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毎日新聞2024/6/22 東京朝刊有料記事1945文字
台湾南部・高雄の陸軍軍官学校で行われた記念式典に出席した頼清徳総統=16日、ロイター
「百戦百勝は善の善なる者にあらざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」。中国古代の軍事思想家、孫子の名言だ。百戦百勝より「戦わずして勝つ」方が優れているという。
「国を全うするを上となし、国を破るはこれに次ぐ」という言葉もある。敵国を傷つけずに降伏させることが上策で、敵国を破って屈服させるのはそれに劣る。戦禍を考えれば合理的な考えだ。
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「現代版孫子」とでもいえそうな台湾戦略を中国軍の理論家として知られた王湘穂元大佐が提唱している。軍事と経済やサイバーなど非軍事手段を組み合わせたハイブリッド戦の構想を初めて打ち出したとされる軍事理論書「超限戦」の著者の一人だ。
中国のネットメディアへの寄稿によると、王氏は「平和的統一と武力統一を併存させるという単純な思考から脱却し、両者を統合した『強制的統一』という手法を採用する必要がある」と主張する。
強制的統一は「平和と伝統的な戦争の中間に位置」し、「台湾の人々に国家が統一されていないことの弊害を感じさせ」、アメとムチのバランスを取りながら圧力をかけて統一に導くことだという。
「国家統一を目的とした平和と戦争のグレーゾーンで行われる低強度の『ハイブリッド戦争』」とも位置づけている。直接の武力行使を避けることで、台湾を防衛しようとする米国に干渉させないことを目的の一つに挙げる。
王氏は頼清徳台湾総統の就任後の5月下旬に中国軍が台湾を囲むように実施した軍事演習に触れて、すでに「強制的統一」の過程が始まったという認識を示した。
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中国が優先するのは武力統一による「台湾有事」ではない。そんな見方は米国にも浮上している。保守系シンクタンクの「アメリカン・エンタープライズ研究所(AEI)」は「威圧から降伏へ」と題した報告書で中国がハイブリッド戦を駆使し、台湾を中国との和平協定締結に導くというシナリオを描いた。
「中国は戦争をせずにいかに台湾を手に入れるか」が副題。台湾を囲む軍事演習や台湾に向かう船舶の検査を実施して事実上の経済封鎖状態に置き、抵抗する意思をくじくことなどを想定している。情報戦も駆使し、4年後をメドに台湾側が両岸平和委員会の設置に応じて外国との軍事協力などを停止し、実質的統一が果たされる道筋を描く。
オーストラリアの元首相で中国通のケビン・ラッド駐米大使も「戦争未満」と題したワシントン・ポスト紙への寄稿で「中国のグレーゾーン戦略」について警告した。やはり台湾を交渉のテーブルに着かせることが狙いと指摘する。
民主化を成功させ、世界の半導体産業をリードするのが台湾だ。AEIは国際社会が台湾との絆を保ち、中国に対抗する必要性を強調する。ラッド氏も台湾の友好国に軍事だけではない統合的な抑止力を強化するよう求めている。
頼総統は就任1カ月の記者会見で「中国は武力だけでなく、非伝統的な方法で台湾を言いなりにしようと脅迫しているが、台湾が屈することはない」と語った。台湾も「戦わずして勝つ」戦略への備えを始めている。
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中国の本音はどこにあるのか。興味深いのは英フィナンシャル・タイムズ紙が欧州連合(EU)関係者の話として報じた特ダネだ。習近平国家主席が昨年4月のフォンデアライエン欧州委員長との会談で「米国は中国に台湾を攻撃させようとしているが、そうしたワナには引っかからない」と語ったという。
習氏は「米国との衝突は多くの成果を台無しにする」と述べ、建国100年の2049年をメドに「中華民族の偉大な復興」を達成するという目標も失われるという認識を示したとされる。リップサービスともいえない。むしろ最高実力者が今の国力や米国との軍事力の差を冷静に見ていることをうかがわせる。
中国指導部は米国が中国を平和的に転覆させようと狙っているという「和平演変」論を信じ、かつてウクライナなどで起きたカラー革命の再現を警戒している。米側にそうした意図があるかは別として、米国の台湾支援を中国を戦争に引き込む「陰謀」と考えても不思議ではない。
日本政府は「今日のウクライナは明日の東アジア」や「台湾有事は日本有事」といった言葉を使い、南西諸島への自衛隊配備など抑止力を強化する。だが防衛力強化だけでは「戦わずして勝つ」中国の戦略に対応できまい。ラッド氏の言うように外交を含めた統合的戦略が必要になる。
「彼を知りて己を知れば、百戦して危うからず」。これも今も価値を失わない孫子の名言である。果たして「彼(中国)」の考え方、戦略を十分理解しているのか。
露朝の「軍事同盟」も東アジアの戦略環境を大きく変える。停滞している対中外交にも真剣に取り組むべき時だ。(第4土曜日掲載)