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毎日新聞2024/6/29 東京朝刊有料記事1015文字
<do-ki>
東京に生まれ育ち、仕事も大半が東京だった。我ながら偏りにじくじたる思いがある。一番残念なのは、東京愛が薄れたことだ。
昔は好きだった。今も文庫サイズの地図を持ち歩く。発行は30年前。古びても地名や道路は変わらないから用は足りる。
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でも考えたら実用性より、細かな書き込みがたくさんあって捨てられないのだと気づいた。
気になった店の赤丸、欄外にメモした住所と電話番号、迷いやすい道順をなぞった蛍光ペンのジグザグ。天地左右は付箋だらけ、雨染みと補修テープでぼろぼろ。
もっと考えると、これはなじんだ用具への愛着ではなく、かつて歩き回った記憶への愛惜だ。
歩く東京は面白かった。知らない町へ向かうときは1駅手前で電車を降りる。調べておいた古本屋をちょっとのぞく。廃業していることも多いが、それも出合い。
思いの外に地形は複雑で、水も緑も空も豊かに息づき、区画されていない道は奥へ入りくみ、表通りから一歩入れば時代を飛び越えたような暮らしや歴史が現れる。町ごとに表情があった。
永井荷風の「日和下駄」や開高健の「ずばり東京」といった東京散策ルポの名作と照らし合わせると、さらに興は増した。
習慣が絶えたのは、東京がどこも同じ顔しか見せなくなったからだ。風格ある屋敷町がビル街に一変、しもた屋風の家々を足元に従えて摩天楼がそびえ、由緒ある神社までコンクリート製の要塞(ようさい)と化す。港区を中心に次々と新築されるキラキラビル群がとりわけ苦手だ。近づかずにいたら、歩く町がどんどんなくなった。
都知事選は後半戦。東京をどうするかは、国家戦略の中核だが、本来なら責任を持って将来像を競い合うべき国政政党は逃げ腰だ。各候補の政策は「輝く」「成長」「活力」「安心」といった言葉がフワフワしている。
満員電車に乗っていると乗客の顔が、ここで大地震が起きたら自分も死ぬのかなと半ば諦めの境地で揺られているように見える。
世界の都市競争を勝ち抜くため、高さと速さ、数量とパワーをもっとかさ上げしようと励むのが、本当に東京のめざす姿なんですか。そう尋ねたいのに、答えてくれる候補者は見当たらない。
バブルがはじけるまで、東京は夢の都だった。「死にたいくらいに憧れた東京のバカヤロー」(長渕剛「とんぼ」、1988年)と歌われた愛憎が懐かしい。今や地方育ちの善良な若者は、選択の余地なく巨大なブラックホールに吸い込まれていく。(専門編集委員)