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「高血圧の基準が変わったらしいですね」
「高血圧は160mmHgからになったのですか」
昨年来、患者さんからよく尋ねられるようになりました。高血圧の基準は「収縮期血圧(上の血圧)140mmHg以上かつ/または拡張期血圧(下の血圧)90mmHg以上」で、以前から変わっていないのですが、こうしたウワサを信じてしまう人が多いようです。
なぜ基準が変わったと誤解されたのでしょうか?
厚生労働省の「標準的な健診・保健指導プログラム(令和6年度版)」は、特定健診での血圧が
①上160mmHg以上または下100mmHg以上の場合「すぐに医療機関の受診を」
②上140mmHg以上または下90mmHg以上の場合「生活習慣を改善する努力をした上で、数値が改善しないなら医療機関の受診を」
と、勧奨するようにとしています。
また、協会けんぽ(全国健康保険協会)は以前から、健診で血圧が160/100mmHg以上で未治療の方には「今すぐ受診を」と受診勧奨をしています。
2024年に高血圧の基準値が変わったわけではないのですが、この「160mmHg以上」という値が独り歩きしてしまったようです。
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日本高血圧学会も高血圧の基準について周知を図っている=同学会のホームページのスクリーンショット
血圧が高くても「薬は飲みたくない」「病院に行きたくない」「できれば何もしたくない」という人は多いので、こうしたウワサが広まってしまうのでしょう。
もう一度言います。高血圧の基準は140/90mmHg以上です。
声の大きい主張は通りがち
困ってしまうのは、医師の中にも「血圧は高くても問題ない」「高血圧の基準値が低すぎる」といまだに主張される方がいらっしゃることです。現在の基準は、さまざまな研究が元になっているのですがそれらを無視し、ご自身のフィーリングに基づいて発信されているようです。先ほども述べましたが、血圧が高くても「できれば何もしたくない」という人は多いですから、こうした医師が書いた本はベストセラーになります。
テレビでも、声が大きい人の主張が通りがちです。数年前あるテレビ番組に出演した際、「血圧は140/90mmHg以上でもよい」と根拠もない極論を自信満々に主張される某タレントさんがいらっしゃいました。正そうとしましたが全く聞き入れてくれません。しかし、休憩時間になって、このタレントさんが「さっきは、すみませんでした」と、私のところに謝罪に来られました。極論の主張は、ウケを狙ってのことだったのでしょう。それでも視聴された方は、声が大きい彼の主張が正しいように感じられたのではないかと思います。声の大きさには惑わされないようにしたいものです。
昔の基準は高かった?
「昔は高血圧の基準は高かった」「その基準が低くなったのは、製薬会社が薬を売ってもうけるためだろう」と主張される方もいます。
確かに、昔の高血圧の基準は高かったのです。約40年前、私が医者になりたてのころは160/95mmHg以上の場合、高血圧とされていました。さらに時代をさかのぼると、収縮期血圧が「年齢プラス90以上」が高血圧とされていた時代もありました。
医師に血圧を測定してもらう男性。当時、家庭用血圧計はなかった=1950年9月撮影
大昔の話なのですが、それを真面目な顔をしていまだに主張する医師がいるのです。不勉強も甚だしいです。大変残念ですが、血圧が200mmHgになっても、ご自分でそう固く信じて薬を飲まずに、大動脈瘤(りゅう)破裂で亡くなられた先生もいらっしゃいます。
日本高血圧学会の高血圧の基準は、健診や診察室で測った場合は140/90mmHg以上とされています。さまざまな研究によって、140/90mmHg以上では脳心血管病死亡率が上昇することが明らかになったためです。世界のガイドラインも同様です。
また、ご家庭での測定や24時間血圧計の測定では135/85mmHg以上が高血圧の基準です。この値の根拠のひとつが、1986年に岩手県大迫(おおはさま)町(現・花巻市大迫町)で始まった「大迫研究」です。住民に継続して家庭血圧や24時間血圧を測定してもらい、血圧と脳卒中のリスクや死亡リスクとの関係を調べました。
大迫研究によって、診察室血圧よりも家庭血圧の方が、さまざまなリスクとの関連が深いことも明らかになりました。このため、家庭血圧と診察室血圧の結果が異なる場合は家庭血圧を優先することになっています。
株暴落で脳出血、仮面高血圧の怖さ
診察室では緊張する方が多いですが、こうした緊張のため、診察室血圧は家庭血圧よりも高いことが多く、「白衣高血圧」と呼んでいます。一方、診察室血圧は正常なのに家庭血圧は高い場合は「仮面高血圧」と呼んでいます。仮面高血圧は非常にリスクが高く、脳卒中や心臓病の発症頻度が、治療で血圧をコントロールできていた患者の2倍以上という研究もあります。
仮面高血圧は、診察室の血圧測定では全く診断できないためやっかいです。
忘れられない患者さんがいらっしゃいます。60代の男性で、脳出血を起こしたことがあり、お薬で血圧をコントロールしていました。診察室で測定する血圧は安定していたのですが、脳出血が再発してしまいました。きっかけは、持ち株の大暴落でした。右半身にまひがおこり、ふらつきもあり、しゃべるのも一苦労のようでした。
このときの男性の血圧は外来で測定すると135/74mmHgと問題のない数字でした。しかし、私は「待てよ……」と思い、脳出血で10日間入院した後、退院した男性に24時間血圧計をつけてもらうことにしました。すると、24時間血圧計での男性の平均血圧は143/85mmHgと高い状態でした。
男性は、診察室血圧は安定しているものの、家庭血圧は高い「仮面高血圧」の状態だったのです。診察室での血圧をもとにお薬を処方していましたが、そのお薬だけでは降圧が不十分でした。男性のお薬を少し上乗せして増やしたところ、24時間血圧計での平均血圧が129/73mmHgにまで下がり安定しました。その後の再発もありませんでした。
こうした事例もありますから、病院や健診で測定した血圧の値が問題ない方も、ぜひ、家庭で血圧を一度測定していただけたらと思います。
特にたばこを吸われる方は、仮面高血圧に要注意です。たばこは血圧を上げますが、診察前や健診前に喫煙する人はいないでしょう。このため、診察室での血圧は通常よりも低くなることが多いのです。
すぐに薬を飲むわけではない
基準値をオーバーしてしまったら、どうしたらよいのでしょう。「薬は飲みたくない。だから病院には行かない」という人も多いかと思いますが、基準値をオーバーしたからといって、すぐにお薬による治療を始めるわけではありません。
脳心血管病の既往歴、糖尿病などの重大なリスクがある場合は別ですが、基本的にまず取り組むのは生活の改善です。減塩や運動、減量、お酒を減らしたり、たばこをやめたり、リラックスすること、睡眠時無呼吸症候群の治療をすることなどで、血圧が大きく下がることもあります。
降圧目標(※)は75歳未満の場合、診察室血圧で130/80mmHg未満です。140/90mmHg未満であっても、115/75mmHgぐらいまでは血圧が高いほど脳卒中や心疾患の死亡リスクがあるためです。高齢者は過度の降圧は臓器障害につながることがあり、自力で外来通院が可能な75歳以上の場合の降圧目標は140/90mmHg未満としています。
こうしてさまざまな取り組みを1カ月続けて、それでも改善しなかった場合、お薬による治療も取り入れていくことになります。学会の治療ガイドライン(※2)にも、そう定められています。現在の高血圧治療について「基準を少しでも超えるとすぐに薬を出す」と非難される人もいますが、この方が高血圧治療のことをどれだけご理解していらっしゃるのか疑問です。
薬を処方するときにも、最初から強い薬を出すことはありません。急に血圧が下がり過ぎても調子を崩してしまうことがあるので、作用が穏やかな弱めのものを処方し、必要であれば少しずつ、重ねていくようにしています。
声が大きい人の主張は、極論で間違っていても通ってしまうことが多いので、たいへん苦慮しています。こうした言動に惑わされないようにしていただければと思います。
※本文中の降圧目標は、診察室血圧によるもの。家庭血圧の場合は診察室血圧から5mmHg引いた値が目標。
※2高血圧治療ガイドライン2019 第3章
https://www.jpnsh.jp/data/jsh2019/JSH2019_noprint.pdf