天一国安着のために - 14. 調和
夫婦が互いに愛し合うときに、いつまで愛するのかと尋ねるとき、若かった時まで愛すると言えば気分が良いでしょうか。死ぬ時まで愛するように願うのです。その次には、永遠に愛することを願うというのです。永遠は未来を中心として全体を身代わりするのです。死ぬ時まで愛するということは、自らのすべてのものを与えて愛するということです。
「永遠に」は、全体的であり、「死ぬ時」までは、すべてを愛するということです。それでこそ喜ぶのです。娘たちが嫁入りすれば、間違いなく夫に「あなたは私を愛しますか」と尋ねてみるでしょう。愛すると言えば「私のすべてを愛しますか、一部を愛しますか」と尋ねたとき、すべてを愛すると答えてこそ、気分を良くするというのです。男性もそうです。神様の調和がそうなっているというのです。
(天一国経典『天聖経』第5篇・第3章・第2節・8)
男性と女性は愛を中心として、絶対的に一つにならなければなりません。一つになれば、どのようになるのでしょうか。争うのではありません。愛の調和を形成しなければなりません。そうすれば、そこに幸福が宿り、平和が花咲き、永遠の天国が広がるのです。そこから永遠の世界が訪れてくるようになっています。
(同 第3篇・第1章・第4節・53)
到来する未来世界は、神様と人間と万物が調和を成し遂げる新しい心情文化、真の家庭による愛の文化の世界です。真の愛によって互いのために生きながら、和合、協力し、共に暮らす共生共栄共義の世界です。未来の歴史は、人類は、みな兄弟姉妹であることを念願する、人種を超越した真の愛による真の家庭、真の父母中心の真の家族理想によって「世界一家庭」の夢を実現する歴史でなければなりません。
(天一国経典『天聖経』第12篇・第3章・第4節・21)
今日の世界は、人倫道徳が手のほどこしようもないほど崩れています。父母と子女間の天倫が地に落ち、夫婦間の貞節は既に旧世代の産物として捨てられ、兄弟間の友愛も、今や利己的個人主義の沼に埋もれ、見いだすこともできない世の中になりつつあります。
したがって、人間は、何よりもまず真の愛に基づく真の家庭を築かなければなりません。真の父母を中心として三代圏を形成し、真の愛でひと所で調和して暮らす家庭を完成しなければならないという意味です。
(同 第13篇・第2章・第3節・4)
神様は、御自身が安心して「私たち」と呼ぶことのできる真の男性と真の女性、すなわち神様の真の息子、娘を探し求めて復帰摂理をしてこられました。言い換えると、神様は、愛の主体、生命の主体、血統の主体であられるので、永遠に一体不可分の基準に立っている真の息子、娘を探し求めてこられたのです。
ですから、私たちは、まず心と体の統一によって個人完成し、その基盤の上で神様と父子間の縦的関係を樹立しなければなりません。
しかし、縦的な関係だけでは「私たち」という言葉は成立しません。そこには必ず横的な関係が共に調和しなければなりません。したがって、男性と女性が、真の祝福結婚を通して真の夫婦関係を結び、真の子女を生んで真の家庭を立て、三代を中心として四位基台を完成してこそ、天は家庭単位で「私たち」と呼ぶことができるようになるのです。
(『平和経』141)
平和世界の基本単位は、国家ではなく円満な家庭です。神様に侍る人格、すなわち心と体が一つになって調和した男性と女性が、神様の祝福のもとに夫婦となった家庭が、その単位となります。人類の歴史が始まって以来、真の父母を通して初めて探し出された家庭です。真の愛で家庭の構成員が調和一体を完成した、和気あいあいとした家庭です。
このような家庭が繁栄し、平和な氏族、民族、国家、世界を形成していくようになります。一なる神様のもとに、真の愛を中心として人類は一家族となり、天宙が一つになることが、本来の神様の理想でした。
(『平和経』186)
皆様が失われた本然の家族を訪ねていくときは、アダム完成の位置で、イエス様完成の位置で、そして再臨主を代表する完成した位置で行かなければなりません。その家庭には、神様が臨在され、祖父母、父母、子女が共に調和して暮らす三代の家族になるでしょう。祖父を歴史的な先祖の根として侍り、暮らさなければなりません。
共に暮らす人生の典型は家庭です。父母と子女は愛と尊敬で、夫婦は相互信頼と愛を土台として、兄弟姉妹は互いに信じて助け合いながら、一つになって暮らす家庭が、正にモデル的理想家庭だというのです。真の愛の根に真の愛の幹が生じ、真の愛の実を結ばせる、真の家庭を探し立てなければならないという意味です。そのような家庭には歴史の根が生きており、天の国の根が張っているというのです。
(同 637)