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毎日新聞2024/7/28 06:00(最終更新 7/28 06:00)有料記事1841文字
「メディカルダイエット」を試した後に脱毛の症状が表れた女性。半年ほど、ウイッグやカチューシャが手放せなかった=東京都内で2024年7月23日、黒田阿紗子撮影
9号サイズのスーツが入らなくなり、東京都内の団体職員の女性(61)は焦っていた。コロナ禍をきっかけに在宅勤務が増え、運動量が減少した。年齢を重ねたこともあり、「たった2、3キロ」の体重を落とせずにいた。
近所の診療所で「メディカルダイエット」の看板を見つけたのは、そんな昨秋のことだ。医者が診てくれるなら安心だと思い、受診した。
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担当したのは糖尿病の専門医だった。身長や体重を伝えると、「飲むだけで2、3キロはすぐに落ちるよ」と2種類の薬を処方された。副作用が記載された紙を渡され、5分もしないうちに診察室を出た。
薬の一つが、糖尿病の治療薬でもある「GLP-1受動体作動薬」だった。インスリンの分泌を促して血糖値を下げるほか、脳に作用して食欲を抑える効果が見込まれる。
しかし、糖尿病ではない人がダイエット目的で使うことは承認されていない。女性は全額自己負担の自費診療となり、約2万5000円を支払った。
飲むと、胃がムカムカして気持ち悪くなった。食欲がわかない。最低限の栄養をとろうと朝食は無理に口にしたが、昼はヨーグルトくらいしか入らず、食事の量は激減。3日で体重が2、3キロ減った。
「これで手持ちの服が着られる」と、喜んだのもつかの間だった。2週間たって薬を飲みきると、その3日後には元通りの体重になっていた。さらに鏡を見て血の気が引いた。前髪があっという間に抜け、スカスカになっていたのだ。
「メディカルダイエット」の看板を掲げる診療所で、女性が医師から手渡されたプリント。処方された糖尿病治療薬の副作用のことが書かれていたが、口頭での詳しい説明はなかった=東京都内で2024年7月23日、黒田阿紗子撮影
抜け毛を隠すためカチューシャで前髪を上げたり、ウイッグをつけたり。養毛剤を使って頭皮マッサージを必死に繰り返した。半年以上がたち、ようやく毛量が戻ってきたものの、後悔は尽きない。「本当にばかなことをした。『医師が出す薬』だからと惑わされてしまった」
GLP―1受容体作動薬を自由診療で「やせ薬」として使うダイエットは、全国で急速に広がっている。「運動不要、食事制限なし、ストレスなし」。一部の美容クリニックや内科、皮膚科などの診療所では、ホームページに宣伝文句がずらりと並ぶ。
昨年は在庫が逼迫(ひっぱく)し、本来必要としている糖尿病患者への処方が一時制限される事態となった。国や日本医師会などが、健康な人が使うことのリスクについて注意喚起し、「適用外使用」を控えるよう求めたが、人気に陰りは見えない。
この薬はもともと注射薬だけだったが、2021年に初めて飲み薬が発売された。「敷居が下がり、ダイエット目的の使用が急速に広まったのでは」と話すのは、肥満症や糖尿病の治療を専門とする神戸大大学院の小川渉教授だ。コロナ禍で初診のオンライン診療が実質解禁されたことも、後押ししたとみられる。
ダイエット目的の使用について、小川教授は「さまざまな問題が絡み合っている」と指摘する。一つは、副作用が分からないためリスクが大きいことだ。
製薬会社からは吐き気、下痢といった消化器症状のほか、急性膵炎(すいえん)や低血糖といった健康被害が出る可能性が報告されているが、これはあくまで糖尿病患者の場合だ。健康な人が使えば、より強い副作用が出る可能性もある。脱毛も「さまざまな薬の副作用としてあり得る症状で、起きても不思議でない」という。
「欧米では肥満症の治療薬として承認されているから安全」とうたう診療所もあるが、日本医師会は「科学的根拠がない」と否定している。海外で有効性や安全性が確認されているのは、一定条件の肥満症の人だけになる。
肥満症や糖尿病の治療を専門とする神戸大大学院の小川渉教授=本人提供
「一般に医師はリスクと利益を勘案し、できるだけ副作用が起きないように薬を出さなければならない」と小川教授。しかし現実には、自由診療の中で副作用の説明や経過の確認がなく、不適切な処方が行われている例がある。
女性の「やせ願望」も問題を深刻にしている。薬を使うかどうかに関わらず、やせて低体重になると、月経異常や不妊などが起こりやすくなる。特に女性の骨の量は20~30代がピークで、この時期に適切な体重を保っていないと骨も増えず、将来骨粗しょう症になるリスクも高まる。
小川教授は「健康被害を減らすため、それぞれの問題で対策が必要だ」と話す。そして、悩める人たちにこんな助言もしてくれた。「肥満症も美容的なダイエットも、運動と食事療法が重要であることに変わりはありません。効率的で持続的な減量のためには『薬を飲むだけでいい』ということは、あり得ません」【くらし科学環境部・黒田阿紗子】
<※7月29日のコラムは社会部東京グループの川上晃弘記者が執筆します>