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毎日新聞2024/7/20 東京朝刊有料記事1939文字
ウクライナ戦争とガザ紛争は解決のめどが立たない一方、今のところ世界大戦化を免れ地域紛争にとどまっている。このような国際情勢において、当事国意識を持ちながら日本はどうすべきか。1930年代の歴史との比較をとおして考える。
満州事変を引き起こした日本は、東アジアの地域紛争の当事国だった。傀儡(かいらい)国家=満州国の建国と国際連盟脱退通告にもかかわらず、日中全面戦争は回避され、満州事変が世界大戦を招くこともなかった。日本国内に「非常時小康」が訪れる。あるいは35年から始まったエチオピア戦争は、翌年、イタリアの勝利で終結する。今日と同様に、地域紛争は世界戦争化せず、抑制されていた。
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しかし国際秩序は不安定だった。満州事変とエチオピア戦争に対応できなかった国際連盟は、機能不全に陥っていた。国際秩序の不安定化は世界経済のブロック化によって加速する。ウクライナ戦争を直接のきっかけとする国連の機能不全と対ロシア経済制裁にともなう世界経済のブロック化は、30年代と類似する。
さらに今は、リベラルな国際秩序を支えるべき先進民主主義国の国内基盤が脆弱(ぜいじゃく)になっている。
フランスでの極右勢力の台頭を30年代のファシズム台頭と同一視するのは無理があるにしても、欧州大陸諸国の国内政治の非リベラル化の傾向が顕著なのは否定できないだろう。
7月13日のトランプ前大統領の銃撃事件も30年代アメリカを想起させる。35年9月8日、ルーズベルト大統領(当時)をもっとも恐れさせた男、「恐怖すべき民衆の英雄」(三宅昭良「アメリカン・ファシズム」)、ポピュリズム政治家のヒューイ・ロング上院議員が暗殺された。「恐怖すべき民衆の英雄」の登場は、今日の日本においても無縁ではないだろう。
30年代の日本は、満州国の存在を与件としながらも、国際連盟や諸外国との外交関係の部分的な修復をとおして、国際秩序を模索していた。そこへ日中全面戦争が始まる。国際新秩序の形成はいよいよ喫緊の課題となる。
日中全面戦争下、日本外交は「東亜新秩序」を掲げる。この国際新秩序構想はアウタルキー(自給自足圏)ではなかった。「東亜」においては、ブロック内よりもブロック外との通商貿易量の方が多かったからである。
たとえばブロック外の国アメリカは、中国貿易に関して輸出入ともに年を追うごとに増え、日本を抜いて第1位になった。日中の経済的相互補完関係を前提として、他のブロックと多角的貿易協定関係を結ぶ。つまり「東亜新秩序」は、経済的国際協調の理念に基づく開放的地域主義の構想だった。
構想実現には大きな隘路(あいろ)を突破しなくてはならなかった。大きな隘路とは、「東亜新秩序」のもっとも重要なパートナーである中国と戦争をしていたことである。「東亜新秩序」の実現は日中全面戦争の終結が前提条件だった。
軍部をコントロールして戦争を終結に導く。それには強力な政治的リーダーシップを可能にする国内権力基盤の整備が欠かせなかった。近衛文麿首相は新党による権力の統合を図る。近衛は主要な政治勢力すべての支持を得ていた。
しかしいざ新党を作ろうとすると、近衛に対する支持は同床異夢だった。近衛新党構想は、曲折を経て大政翼賛会に至る。それでも権力の統合が進むことはなかった。国際新秩序も幻に終わった。
以上の歴史から学ぶべきことを三つにまとめる。
第一は国際秩序構想における経済的国際協調と地域主義の両立である。今日の世界の政治的・経済的・社会的ブロック化傾向に対して、日本は開放的地域主義に基づく具体的な国際秩序を構築しなければならない。
第二は近隣諸国関係の修復である。どのような国際秩序を構想するにせよ、近隣諸国、なかでも中国を外すことはできない。異質な他者だとしても、そうだからこそ経済的な国際協調のネットワークのなかで、外交関係の修復に努めなくてはならない。政治とは異質な他者との共存のすべである。
第三はリベラルな国際秩序を支える国内基盤の整備である。権威主義国家の大国化、グローバルサウスの台頭などによって、リベラルな国際秩序が揺らいでいる。この点に関連して、今年の主要国の選挙結果のなかでもイギリスが参考になる。大勝した労働党は、EU(欧州連合)各国との関係修復と共に、政権交代をしたにもかかわらず、ウクライナ支援などの外交・安全保障の基本政策の継承を示唆している。日本でも同様に、野党勢力は政権交代後の外交・安全保障政策の継承と修正を明らかにすべきである。(第3土曜日掲載)
■人物略歴
井上寿一(いのうえ・としかず)氏
1956年生まれ。学習院大教授(日本政治外交史)。同大学長など歴任。著書「矢部貞治」など。