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毎日新聞2024/7/15 東京朝刊618文字
千田是也演出で1950年に上演されたチェーホフ「三人姉妹」の一場面=劇団俳優座提供
「生きていかなくてはいけないのね……。働かなくてはいけないのね。必要なのは、ひたすら働くことだけ!」。ロシアの作家、アントン・チェーホフの4大戯曲の一つ、「三人姉妹」(浦雅春訳)の幕切れ近く、三女イリーナのセリフである▲先月発表された政府の「骨太の方針」を読んでいると、そんなチェーホフの言葉が浮かんできた。2030年代に人口減少の加速化が見込まれ、経済成長のためには「生産性向上」「労働参加拡大」が必要だという。まさに「働かなくてはいけないのね」だ▲夢に見るモスクワへの帰郷はかなわず、幸せも遠のく。「三人姉妹」に限らず、チェーホフは思い通りにならない人生の中で、なんとか現実と折り合いをつけながら生きていく人々を愛情とユーモア、ペーソスを込めて描いている▲日本では明治時代に紹介されて以来、絶えず上演されてきた。医師としても人々の救済に奔走した作家は120年前の今月、44歳の生涯を閉じた。ちょうどその日に生まれた演出家の千田是也は「社会の発展に対するかれの鋭い洞察」に興味を引かれたと書く▲200年後、300年後を見据えたセリフがたびたび出てくる。「未来には新しい、仕合わせな生活がきっと訪れる」。そのために仕事をし、苦しんでいるのだと▲一方で、こんなことも登場人物に言わせる。「千年経(た)ったって人間は相変わらず、『ああ、生きてくのがつらい!』と溜息(ためいき)をついてることでしょう」。チェーホフの言葉が現代にこだまする。