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毎日新聞2024/7/24 東京朝刊610文字
小学校の水泳授業。プールサイドで準備体操をする子供たち=大阪市城東区の鯰江小学校で1968(昭和43)年7月12日
夏休みが始まり、プールで遊ぶ子供たち=東京都内で1953(昭和28)年7月24日、鈴木茂雄撮影
「水着には忘れられない思い出がある」。作家の向田邦子さんが東京の女学校時代の失敗談をつづっている。戦後、学校のプールが再開されることになり、婦人雑誌の型紙を使って母の和服で水着を手作りした▲飛び込んで半分ほど泳いだ時、染料が溶け出していることに気づいたという。慌ててプールサイドにはい上がると、足元に「青い水たまり」ができた。同級生や先生から大笑いされたそうだ▲プールも水着も貴重だった時代。夏の暑い時期に水泳を楽しめたのは恵まれていただろう。全国の学校にプールが普及したのは1960年代以降。64年東京五輪を前に建設に補助金が出るようになったからだという▲一時は9割前後の小学校に設置された。しかし、近年は老朽化などで減少に転じている。民間の屋内プールを利用する自治体も増えた。教師の働き方改革も求められ、学校のプールの存在意義自体が問われている▲水を出しっぱなしにして校長や教師が水道代の一部、100万円近い賠償を求められる事態も起きた。文部科学省が管理業務を「過度な負担」として外部委託の検討を求めたのも無理はない▲夏休みのプール開放をやめる学校も増えた。こちらも安全管理の負担が大きいのだろう。しかも35度以上の猛暑日が続くのでは水のそばにいても熱中症の危険がある。小学校の時、検定に合格すると、レベルに応じて水泳帽に縫い付ける線をもらえた。夏休みの間に線の数を増やそうと学校のプールに日参した時代が懐かしい。