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毎日新聞2024/5/18 08:00(最終更新 5/18 08:00)有料記事2362文字
採掘が盛んだった時期に撮影されたとみられる清見石綿鉱山(後方)=郷土史「あといちの歴史」より
粉じんを吸い込むと肺がんや中皮腫を引き起こす可能性があるアスベスト(石綿)。耐火・保温材として戦前から外国産が使われてきたが、戦争によって輸入できなくなったことを機に、国内で鉱山が本格的に開発された歴史はあまり知られていない。石綿鉱山で何が起きていたのか。現地を訪ねると、健康被害の存在が見えてきた。
戦時下に注目された鉱山
戦前、石綿は軍艦などの兵器や鉄道車両に使われ、戦艦大和にも大量に使用された。そのほとんどは良質な外国産だったが、日中戦争の開始翌年の1938年から輸入が困難になりだし、41年春にほぼ途絶えた。そのため、石綿が見つかっていた北海道や九州など十数カ所の鉱山に注目が集まった。
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清見石綿鉱山跡の手前にある橋の欄干には「鉱山橋」と記されていた=島根県江津市清見町で2023年12月5日午後2時22分、大島秀利撮影
そのうちの一つが、約50年前に閉山した島根県江津市清見町の清見石綿鉱山だ。NPO法人「中皮腫・じん肺アスベストセンター」(東京都江東区)が文献を調べたところ、石綿含有率が10~15%という良質の鉱石を産出。事業効率が高く、本州で最も有望な鉱山だったとみられる。一時は関連の住民が約200人に上り、「鉱山祭り」開催の記録もあるため、同センターが2023年12月に現地調査を企画。私も同行した。
鉱山跡はJR江津駅の南南東8キロの小高い山地にあった。地元の人の案内で歩くと、鉱山跡の手前には橋がかかり、欄干の柱に「鉱山橋」という額があった。渡って砂利道をしばらく進むと、脇に「清見鉱山跡」の石碑が立っていた。
清見石綿鉱山跡付近ではトロッコの一部とみられる残骸が埋もれていた=島根県江津市清見町で2023年12月5日、大島秀利撮影
付近は低木や草が生い茂り行く手を阻んだが、かき分けて進むと、鉄製の建物の骨組みや壁の残骸が現れた。車輪のついた金属製のトロッコは埋もれかけていた。
「話にならないほどひどかった」
日米開戦前年の40年から地元の募集に応じて約50人と一緒に働いたという90歳代の男性に会うことができた。「鉱山は露天掘り。山にドリルで穴をあけ、発破(ダイナマイト)を仕掛けて砕いた。(鉱石を)つるはしで削ってトロッコに積み込み、選鉱場に運び込んだ」。そこで待っていたのは女性たちで、「ふるいにかけて、綿状のものを選別し、麻袋に詰めていた」と話した。
現場の様子を尋ねると、「石綿のほこりは話にならないほどひどかった。マスクなんかなかった。(口と鼻に)タオルをまいたこともあったが、ほこりが喉にたまって、たまにうがいをしなければ作業はやっていけなかった」と劣悪な環境を振り返った。
男性は43年に鉱山で働くのをやめた。翌年に海軍航空隊に入隊するためだった。特攻隊員となって訓練を受け、死ぬ覚悟だったが、搭乗する飛行機がなく、45年の敗戦を迎えた。
白石綿の鉱床が形成
北海道富良野市で産出したアスベスト(石綿)を含む鉱石。白い脈状の部分が石綿=産業技術総合研究所地質調査総合センター「地質標本館」所蔵
清見鉱山での石綿採掘は戦後も続き、九州、広島、大阪方面へ運ばれた。島根県工業試験場(現・島根県産業技術センター)の報告によると、64年ごろの採掘量は月100~200トンだった。しかし、良質のカナダ産などの石綿が輸入されるようになると太刀打ちできなくなり、76年に閉山となった。
石綿は一般的に、地下でマグマが冷え固まる際に熱水の作用を受け、岩石の隙間(すきま)で細長い繊維状の結晶に成長してできると考えられている。清見鉱山付近は白亜紀末に火山活動が盛んだった地域で、火成岩のかんらん岩が水を含んで変質した蛇紋岩になっており、そこに白石綿(クリソタイル)の鉱床が形成されているという。
こうした繊維状の石綿は、大量に粉じんを吸い込むと、石綿肺という肺疾患にかかりやすい。少量でも中皮腫などを発症させる発がん物質として知られるが、国内で使用・製造が原則的に禁止されたのは04年だった。
地元で忘れられていた石綿鉱山の存在を思い出させたのは05年6月末の「クボタショック」だった。兵庫県尼崎市のクボタ旧石綿製水道管工場の周辺で、住民に石綿がんの中皮腫が多発していることが発覚した。
清見石綿鉱山跡に建てられた石碑=島根県江津市清見町で2023年12月5日、大島秀利撮影
6人が労災認定されていた
全国的に石綿の被害に注目が集まる中、江津市は広報誌で「思い当たる人は相談を」と呼び掛けた。市民から「じん肺で家族を亡くした人がいる」との相談が寄せられると、労災を管轄する島根県内の浜田労働基準監督署に情報を伝えたという。
地元の70歳代の女性は、江津市の広報を見て、清見鉱山で働いた経験のある親類の男性に診察するよう勧めた。国立病院機構・浜田医療センターは石綿関連がんの「中皮腫」と診断。労災と認定された。女性は手続きのほか、男性の介護も手助けしたが、呼吸困難になり、「苦しみながら亡くなった」という。08年のことだった。
アスベストセンターが厚生労働省の公表情報を整理したところ、浜田労基署は05年以降、清見鉱山の石綿関連作業で肺がん5人、中皮腫1人の計6人を労災認定していた。女性が支援していた中皮腫患者が含まれているとみられる。一方、地元の人の証言では、原因が石綿と気付かず、関連の病気で倒れ、補償もなく亡くなった人が多数いるとみられる。
写真左側の山林に清見石綿鉱山があった=島根県江津市清見町で2023年12月6日、大島秀利撮影
村山武彦・東京工業大教授(リスク管理論)は「石綿は廃棄までのあらゆる段階で被害が発生する。他の鉱山は戦後間もなく閉山した例が多いが、清見では戦後もしばらく採掘が続けられたため、被害が顕在化したのかもしれない」と指摘する。
現地調査を先導した同センター理事長で医師の名取雄司さん(66)は「国内の石綿鉱山で、これほどまとまった労災が確認されたのは清見だけ。被害者の調査や支援に動く地域社会があったからだろう」と分析。特例で石綿の労災には時効がなく、かつて石綿鉱山で働いていた事実と中皮腫など石綿関連疾患で死亡したという一定の証拠があれば、遺族が救済を受けられる可能性があるといい、「これを機に他の石綿鉱山も被害に気付く人が出ることを期待している」と話している。同センターの連絡先は03・5627・6007。【大島秀利】