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毎日新聞2024/7/8 東京朝刊有料記事1845文字
七尾高校にて。講演後たくさんの質問が出た
いつの時代も「活字離れ」が心配されている。ぼくが大学生だった頃も、「若者の活字離れ」が危機感をもって伝えられていた。そして、令和の現代もそれは変わらない。統計分析研究所アイスタットの活字離れに関する調査によると、活字離れを感じている人は約8割を占め、年代別で20代、30代が多いという。毎日1回以上読むものの第1位は、手っ取り早く読める「アプリ版ニュース」(37%)。だが、「新聞」も33%と第2位を占めている。
ぼくは新聞は紙で読みたいので、4紙取っている。ネットでも読めるのだが、紙面を大きく広げると、この日のニュースの全体像が目に飛び込んでくるのがいい。
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活字離れの原因となっているのは「読む時間が確保できない」が28%を占めていた。本好きのぼくとしては残念だが、分からないでもない。それに、活字を読む習慣がないと、読解力がつかず、読むこと自体がつらいと感じてしまう。しかし、活字に慣れる前に、活字を読まなくなってしまうのはとてももったいないことだと思う。
ぼくは、ライフワークとして中学や高校で「教科書にない一回だけの命の授業」を続けている。子どもたちに医療現場や被災地支援、そしてぼく自身の人生で経験したことを伝えている。
そのなかで、よく話すのは「偏差値よりも変さ値」という話だ。偏差値は、1957年に東京都港区の中学校教諭・桑田昭三氏が考案した。進路指導の際に、教師の主観ではなく、信頼できる指標をつくりたいというのが目的だった。しかし、偏差値は一人歩きし、人生を決めてしまうような大きな存在になっていった。ぼくが高校生だった60年前も、偏差値教育が過熱し、息苦しい思いをしたことが思い出される。
だから今の子どもたちには、偏差値よりも人とどれだけ違う個性をもつかということを意識してもらいたい。「変さ値」である。周囲の空気に流されず、周りから「変だ」と言われても、自分の考えを大切にしてもらいたい。人と異なる「変さ」がその人の武器になるはずだ。肝心なのは、他人の「変さ」も認めること。「変さ値」が高い人が増えていけば、日本はそれぞれが個性を発揮できる活気に満ちた国になっていくと思う。
今年6月、石川県立七尾高校での「命の授業」でも、そんな話をした。全学年の生徒たちが熱心に耳を傾けてくれ、授業の最後には質問の手も挙がった。素直な心で人の話に関心をもち、理解しようとする姿勢は読書にも通じる。すばらしいと思った。
読書は、「変さ値」を高めるのに大事なものだとぼくは思っている。本を通してさまざまな世界や価値観と出合うことで、常識は一つじゃないことに気づかされるからだ。「自分のなかのあたりまえ」が、「世の中や他人のあたりまえ」ではないことに気づくことは、人間として豊かに成長していくうえで欠かすことができない。
人と人が完全に分かり合うことも難しい。それを分かっていながら「自分のことを分かってもらえない」と苦しみ、「あの人のことが分からない」と相手を遠ざけてしまう。でも自分のことも分かっていないのに、家族やパートナー、友だち、仕事仲間のことが分からないのは当たり前なのだ。
「分かっているつもり」になっているから、思い違いや齟齬(そご)といったトラブルが起こる。分かり合おうとするより、伝え合うことのほうが大事だとぼくは思う。読書による追体験は、相手にどう伝えたらいいかの練習だ。この練習をたくさんしている人は、人といいコミュニケーションができる。
会話とはキャッチボールだとよく言われる。でも今のSNS(ネット交流サービス)を中心にしたコミュニケーションは、自分の投球能力を見せびらかす投げっぱなしのコミュニケーションだ。相手のことを想像し、相手のキャッチしやすさなんて考えていない。だから言葉が暴力にもなる。読書は、言葉がどんな力をもつのかを、安全に体験できる機会だと思う。
しかし、そんな読書を支える町の書店が減っている。10年前は約1万5600店舗あったが、2023年は3分の2の約1万900店舗に。書店がゼロの地域も珍しくない。プレジデント社はコンビニ大手セブン―イレブンで、本やムックを売る新しい挑戦を始めている。たくさんの人に、もっと手軽に本を読んでもらいたいという趣旨にぼくは賛同し、『がんばらない勇気』(プレジデント社)を出した。若者をはじめ多くの世代の読書を後押しする機会になれば、と期待している。(医師・作家、題字も)=次回は9月2日掲載