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毎日新聞2024/6/16 東京朝刊有料記事1742文字
=北山夏帆撮影
情報技術の進展は私たちをどこに連れて行くのだろう? 今では誰もがスマートフォンの画面に見入っている。私が携帯電話を初めて持ったのは2007年。以後、携帯がスマホになり、ソーシャルメディアが浸透し始めたのは12年ごろらしい。これらの技術は、人々がコミュニケーションを取る方法を変え、それによって、人との付きあい方をも変えている。
紙と印刷技術がなかった時代、人々は、あらゆる事柄に関して、自分たちの脳内に収められた記憶に頼るしか方法がなかった。今では、紙以外にもさまざまな記憶媒体があり、その容量は日々増加している。
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大量の情報の蓄積という意味では、図書館はその代表だった。書物、論文、雑誌、新聞記事など、なんでも保存されている。しかし、そこから自分の得たい情報を見つけ出すには、自分で探さねばならなかった。そこへ、検索エンジンというものが出てきた。読み込んだ大量の情報から、探している人が欲しがっていると思われるものを、瞬時に出してくれる。初めは、自分の名前を入れて尋ねたら、知らない人たちのことばかり大量に答えてきた、などとバカにされていたが、どんどん改良が進んでいるようだ。
そして、生成AI(人工知能)である。これも世に出た当初は、役に立たないとバカにされたが、改良が進んでいる。本当に学術論文を書いてくれたり、次の研究題目に何を選べばよいかまで教えてくれたりするものもあるそうだ。古今東西で出版された研究論文を大量に読み込んで学習させれば、こんなこともできるようにはなるのだろう。
そうなると、人間は何をするのか? 記憶も検索も作文も、AIに丸投げのアウトソーシングが可能になったあとは、どんな人間が育ち、どんな社会を作るのだろう? おそらく、今までとは違う人生観、世界観を持つ人たちが育つようになり、まったく違う社会になるのではないか。
人類学者としてこの変化を見ると、これは、狩猟採集で生計を営む生活から、農耕・牧畜・定住の生活様式に変わったときぐらいの大きな衝撃をもたらす変化なのではないかと思う。
狩猟採集生活は、自分で食料を生産しない。自然の恵みを求めて放浪し、とれた分だけで満足する。大量にとれれば、みんなで分けて大宴会。とれなければ飢えて、ときには死ぬ。周囲の自然を熟知し、捕食者から身を守り、他の人間たちとうまくやっていく術(すべ)を身に付ける。これは頭を使う大変な暮らし方だ。
しかし、「今、ここ」での見返りがないのに、少しずつこつこつ働いて努力するということはしない。狩猟採集生活では、こちらがいかに知恵を絞ろうと、自然の恵みがあるときにはあるが、ないときにはない。
目の前に獲物となる動物や食べられる植物があれば、一生懸命働いてそれを手に入れようとする。しかし、すぐに見返りがないのに、将来のために働くということは考えられない。
これを劇的に変えたのが、1万年前の農耕・牧畜・定住生活の始まりである。農耕も牧畜も、人間が自然を改変して食料を作り出すので、こつこつ働けば、それだけ、その先の成果が増える。努力した成果が、すぐその日に得られるのではない。しかし、将来には得られるだろう。その未来のために「こつこつ働く」。
今の私たちは、今すぐに何かが得られるわけではなくても働く。来年の収穫か、給料日か、ボーナス支給か、よりよい就職口か、将来にはいいことがあるだろうと思って、今、こつこつ働く。狩猟採集民には、こんなことが理解できない。逆に農耕民には、こんな狩猟採集民が理解できない。
しかし1万年前に農耕・牧畜・定住生活を採用した集団は確かに成功した。そして暮らし方が変わり、毎日の生活リズム、欲望のあり方、目標の持ち方、社会集団のあり方など、すべてが以前とは変わったのだ。
これと同じくらいの大転換が、情報技術の発展によって起こるのではないだろうか。物も人も移動せずにすむことが増え、リアルとバーチャルという新概念が出現し、AIはものを考えるという行為を解体しつつある。この変化によって職業や働き方、人間生活のあり方すべてが変わるだろう。「こつこつ働く」価値観もなくなり、文明は次のフェーズに入る予感がする。=毎週日曜日に掲載