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毎日新聞2024/7/18 東京朝刊有料記事1310文字
遠山千春・東京大名誉教授
環境や食品中の汚染物質による健康被害への懸念が絶えない。最近では日本国内でも有機フッ素化合物(PFAS)が水源を汚染し、米国やドイツの勧告値を超えるPFASが住民の血液から検出されたと報告されている。また、農薬の人やミツバチなどへの影響は長年の懸案事項だ。
こうした懸念が深まる背景に、リスク評価のあり方の課題があると感じている。具体的には、評価を受ける企業が安全性に関する資料を作成して行政に提出▽最新の科学的知見を軽視――などだ。
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日本では、食品中の化学物質のリスク評価は、内閣府の食品安全委員会が行っている。
リスク評価とは、実験動物を用いる毒性試験や人の疫学研究といった科学的知見に基づいて、許容(または耐容)摂取量を定める作業である。この数値は、生涯にわたって、ある化学物質を摂取しても健康に害が生じない量だ。許容量は科学の視点から定められ、その数値が現実に達成可能かどうかは考慮しないこととされている。
一方、厚生労働省、農林水産省、環境省、消費者庁はリスク管理を担当する。こちらは許容量を参考に社会経済的、技術的要因を考慮して、環境(大気、水、土壌)や個々の食材中の上限濃度を規制基準値として定める作業である。
リスク評価を行う食品安全委員会は、リスク管理から独立して中立・公正に行うために、内閣府に置かれている。だが、リスク評価がリスク管理に従属しているように見えることがある。
PFASについては、食品安全委員会が6月25日、リスク評価書を公表した。疫学研究についての最新の知見を採用した欧米とは異なり、これらを退け、従来の動物実験データを採用している。また、見過ごせないのは「食品中の汚染物質の濃度を『ALARA(as low as reasonably achievable)の原則』に従い、無理なく到達可能な範囲でできるだけ低くすべきだ」と主張し続けている点だ。
厚労省や環境省は「合理的に達成できるかぎり低く保つこと」と原文に忠実に記載しているが、食品安全を担う食品安全委員会や農水省は、なぜか「無理なく」の表現に固執している。これでは、努力もほどほどに規制すれば良いと読めてしまう。
また、農薬を登録申請する際には、申請者の農薬メーカーが安全性や毒性に関する公表文献ごとにその信頼性を判定し、農水省に提出する。しかし、認可に不都合な文献は、信頼性ランクを低くする、または除外するといった判定をしていることがある。例えば、殺虫剤が体内で変化して昆虫より哺乳類に対して毒性を強く示すとの重要な知見の除外だ。
信頼性評価の判定の不備について、パブリックコメントで意見を出せるが、入力項目が多く煩雑である。そもそも関連文献は全てを委員会に開示して検討の俎上(そじょう)に載せるのがリスク評価の本筋だ。
食品中の化学物質の健康リスク評価が、最新の科学的知見に裏付けられて、中立・公正で透明性が高いものとして実現すること。それによってリスク管理への信頼性が醸成されることを願っている。
■人物略歴
遠山千春(とおやま・ちはる)氏
元国立環境研究所環境健康研究領域長。食品安全委の専門部会委員も務めた。