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毎日新聞2024/7/3 東京朝刊有料記事4355文字
桂勲・元国立遺伝学研究所長=本人提供
新たな万能細胞として、2014年に華々しく発表された「STAP細胞」は、約5カ月後に論文が撤回され、幻に終わった。一連の騒動から10年が経過したが、捏造(ねつぞう)や改ざんといった研究不正の報告は後を絶たない。不正は社会にどんな影響を与えるのか。どうすれば減らせるのか。
「ストーリー先行」研究不正 桂勲・元国立遺伝学研究所長
10年前、問題の発覚を受けて理化学研究所から「研究不正があるかどうかの判定をしてほしい」と調査委員会の委員長就任を依頼された。社会的に影響が大きい問題になっていたので、誰かが決着をつけないといけないと考え、引き受けた。
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論文は図表の大半が不正を疑わせ、研究チームでは図表に関する具体的な議論がなかったのではないか、という印象を持った。しかし調査で最も困難だったのは、論文の筆頭著者だった元研究員による実験ノートに記録がほとんどなかったことだ。実験の生データを確認できず、当初は不正を認定するための根拠もなかった。結局、元研究員の出勤記録や遺伝子配列を高速で解読する装置の記録などが不正認定の根拠となった。
調査中は、結論が出る前に委員会内部の情報が外部に漏れ、メディアが報じた。情報が間違って社会に伝わることを危惧した。人間は動揺する生き物。委員の公正な判断を妨げる可能性もあった。結局、予定を少し早めて2014年12月に調査結果を公表した。私はあまりタフな人間ではない。精神的なプレッシャーは大きく、その後、疲労で数日間寝込んだ。
一般社会で大きく騒がれたという意味では「大きな不正」だった。論文の発表時は明らかに異常だった。元研究員がかっぽう着を着て、実験室の壁はピンク色に塗られており、過剰な演出に見えた。広報のあり方も考えさせられた。
STAP細胞論文の不正は、それまでの多くの不正とはタイプが異なる不正だった。従来の不正は、どうしても論文を掲載させたい時などに、自らの良心に反して不正をすることが多かったという印象だ。一方、STAP細胞論文は事前に研究のストーリーを決め、それに沿うようにデータを組み込むような特徴があった。言わば「ストーリー先行型研究」から生まれる、当時は新しいタイプの不正だと思った。
調査委の調査報告書には、「STAP問題は科学者コミュニティーに突き刺さった1本の矢である」と書いた。この問題を教訓にすべきだというメッセージを込めた一文だった。しかし研究不正は現在も減っていない。
不正を防ぐためには、研究室のメンバーでデータを見せ合い、突っ込んだ議論をすることが最も大切だ。そうした基礎教育の文化が根付いた研究室であれば、悪意を持った人が入ってこない限り、不正は起こらないと考える。研究者としての振る舞いをきちんと見せ、若い研究者を育てることが重要だ。
研究者が論文の「数」で評価されていることも根本的な問題だ。科学者の生きがいは科学を進展させること。賞や著名学術誌への論文掲載にこだわるのではなく、科学によって社会に貢献する、ここに立ち戻る必要がある。やはり論文の内容で評価すべきだ。
効率の良さを重視する風潮にも危機感を持っている。研究者は、失敗の経験から成長していくものだからだ。【聞き手・鳥井真平】
時間、人材の無駄につながる 市川家国・公正研究推進協会専務理事
市川家国・公正研究推進協会専務理事=鳥井真平撮影
STAP細胞論文の問題はメディアの反応が非常に大きかった。そのため調査委員会がデータが残っていないことを確認しただけでは、調査を打ち切るわけにはいかなかった。STAP細胞が存在するか否かの検証実験まで行われたが、研究不正の調査ではそこまでやらないことが今日では普通だ。
この問題では、論文著者が所属していた当時の理化学研究所発生・再生科学総合研究センターのセンター長までもけん責処分を受けた。しかし、果たして個々の研究の管理はセンター長の役目だったのだろうか。日本の「切腹文化」で、誰かが責任をとらなければ国民が納得しないと考えたのかもしれないが、何でもかんでも任命責任だと責任を取らせるべきではない。やはり、責任は論文の著者にある。それは逃れられない。
理研が設置した外部有識者による改革委員会は2014年6月にセンターの解体などを提言し、それを受けて実際に組織再編が行われた。私は問題を起こした機関ほど他の機関に比べて良くなると考えている。例えば病院で医療事故が起きた場合、その病院では警戒心が強まる。他の病院は対岸の火事だと考えがちだ。理研は非常に苦労したと思うが、結果的に良い面もあったのではないだろうか。
研究不正がなぜいけないのか。論文を読んだ研究者は、その論文を基に次の段階の研究を進めるが、何度実験をしてもうまくいかない。医学分野の臨床研究では、患者に副作用を及ぼしてしまう危険性もある。不正は時間や人材の無駄になる。研究費の原資の多くは税金で、最終的には国民全体に影響が及ぶことにもなる。
残念ながら科学界では、有名な学術誌に論文が掲載されると、バイブルのようになってしまう。正しいというバイアス(先入観)がかかり、他の研究者も追随するようなデータを出してしまう。
国の研究不正に関するガイドラインは(研究機関の責任を明確化した)14年の改定から10年が経過した。捏造(ねつぞう)、改ざん、盗用が研究不正とされているが、具体的な事例だけでなく、将来に向けて総論的な内容を盛り込んで再改定すべきではないか。
研究不正というのは、要するに「他の研究者の誤解を招く行為」のことだ。研究結果を見てから、それが研究前からの自分の仮説だったと主張する▽自分の好みの結果が出る統計を選ぶ▽意に沿ったデータを選択する――などの誤解を招く行為がなぜいけないのか。そうしたことを含めたガイドラインを作った方がよい。
不正の調査は調査を担う大学などの研究機関に任されているため、同じ不正でも機関によって違う判断が出かねない状況になっている。米国には国が助成した研究の不正を調査する研究公正局(ORI)という公的組織がある。日本にそうした組織は無いので、研究機関による調査が妥当だったか評価する外部機関があってもいいのではないか。そのためには、幅広い分野の研究全体を理解しているゼネラリストの教育が必要だ。【聞き手・鳥井真平】
「魔女化」させられたリケジョ 内田麻理香・東京大特任准教授
内田麻理香・東京大特任准教授=本人提供
STAP細胞論文が発表された際、「オレンジジュース程度の酸性に浸すと細胞が万能性を発揮する」という説明は、キャッチーで分かりやすいと思った。また、研究チームを率いたのが当時30歳の若い女性研究員だったこともあり、私も好意的に受け止めた。
一方で、彼女がまとうかっぽう着や服装、ピンクや黄色に彩られた研究室などの「設定」に、テレビ的な受け狙いを感じた。メディアは「リケジョ(理系女子)の星」という表現を多用し、研究成果よりも彼女のファッションなどに女性性を見いだし、そればかりを紹介していた。
人となりを伝えることで、それをきっかけに研究に興味を持ってもらえることはある。しかし、報道内容が「若い『リケジョ』が快挙を成し遂げた」ばかりになり、次第にげんなりした。
「リケジョ」という言葉は、2007年ごろに登場した。10年には講談社が商標登録している。その頃は「キラキラした女子」が強調され、「理系なのに可愛い」が求められた。単に理科や数学が好きな女性が、キラキラや「映え」まで求められてしまった。
STAP細胞はインターネット上で論文の画像が分析され、1カ月もしないうちに疑問が呈された。リケジョとして持ち上げられただけに、その後のバッシングはひどかった。
この女性研究員1人の責任ではないにもかかわらず、1人だけまるで魔女のように扱われた。「能力のない人が『女子力』を使って人々を惑わせ、科学界の信頼を失わせる事件に発展させた」という、女性蔑視的なストーリーが作られたと思う。
しかし、彼女がまともな実験ノートを書いていなかったことについては、(元研究員が卒業した)早稲田大の教育にも責任がある。また、後に日本でもさらに大規模な研究不正が起きているにもかかわらず、「研究不正といえばSTAP細胞のあの人」となってしまった。
人はシンボル的存在に共感したり、反発したりしてコミュニティーを作り、大きな動きにつながっていく。例えば米国の生物学者で「沈黙の春」の著者であるレイチェル・カーソンさんや、スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンベリさんといった女性らは環境保護活動のシンボルとなり、大きなうねりを生んだ。一方でSTAP細胞の問題では、リケジョの象徴として一人に全てを背負わせ過ぎてしまった。私の授業では、過剰にシンボル化された例としてSTAP細胞の問題を取り上げている。
問題発覚によって科学界では研究倫理教育が強化された一方、市民と科学の関係にも変化が生じた。それまでは神聖視されていた科学に、失敗があり、撤回されることもあると市民は知ることになった。
科学を特別視せず、日常の暮らしの中で自然と科学に触れる人が増えることによって、10年前のようなセンセーショナルな、科学に対する反作用は起きにくくなるのではないかと考えている。【聞き手・菅沼舞】
別細胞混入の可能性
理化学研究所の女性研究員らは2014年1月、体細胞を刺激することでさまざまな細胞に変化できる「STAP細胞」の作製に成功したと英科学誌に発表。iPS細胞(人工多能性幹細胞)に対する優位性も主張した。ネット上で疑義が呈されたことをきっかけに、論文は同年7月に撤回され、理研の調査委員会も図表の捏造を認定、ES細胞(胚性幹細胞)混入の可能性が高いと結論づけた。
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■人物略歴
桂勲(かつら・いさお)氏
1945年生まれ。73年東京大大学院博士課程修了。91年国立遺伝学研究所教授。2012~18年に遺伝研所長。14年にSTAP細胞論文に関する理研の調査委員長を務めた。
■人物略歴
市川家国(いちかわ・いえくに)氏
1946年生まれ。72年慶応大医学部卒。米バンダービルト大教授、東海大教授などを歴任。2014年に理研の「研究不正再発防止のための改革委員会」の委員を務めた。
■人物略歴
内田麻理香(うちだ・まりか)氏
1974年生まれ。東京大大学院工学系研究科修士課程修了、2019年博士号(学際情報学)取得。23年から現職。専門は科学技術コミュニケーションで著書多数。