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毎日新聞2024/4/8 06:00(最終更新 4/8 06:38)有料記事3061文字
目指すはピンピンコロリ
病気知らずで健康に長生きし、ある日、大往生を遂げる。とある動物に、そんな「ピンピンコロリ」のヒントがあると聞き、記者は熊本大を訪ねた。
同時公開の記事があります。
◇「制御できる日は近い」老化 研究の第一人者が語る可能性と懸念
※『神への挑戦 第2部』好評連載中。生命科学をテーマに、最先端研究に潜む倫理や社会の問題に迫ります。これまでの記事はこちら
次回:胚モデルは生命か(4月11日午前6時公開)
三浦恭子教授(長寿生物学)が、国内の研究機関で唯一飼育している、ハダカデバネズミ(デバ)だ。アフリカ東部の地下に生息する体長約10センチのネズミで、毛がほとんどないピンク色の体に、大きな歯を持つ。
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通常のマウスの寿命は数年だが、デバは長いもので37年以上生きる。人間に例えると数百歳だ。年を取っても死ぬ割合は上がらず、がんにもなりにくい。おもな死因は、けがや感染症だ。
なぜそんなに長寿なのか。三浦さんによると、秘密の一つが、細胞に備わる「自爆装置」だという。
通常の細胞は、DNA損傷などのストレスが加わると、いったん分裂をやめる。小さな損傷なら修復して分裂を再開し、大きな損傷なら自ら死ぬ。そのまま放置すれば、がん細胞になるおそれがあるためだ。
一方、損傷が中くらいだと、分裂もせず死にもしないまま、体内にたまり続ける。これが老化細胞だ。炎症を起こすたんぱく質などを生み出す。すると組織の機能低下などを招き、がんなどの加齢に伴う疾患が促進される。
ハダカデバネズミと通常のマウスでの老化細胞の違い
ところがデバは、細胞の中に「セロトニン」という物質をため込んでいる。細胞が老化すると、遺伝子の働きでセロトニンが「着火」し、有害物質(過酸化水素)が出て、自ら死ぬ。つまり、老化細胞が体内にたまらない仕組みなのだ。
普通の生物はセロトニンを神経の伝達に使っており、こうした使い方をするのはデバだけだ。独自の進化の過程でこの仕組みを身に付けたと考えられる。
三浦さんはこの成果を2023年に論文発表した。「どの老化細胞がいつ、どのように除去されているのかを知ることで、ヒトで安全に老化細胞を除去する手法の開発に一役買うのではないか」と話す。
がん治療薬を応用
老化細胞の除去が、ピンピンコロリの手がかりになる――。そのための薬の研究が進んでおり、一部は海外で臨床研究が始まっている。
免疫チェックポイント阻害剤「オプジーボ」
東京大の中西真教授(分子腫瘍学)は、がん治療薬「オプジーボ」の仕組みを応用しようと考えている。
オプジーボは、自らの免疫細胞ががん細胞を殺すのを手助けする薬だ。これは「がん免疫療法」と呼ばれ、仕組みを発見した本庶佑(ほんじょたすく)氏は18年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。
がん細胞は、免疫細胞の表面にある「PD-1」というたんぱく質に、「PD-L1」というたんぱく質を結びつけて免疫にブレーキをかけ、攻撃されるのを防いでいる。オプジーボは、この結びつきを邪魔し、ブレーキを解除する。
中西さんは、ヒトやマウスの一部の老化細胞にもPD-L1があり、免疫にブレーキをかけている可能性があることを明らかにした。マウスにオプジーボを与えると、老化細胞が減り、筋力の回復や肝機能の改善が確認できたという。
抗老化研究にオプジーボの仕組みを応用する
中西さんは、がん患者にオプジーボを投与して、がん以外の加齢性疾患が改善するかを調べる臨床研究をする考えだ。「薬剤の投与量と効果の関係がわかれば、老化細胞をどれくらい除けばいいのかがわかってくる。年を取って増えてきた分だけを取り除ければ、少なくとも炎症抑制には効果があるだろう」と語る。
老化細胞の除去には慎重な意見もある。特定の老化細胞を除去したマウスでは、肝臓や血管の周りの組織がかえって線維化し、健康状態が悪化したとのフランスのチームの報告もある。
老化のメカニズムを研究する大阪大の原英二教授(分子生物学)によると、老化細胞の除去薬に関する論文の中には、追試しても再現できないものもある。「中には正常な細胞にもダメージを与える恐れがある薬もある。老化細胞には、多数の種類や未知の機能がある可能性があり、分からないことが多い」と指摘する。
「NMNフィーバー」に懸念
「毎日を健康に過ごしたい」「いくつになっても若々しく」
大手通販サイトに、こんなキャッチフレーズのサプリメントが並ぶ。ピンピンコロリを目指す高齢者などに人気だという。
入っているのは、NMN(ニコチンアミド・モノヌクレオチド)という物質だ。「NMNサプリ」と呼ばれる。
老化を制御するメカニズム
NMNは、体内に入るとNAD(ニコチンアミド・アデニン・ジヌクレオチド)という物質に変わる。NADは、老化や寿命を制御する酵素「サーチュイン」を活性化させている。NADが加齢で減ると、サーチュインの働きが弱まって老化が引き起こされる。
この一連のメカニズムは、今井真一郎・米ワシントン大卓越教授(老化学)らが発見した。世界の老化研究をけん引する第一人者だ。
NADを体内で減らさないようにする研究が「抗老化のカギになる」として、世界で進んでいる。「老化のプロセスや寿命を人為的にコントロールするのに十分な理解が得られつつある」、今井さんはそう強調する。
そこで注目されているのが、NMNだ。
NADやサーチュインは分子が大きいため簡単には作ったり補給したりできないが、NMNは分子が比較的小さく、ビタミンB3から合成でき、細胞の中に直接取り込める。
「より効率よく全身の細胞にいきわたる」とうたい、自由診療でNMNを点滴しているクリニックもある。
だが、このNMNフィーバーに、今井さん自身が「異常な過熱ぶりだ」と懸念する事態になっている。どういうことか。
今井さんによると、高濃度のNMNを点滴すると、血中濃度が異常に高まって調節機能が働き、むしろNADが分解されて減ると懸念される。経口で大量に摂取すると、腸内でニコチンアミド(ビタミンB3)に分解される。大量にとると肝障害を引き起こしかねないという。
通販サイトに並ぶNMNサプリ=東京都千代田区で2024年4月3日、長谷川直亮撮影
さらに、純粋なNMN以外の不純物が含まれるサプリも多く、健康被害を起こすリスクもある。
今井さんは「現時点では点滴は明らかに不適切だ。経口でも、非常に多い量(1~3グラム)を長期間にわたって摂取するのは勧められない」と警告する。
自由診療で死亡例も
「抗老化」をうたう自由診療は、他にもある。エクソソームもその一つだ。
エクソソームは、細胞が分泌する微粒子だ。細胞老化の関係や、抗炎症作用があるとされるが、まだ基礎研究の段階にとどまっている。しかし一足飛びで、老化防止や美容、再生医療などの目的で人体に投与するクリニックがある。
再生医療抗加齢学会は23年10月、「エクソソームで患者が死亡する事象が発生した」と公表し、注意喚起した。日本再生医療学会もエクソソームの使用が急激に拡大しているとして、指針をまとめる方針だ。
医学研究は、たとえ細胞や動物レベルの基礎研究で効果が確認できたとしても、ヒトでの臨床研究を経なければならない。臨床研究まで進んでも、最終的に効果や安全面などで実用化に至らない例も多い。
今井真一郎・米ワシントン大卓越教授=東京都港区で2023年11月18日、渡辺諒撮影
NMNも、抗老化効果が実証されているのは動物実験までだ。ヒトではまだ、抗老化の効果は確認できていない。
今井さんは「老化研究が他の医学研究と明らかに違うのは、市民の興味が非常に高いことだ。だからこそ、都合の良いところばかり伝えてミスリードをさせてはならない」と強調する。
ピンピンコロリに、やはり近道はないのかもしれない。