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ダイエットの薬でメンタルも安定? 大規模調査でわかった意外なメリットと落とし穴
谷口恭・谷口医院院長
2025年2月10日
糖尿病にもダイエットにも非常に有効なGLP-1受容体作動薬は、心不全、脂肪肝、慢性腎臓病など他の疾患にも有効だとする研究が相次いでいます。本連載では2023年12月の「『光』もあれば『闇』もある GLP-1ダイエット」で、GLP-1受容体作動薬はうつ病の発症リスクを上げるのではないかというマイナス面と依存症の治療に使える可能性があるのではないかというプラス面について触れました。最近、これらを改めて研究した大規模調査が報告されましたので私見も交えて紹介したいと思います。
上がるリスク、下がるリスク
その興味深い研究は科学誌「Nature」に掲載されました。米国退役軍人省(Department of Veterans Affairs)の医療データベースを利用して、糖尿病患者195万5135人を平均3.68年間追跡し、GLP-1受容体作動薬と175の健康指標との関連性を検討しています。「健康指標」は、肺炎、貧血、細菌感染、腎結石、腹痛、アルコール使用障害、自殺念慮など多岐にわたり、合計175のこれら指標がGLP-1受容体作動薬を使用した場合、他の糖尿病薬使用時と比べリスクが上昇するか低下するかを分析しています。
結果、GLP-1受容体作動薬を使用した場合、175の健康指標のうち42の項目でリスクが低下し、19の項目でリスクが上昇していました。残りの114については統計学的に有意な差がありませんでした。おおまかな結果を羅列すると次のようになります。なお、これらは下記の症状や疾患の治療を目的として投与されたわけではなく、他の糖尿病薬と比べて、結果としてリスクが上がったか下がったかを調べたものです。
〈リスクが低下〉
・精神疾患や精神的な症状:アルコール依存、大麻依存、覚醒剤依存、麻薬(オピオイド)依存、自殺念慮、意図的な自傷行為、過食症、統合失調症、その他の精神症状
・神経症状:認知症、アルツハイマー病など
・凝固系疾患:血栓塞栓(こうそく)症、急性肺塞栓(そくせん)症、深部静脈血栓症、慢性静脈炎、血栓後後遺症など
・循環器系疾患:肺高血圧症、心筋梗塞(こうそく)、心停止、心不全、脳梗塞、脳出血など
・腎疾患:急性腎障害、慢性腎臓病など
・感染症:細菌性肺炎、敗血症、肺炎など
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・感染症以外の肺疾患:感染症以外の肺炎、胸水、慢性閉塞性肺疾患(COPD)、呼吸不全など
・その他:貧血、筋肉痛、肝不全、炎症性腸疾患、肝臓がんなど
〈リスクが上昇〉
・消化器系疾患:腹痛、吐き気および嘔吐(おうと)、胃食道逆流症、胃炎、非感染性胃腸炎、胃不全麻痺、憩室症および憩室炎、
・精神/神経疾患:失神、睡眠障害
・その他:低血圧、頭痛、関節炎、関節痛、腱(けん)炎および滑膜炎、間質性腎炎、腎結石、薬剤誘発性急性膵炎(すいえん)
リスクは年代によって異なる?
まず注目したいのは「依存症」です。アルコール、大麻、覚醒剤、麻薬(オピオイド)の四つの依存性物質に対し、GLP-1受容体作動薬は他の糖尿病薬を使用した場合と比べ10~15%程度リスクを下げます。
これは冒頭で紹介した過去の連載コラムで述べた事象と一致します。そのコラムでは違法薬物は触れていませんが、アルコールについてはGLP-1受容体作動薬を使用してから3人に2人は「アルコール摂取量が減った」、スイーツや清涼飲料水、焼き菓子の摂取量は7割が「減った」ことを実感しているという調査結果を紹介しました。
精神症状のリスクについても興味深い結果が出ています。上記の調査ではGLP-1受容体作動薬が自殺や摂食障害、統合失調症、(不安や抑うつなどの)精神症状の改善に寄与しそうです。
しかし、過去のコラムで紹介した欧州医薬品庁(EMA)の安全委員会の声明によればGLP-1受容体作動薬を服用し、自殺願望や自傷行為につながった可能性がある症例が多数報告されており、日本肥満学会も、過去に自殺念慮があった患者には格別留意が必要であるとしています。当院の患者さんのなかにもGLP-1受容体作動薬を服用してから抑うつ感が生じ、それがつらくて薬を中止した人もいます。ある女性患者さんが「ダイエットに成功しても生活がつまらなくなれば意味がないことに気付いた」と言っていたのが印象的でした。
では、米国の調査と当院の事例や欧州の報告はなぜ正反対の結果になったのでしょうか。
その答えはおそらく「年齢」です。米国の研究の対象者は米国退役軍人省の保険を有する人ですから大半が男性の高齢者です。一方、当院でGLP-1受容体作動薬による抑うつ状態を経験したほとんどは若い女性です。興味深いことに、中年期以降の場合この「副作用」はほとんど起こりません。
私がこのことに気付いたのが2年ほど前で、それからはGLP-1受容体作動薬を糖尿病の治療を主目的として当院で処方している患者さんと、ダイエット目的で美容クリニックなどでこの薬を処方され当院には別のことで受診している患者さんに「GLP-1受容体作動薬による抑うつ症状はないか」を尋ねています。結果、抑うつ症状を自覚しているのは、ほとんどが20代から30代前半の女性でした。それ以降の年代になると男女とも、そうした症状の自覚がないどころか「精神状態までよくなった」と答える人が多いのです。
先に触れた日本肥満学会の見解では、高度肥満者への抑うつ症状を懸念していますが、当院の経験でいえば、抑うつ症状が現れるのはほとんどが「元々肥満ではない若い女性」、もっと言えば「元々痩せている若い女性」です。
そんな女性たちに希望されたからといってGLP-1受容体作動薬を安易に処方する美容医の倫理感を疑いたくなりますが、ここではその話は置いておいて「肥満も糖尿もないやせ志向の若い女性がGLP-1受容体作動薬を使用すれば抑うつ症状、ひいては自殺企図のリスクが上がるのではないか」が私の仮説です。
逆に「糖尿病のある中年以降の男女ではGLP-1受容体作動薬で精神状態が安定する」とも言えるのではないかと考えています。これは上述の米国の元軍人の研究データとも一致します。患者さんたちと話をしていると「GLP-1受容体作動薬のおかげで、糖尿病が改善し、体重が減り、過食に対してはもちろん、たばこやアルコール、さらにはギャンブルや衝動買いなどの悪い癖まで治り、自分に自信がでてきているのでは」と感じます。
社会を変える「夢の薬」?
現在、一時は国家の存続が危ぶまれるのではないか、とまで言われた米国の麻薬依存者が減少傾向にあります。この理由は明らかにされていませんが、GLP-1受容体作動薬の普及が一因ではないかと私は考えています。
「そんなバカな……」と思う人が多いでしょうが、「KKF」と呼ばれる米国の超党派の医療研究機関が5月に実施した世論調査によると、米国の成人の約8人に1人がGLP-1受容体作動薬を試したことがあるか現在使用しています。
また、米国では2021年をピークに交通事故が急激に減少しています。これもGLP-1受容体作動薬の普及で人々の精神状態が安定して安全運転に努めるようになった……、という考えは飛躍しすぎでしょうか。
今回の米国の退役軍人の調査で興味深いことはまだあります。血栓症や血栓後後遺症のリスクが低下していることです。血栓ができにくくなり、血栓後の後遺症のリスクが低下するのなら、新型コロナウイルスの重症化リスク、あるいはコロナウイルスの後遺症のリスクを軽減することができるのではないでしょうか。
まだあります。心筋梗塞や脳梗塞、さらに細菌感染のリスク低減にもなっているということは過剰な炎症を軽減する作用がGLP-1受容体作動薬にある可能性が出てきます。過剰な炎症を抑え、血栓のリスクが低下するとなると、老化を抑え、さらに長生きできる可能性が出てきます。
ここまでくるとまさに「夢の薬」のようです。私の立場からは特定の薬の利点のみを訴えるようなことはすべきでなく、むしろ行き過ぎた期待を抑制することに努めなければならないと思うのですが、目下、GLP-1受容体作動薬はリスクに比べてベネフィットが極めて大きな薬剤であることを否定できません。
なお、当院の糖尿病治療は原則として日本のガイドラインに従っており、第一選択薬としてGLP-1受容体作動薬を処方することはありません。その理由はガイドラインの存在だけではありません。実は糖尿病の薬にはGLP-1受容体作動薬以外にも極めて優れた薬があります。
その薬の名を「メトホルミン」と言います。次回紹介します。
写真はゲッティ
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たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。谷口医院ウェブサイト 月額110円メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。