研究成果のオープン化を巡る混乱について、以前にも書いた(「ロシアの大学院生が起こした『革命』」)。学術専門誌で少数の出版社が暴利を貪っている。それが大学全体の財政を圧迫している。また国民の支払い(税金など)で得られた科学技術成果に、特権を持つ者しかアクセスできない不公平をもたらしている。この問題は前からあったが、ロシアの一学生が立ち上げた海賊版の論文サイト(Sci-Hub)にアクセスが急増して、問題が表面化した。そんな内容だった。
ドキュメンタリー「PayWall」から 日本でも問題化すると予測したが、2年半を経て、裏付ける関連記事が相次いで出た(「研究者を誘惑する論文海賊版 高騰する購読料、大学圧迫」「有料論文に海賊版サイト 国内の不正入手、127万件」;共に朝日デジタル、11月12日)。
一方米国では、この問題を追及するドキュメンタリーが公開された(Paywall: The Business of Scholarship | Viva Open Science! | LEAF)。筆者の所属するカリフォルニア工科大学(カルテック)でも鑑賞会と討論会が開かれ、筆者もパネリストとして参加した。あわせて現況を報告したい。
海賊版を追うドキュメンタリー
高額購読料を取る従来の出版形態を一方の極に、先の海賊版サイトを他方の極に置くと、その中間形態としてオープンアクセスジャーナルと、機関デポジトリ(レポジトリ)などがある(図)。オープンアクセスジャーナルは依然として学術誌の形態を取るが、論文へのアクセス・ダウンロードがすべて無料という点がちがう。PLoS(公共科学ライブラリー)という組織が、多くのオープンアクセスジャーナルを公刊している。中でも代表的なPLoS ONE誌をみると、専門家の査読を要する点は従来型の専門誌と変わらない。だが分野を問わず、単なる追試であっても、また否定的なデータであっても公刊する。
学術出版形態の分類 さてこれを踏まえて、先にふれたドキュメンタリー「PayWall」だが。なかなか迫力ある中身なので、英語が苦手という読者のために内容を紹介しよう。タイトルは「価格の壁が(科学成果への)自由なアクセスを妨げる」といったニュアンスだ。数十人の専門家へのインタビューから構成されている。基本は「営利出版社糾弾、オープンアクセス万歳」というトーンだ。
実際、学術出版ビジネスは暴利を貪ってきた。250億ドル超(約2兆8千万円)の利益が、毎年少数の出版社へと流れ込んでいる。生物学のトップ専門誌「セル」などを出しているエルゼビア(Elsevier)社に至っては、35〜40%の利潤率だ。この数値は、最も高利潤をあげているといわれるフェイスブック、グーグルなどのIT系巨人よりも高いぐらいだ。ちなみに世界最大のスーパーマーケットチェーン、ウオルマートは(時に「ブラック」と批判されるが)3%ぐらい、トヨタなど自動車産業で10%前後だ。35%超というのは、マーケット独占の証拠と言うしかない(なおドキュメンタリー製作側の再三のアプローチにも関わらず、エルゼビア社は登場することを拒んだという)。
有名学術誌の論文は注目度も高い エルゼビア社のデジタル購読料は、1誌につき高いものは年間1万700ドル(120万円弱)以上。もちろん大学の財政を悪化させ授業料が跳ね上がるが、これは大学だけの問題ではなく、社会全体の未来に関わる問題だ。情報を誰がコントロールし、誰が誰に対価を払うのか。情報=権力であるとすれば、権力構造の問題ですらある。
出版社は論文著者に金を払わない(どころか掲載料を取る)。個人がネット上で論文にアクセスしようとしても「論文1点につき4、5千円払え」と表示が出る。他方、大学に対する購読料は取り放題だ。さらに市民=納税者には、この暴利の仕組みが見えない。深刻なモラル・ハザードというしかない。
ドキュメンタリーには、SCI-HUBの創始者(A.エルバキャン)も登場する。彼女は過激なイメージに反してソフトな語り口で、天敵のエルゼビア社をもユーモラスに批判した。作品全体としては、現状の深刻な問題点が、SCI-HUBによって提起されたという捉え方だ。ちなみに出版社側からの訴訟、有罪判決などいろいろあったが、未だにサイトは健在で、年間のべ1億5千万件のダウンロード数を誇っている。その内訳は中国がトップで2千5百万件、続いてインドが1千3百万件というのも示唆的だ。
SCI-HUBの健在ぶりは、学術出版と関連制度の「失敗」を意味する。「オープンアクセスその後」というなら、SCI-HUBの健在こそが最大のニュースかも知れない。ドキュメンタリーの中で専門家のひとりは(違法判決は承知のうえで)「自分は必ずしも反対ではない」と明言した。
カルテックでの討論会から
さてわがカルテックでも、オープンアクセスをテーマにパネルディスカッションが行われた。パネリストは、まずカルテック図書館のベテラン司書2名で、そのうちひとりはCaltechAUTHORS(カルテックのリポジトリ、論文数7万7千本超)の管理もしている。他にPLoS ONE誌(前出)の編集長(J.Heber博士)と、機械学習の権威でオンライン無償教育(MOOKS)の先駆者でもあるY.S.アブ=ムスタファ教授、そして筆者だった。筆者が指名されたのは、カルテック教授連の中でもオープンアクセスジャーナル(特にPLoS ONE誌)への公刊数が多いから、という理由だったらしい。
まず図書館サイドからオープンアクセスの歴史回顧と共に、次のような問題提起があった。「出版社は論文著者から、自発的に知的財産の提供を受けている。また言い値の購読料を、大学図書館は(学内のニーズに応えるため)拒否できない。まことにいびつなマーケットになっている」と。またHeber博士は編集長の立場から、「アクセスのみならず、研究発展のためのデータ再利用をライセンスなしで可能にする。そういうオープンサイエンスの方向へと、時代は動いている」とオープンアクセスのねらいを述べた。アブ=ムスタファ教授は「科学情報の独占、それを許すかどうかだ」と明快に問題を整理した。
筆者もこの機会を捉えて「オープンアクセスジャーナル以外に、機関デポジトリも広がっている。見方によってはライバルだが、どのように考えているか」「アクセスが無料になるのはよいとして、論文著者の側から見ると、依然として掲載料が高い(研究資金の乏しい低開発国の研究者には負担になるのでは)」と、挑発的な質問をぶつけてみた(ちなみにPLoS ONEの論文掲載料は14、5万円程度)。これに対してHeber編集長は「(機関デポジトリは)志を同じくする仲間と考え、支持している」「掲載料が高いというが、従来型の学術誌に比べて必ずしも高くない」と答えた。
日本でも、そして今後は
国立大の論文雑誌電子版購入費の推移 日本でもこの問題が表面化してきた。国立大による論文電子版の購入費は2006年度には約60億円だったが、9年間でほぼ倍増、大学の財政を圧迫している(前出記事;図)。他方海賊版サイトSCI-HUBは、年間ダウンロード数約1億5千万件と先に書いたが、日本国内だけでのべ約127万件がダウンロードされ、なお急増している。
世界はオープンサイエンスに向かっている。だが知的財産権や研究者の業績評価、ビジネスチャンスを誰が得るかなどの問題が絡んで、混乱は広がりそうだ。背景には現代社会の過激な「情報実体化」がある。情報の寡占化と金の流れの問題がこれに重なる。わかりやすく言えば、情報資本主義(=権力化)vs.公共の利益・情報民主主義の構図だ。オープンアクセスは、その応用問題にすぎない。
私たちは今混乱の最中におり、崖っぷちにいる。次の10〜20年で何が起こるか、誰も想像がつかない(「Paywall」の中の専門家の発言)。
朝日新聞 WEBRONZA 2018年12月10日 記事引用