されている。図形や平行線が精緻に描かれ、きれいな字で解説が記されている。「これ、授業で習ったよね」。来館した若い子たちからそんな感想が漏れる。
ノートは戦時中、那覇市の高等女学校に通っていた宮城祥子(よしこ)さんの遺品。1944年8月、沖縄から九州に向かう途中に米潜水艦の攻撃で沈没した「対馬丸」に乗船し、亡くなった。
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対馬丸には、迫る戦火を逃れるため児童や市民ら約1800人が乗った。判明しているだけでも死者は1484人。16歳の宮城さんは、児童の引率教諭だった姉と一緒に乗り込んでいた。礼儀正しく、物静かな人だったという。
翌年、沖縄に米軍が上陸し、宮城さんの級友たちは戦場に動員された。「ひめゆり学徒隊」の死者は生徒123人、教師13人。宮城さんのノートは、今と変わらぬ学校生活を送っていた生徒たちが戦場に立たされた事実を物語る。
イスラエルの攻撃が続くパレスチナ自治区ガザ地区でも小さな命が日々奪われる。その無念さ、恐怖を思うとやりきれない。【遠藤孝康】