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毎日新聞2024/4/4 06:00(最終更新 4/4 06:00)有料記事2664文字
山極寿一さん=京都大で2019年5月7日午後4時41分、望月亮一撮影
老化の研究が進み、ヒトが「老い」を克服する未来が見えてきた。だが、霊長類学者の山極寿一・総合地球環境学研究所長は「生物界の論理がひっくり返りかねない」と警鐘を鳴らす。老いや死はなぜ起こり、どんな意味があるのだろうか。【聞き手・寺町六花、渡辺諒】
同時公開の記事があります。
◇肌の細胞が薬で若返る 老いは「病」なのか 近づく不老不死
※『神への挑戦 第2部』好評連載中。生命科学をテーマに、最先端研究に潜む倫理や社会の問題に迫ります。これまでの記事はこちら
次回:目指すはピンピンコロリ(4月8日午前6時公開)
――老化研究の第一人者の著書を読んで驚いたそうですね。
総合地球環境学研究所長の山極寿一さん=京都市北区で2023年12月14日午後5時9分、菅沼舞撮影
◆米ハーバード大のデビッド・シンクレア教授の著書「LIFESPAN 老いなき世界」(東洋経済新報社)を読み、「老化とは病気であり、治療可能である」という発言に衝撃を受けました。生物界は、親が遺伝子を子に受け渡して自分は死んでいく「世代交代」を原則としてきました。老化の治療はこの原則を破るような試みです。まさに生物界自体が変わってしまう可能性があり、非常に大きい意味を持つと思いました。
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――社会にはどのような影響を及ぼしますか。
◆寿命を延ばす技術は、人口と格差を増大させることにつながります。ある個体は寿命を延ばすかもしれませんが、別の個体は今までの寿命、あるいはもっと悲惨な格差社会の中で、若いうちに死んでいくかもしれません。若い世代はいつまでたっても仕事を譲ってもらえず、下働きのまま力を発揮できない。世代交代がほとんど起こらない社会に重苦しさを感じて、かえって生きる希望がなくなる気がします。
一番重要なことは、利他という倫理観なんですね。親は子どもに、見返りを求めずに投資します。自分が死んでいくからです。自分が果たせなかったこと、自分がしていたことを継いでやっていってくれるだろうという期待を未来に残します。寿命がどんどん延びていけば、利他という精神を失い、子どもに見返りを求めない投資ができなくなる。死なないのだから、自分に投資したらいいわけでしょう。
生物は子孫をたくさん残すことで、種の中でも種の間でも、ある程度の競争をし、その競争によって形質を獲得してきました。それが進化です。ずっと生きられるのなら、子孫を残すということに意味が見つけられず、むしろ子孫が邪魔になってしまう。生物界の論理がひっくり返り、利他という倫理が失われてしまいます。
――抗老化技術に対して、期待する面はありますか。
◆抗老化技術にも、寿命を延ばすことだけに注力するような技術と、今を健康であるがために使える技術があるわけです。僕だって健康のまま死にたいので、そのためにこの技術を使うのは悪いことではないと思います。ただ、健康であるということは、若いままであるということとは違います。
老化を病として捉える考えには、老化とは身体機能が衰えていく、悩ましい現象だという前提があります。「老化は人に不幸をもたらす」という考えですが、僕はそう思いません。
山極寿一さん=大阪府吹田市で2020年11月14日、木葉健二撮影
老化というのは、いままで過剰に使っていた身体を大事に使い、人々の付き合い方を変え、時間を大切に生きていく、楽しい現象だと思わないといけません。しょうもないことにこだわらなくて済む「老人力」もつきます。体が思うように動かないからこそ、周りから慕われ、いたわってもらえます。隠居になれるのです。時間を楽しんで生き、そして消滅していくというのは、うれしいことだと思います。老化した犬や猫だっていとおしいですよね。かわいそうで、みっともないなんて思わないはずです。
人というのはやっぱり一人では生きられないもので、周囲があってこその存在です。自分の体や精神が変わっていく老化とともに、周囲と影響を及ぼし合うことが、生物としての、社会動物としての人間です。それを失ってはいけないと思います。
――なぜ人間は老いや死を恐れ、不老不死を昔から目指してきたのでしょうか。
◆言葉を持ったからです。言葉によって作られた物語の中で生きることになってしまったので、人は死を前提にして、その期間をどう生きるかが問題になりました。人間以外の動物はそんなことこだわっていませんよ。現実をあるがままに生きていて、未来の自分がどうなっているかなんて考えたことはないと思います。
――老いを止めるだけでなく、若返りの研究も進んでいます。
◆人間というのは、身体も心も含めて総合的に考えなければならないと思います。体をロボット化してしまえば、ある意味若返り、寿命を延ばすことにもなります。脳を分離して保存し、身体だけ入れ替えるのは夢物語ですが、できない技術ではありません。脳をAI(人工知能)化してしまうことも行われつつあります。身体の工業化がいろいろな形で進むでしょう。
でも、身体というのは、心も含めていろいろなネットワークで働いているわけですよね。生物はある部分だけが成長するのではなく、心を伴いながら、全体として成長していくはずです。そこにアンバランスが生じると、どこかおかしくなってしまうのではないでしょうか。ある部分だけ若返らせたとしても、それはかえって異物になってしまう可能性があり、非常に危険だと思います。
――技術の発展は止まりません。どうすれば良いでしょうか。
◆生命倫理の規定をどんどん出さなければいけないと思います。急速に進展する技術は、社会に大きな衝撃を与えます。先を読んで倫理規定を作っておかないと、とんでもない適用事例が出てきます。例えば、私が日本学術会議の会長をしていたときに、倫理的に禁じられている、遺伝子操作を施された赤ちゃんの誕生が中国で明らかになりました。
技術自体の発展は抑えられなくても、技術を応用することに対する倫理を作らなければいけません。そのためには、「人間とは何か」という哲学が必要です。生物学者、歴史学者、哲学者、社会学者、芸術家などが集まり、分野を超えて未来を語り合うべきです。
日本は世界一の長寿社会で、高齢化問題に関しては先進国です。技術を発展させて老化を食い止めるという話ではなく、老いとは、死とは何か。それがなぜ人間の社会にあるのか。その意義を日本で改めて議論しないといけないと思います。
やまぎわ・じゅいち
1952年、東京都生まれ。霊長類学者・人類学者で、ゴリラ研究の第一人者として知られる。京都大教授、同大学長、日本学術会議会長などを経て、21年4月から総合地球環境学研究所所長。