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毎日新聞2024/7/16 06:00(最終更新 7/16 06:00)有料記事2118文字
ハリウッドの看板=ロサンゼルスで2017年、ロイター
「私は三つの基本的な条件を満たした映画しか見に行かない」。米国の漫画家アリソン・ベクデルさんは代表作「Dykes to Watch Out For」(未邦訳)でレズビアンの登場人物に語らせた。1985年のことだ。
作品の中に少なくとも2人の女性が登場するか、その女性同士に会話はあるか、会話の内容は男性に関する以外の話題か――。
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三つの条件はやがて「ベクデルテスト」と呼ばれ、映画やドラマ、演劇などにおけるジェンダーバイアスを判断する基準として学術研究でも使われるようになった。三つを満たさないハリウッド作品は今も珍しくない。
「気候変動版のベクデルテスト」が必要だと唱える研究者がいる。リベラルアーツカレッジの名門、米コルビー大学で英語学を教えるマシュー・シュナイダーマイヤーソン准教授。環境問題を扱った文学が読者に与える影響についての実証分析を専門とする。
映画やドラマに気候変動を盛り込む脚本づくりを支援する非営利のコンサルティング会社グッドエナジーと出会い、生まれたのが「気候リアリティーチェック」だ。映画に気候危機が反映されているかを測るものさしとして、次の二つを満たせば合格とみなす。
・作品に気候変動が存在するか
コルビー大学のシュナイダーマイヤーソン准教授とグッドエナジー社が公開した「気候リアリティーチェック」のホームページ
・登場人物が気候変動を知っているか
「私たちが生きている現実が表現されているかを問う『最低限のテスト』です。すべての物語が、気候変動を中心にしたものであるべきだと主張しているわけではありません」。シュナイダーマイヤーソンさんは、シンプルな設計の意図をそう解説する。
2022年までの10年間に英語圏でヒットした250本の映画を調べたところ、合格したのは9・6%だった。対象は06年以降の地球を舞台にしたフィクションに絞り、22世紀より未来を描いた作品も除外して、映画批評サイトIMDbで各年のランキングから上位25本ずつ抽出した。
面白いことに合格した作品の興行収入の平均は、気候変動を扱わないものより1割高かったという。シュナイダーマイヤーソンさんにとっては「意外な発見」だった。「気候変動を盛り込んだら興行的に不利になるという俗説に根拠がないと示せた点で、非常に有意義な結果だと言えるでしょう」。従来、ハリウッドでは中絶問題のように極端に政治争点化した問題を扱う作品は売れないとみなされて避ける傾向にあったそうだ。気候変動もその例外ではなかった。
合格した作品にはSFやアドベンチャー、ヒーローものが目立ったが、ヒューマンドラマやホラーコメディーなど広いジャンルに及んでいた。中でも22年のカンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞した風刺コメディー「逆転のトライアングル」は、「特に創造的で巧みな方法」で脚本に気候変動を取り込んでいたとしてシュナイダーマイヤーソンさんが薦める一本だ。
「気候変動は遠い地や世界の終わりの物語ではありません。私たちが暮らす場所や愛する人たちに既に影響を及ぼしており、どんなジャンルの映画にも創造的に組み込むことができるのです。教訓をたれるような退屈な物語だと思い込んでいる人たちも、ぜひこれらの映画をみてほしい」
気候リアリティーチェックに合格した映画
もっともアレゴリー(寓意(ぐうい))としての表現もあるから、気候変動を内包する作品でもリアリティーチェックを通過するとは限らない。典型は19年の邦画興行収入トップだったアニメーション映画「天気の子」だろう。今回の取材を機に見返したが、少なくとも二つ目の条件は満たさない。まず気候変動という言葉が出てこないのだ。
新海誠監督はあるインタビューで、「説教的な態度」を避けるために気候変動などの言葉を脚本から慎重に取り除いたと明かしつつ、「気候危機や温暖化に関する何らかのメッセージは読み取ることが可能なよう」に製作したと語っている。「天気の子」を見た米欧やインドのジャーナリストは新海さんに気候変動に結びつけた多くの質問を浴びせたが、日本のメディアからは同様の質問はほとんどなかったという点も、気候危機への関心の度合いを示す上で示唆的である。
シュナイダーマイヤーソンさんによれば、社会問題を掘り下げた単体のフィクション作品は、読者や聴衆の関心や行動意欲を高めても、その影響は長くは続かないことが先行研究で明らかになっている。ただ、こうした作品が受け手に与えるインパクトは累積して増大する傾向もあるそうだ。気候リアリティーチェックを作った理由はそこにある。
「天気の子」のプレミア上映会場は新海誠監督作品の熱狂的ファンで埋め尽くされた=米西部カリフォルニア州ハリウッドで2019年10月18日午後8時37分、福永方人撮影
「つまり大切なのは、啓発的な映画を1本作るのではなく、さまざまな物語の中で気候変動に繰り返し触れられることなのです。業界全体でこの問題について語り続ける方法を再考する必要があります」【ニューヨーク支局・八田浩輔】
記者のイチオシ
気候変動を巡る国際政治を追う筆者がお薦めするのはデンマークの政治ドラマ「コペンハーゲン」。米ネットフリックスが共同製作したシリーズ完結編の「権力と栄光」(2022年)は、デンマーク自治領グリーンランドでくすぶる独立運動と、融氷が進む北極圏の地政学的変化が交差する現実を先取りした巧みな脚本が光る。
米コルビー大学のマシュー・シュナイダーマイヤーソン准教授=本人提供
<※7月17日のコラムは写真部兼那覇支局の喜屋武真之介記者が執筆します>