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毎日新聞2024/7/31 東京朝刊有料記事4421文字
11月の米大統領選はトランプ氏とハリス副大統領の対決となり、先行きは見通せなくなってきた。ハリス氏が勝利した場合、今の政策が継続する見込みであるのに対し、トランプ氏が復帰したら大きな変化が生じそうだ。「もしトラ」で足元の暮らしはどう変わるか。円相場や株価、住宅ローンなど気になるポイントを聞いた。
上野泰也氏
「ドル安志向」矛盾する政策 上野泰也・みずほ証券チーフマーケットエコノミスト
日本で特に関心が高いのは為替だろうが、トランプ政権になった場合、ドル安・円高、ドル高・円安と両方向の可能性がある。
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トランプ氏は元々「ドル安論者」だ。ドル安なら輸出が増えて、米国経済にプラスに働くのに対し、ドル高なら輸入が増えて貿易赤字につながり「悪」だという固定観念がある。大統領に復帰すればドル安誘導を行う可能性があり、そうなれば円高に向かう。
一方でトランプ氏の経済政策は米国内のインフレ圧力を増す要因が多い。主なものは減税、不法移民対策、関税引き上げの三つだ。
減税は景気を刺激し、インフレにつながる。不法移民の強制送還などが強化されれば、米国内の労働力が不足し、賃金インフレとなる。さらにトランプ氏は、すべての国からの輸入品に一律10%、中国からの輸入品には60%超の関税を課すとしている。関税の引き上げは米国内の物価を押し上げる。
インフレ率が高まれば、米連邦準備制度理事会(FRB)は利上げを行い、景気の過熱を抑えようとするだろう。米国の金利上昇はドル高(円安)を招く。
このようにトランプ氏はドル安志向にもかかわらずドル高につながるインフレ政策という矛盾した対策を進めようとしており、為替はどちらに転がるか分からない。
日経平均株価は4万円を超えた後に反落しているが、株価はどうなるか。トランプ氏の経済政策だけを見れば、米国株は上昇し、それに連れて日本の株価も上がるだろう。トランプ氏の政策は基本的に経済成長重視であり、景気を刺激し、株価を押し上げる。
しかし株高になるとしても「トランプ氏勝利」などが判明した段階での初期反応だ。トランプ氏の政策でさまざまな国際秩序が大きく混乱すれば、それを受けて株価は下がることもあり得る。
日本に好影響があるとしたら、ガソリン代や電気、ガス料金が下がるかもしれない。トランプ氏は地球温暖化対策に否定的で、バイデン政権下で控えられている石油や天然ガスなど化石燃料の採掘を大幅に増やすと言っている。
米国は世界最大の産油国であり、採掘を増やせば石油などの世界の供給量が増え、価格はある程度下がるだろう。米国が石油などを安く輸出すれば日本にメリットはある。だが、それはごく短期間の暮らしに利益があるというだけで、決して良いとは思えない。地球温暖化対策に逆行するからだ。
「オクトーバー(10月)サプライズ」と言われるように、大統領選は直前まで分からない。ハリス副大統領は女性や黒人票を集めることが可能で、トランプ氏優勢が足元で揺らいでいる。一方、同時に行われる上下両院選で共和党が多数派を確保し「トリプルレッド(党カラー)」が実現するかにも、金融市場は関心を抱いている。
銃撃事件を機に共和党には求心力が働いており、共和党の一枚岩が続けばトリプルレッドの可能性は増す。そうなれば、FRB議長の人事も含め、トランプ氏の意に沿う政策が実行されやすくなる。【聞き手・宇田川恵】
吉崎誠二氏
住宅市場の影響、限定的か 吉崎誠二・不動産エコノミスト
日本の住宅・不動産市場は現在、売買が活発で価格も上がり、活況が続いている。トランプ政権になったらどう変わるだろう。
住宅・不動産を巡る日本の環境は、トランプ氏が米大統領選で勝利した前々回の2016年と今年とでは違っている。16年1月、日銀は「マイナス金利政策」の導入を決定した。一方、今年3月にはマイナス金利を解除し、約17年ぶりの利上げに踏み切った。そして今、日銀はいつ追加利上げを行うか、米連邦準備制度理事会(FRB)がいつ利下げをするか、が市場の焦点となっている。
金利は住宅・不動産に大きく影響し、どう動くかがポイントになる。トランプ氏は大統領に復帰したら関税の引き上げを行うと言っている。関税が上がれば米国の輸入品価格が上がり、米国内のインフレは強まる可能性がある。トランプ氏は元々、景気を押し上げるため低金利を支持するスタンスだが、インフレが激しくなれば、FRBは政治的な圧力を受けない限り、利上げに動く可能性がある。
一方、トランプ氏は大型減税を行うとも語っている。これは財政悪化につながり、米国の長期金利上昇につながる。
米国では現在、インフレが収まりつつあり、FRBは9月にも利下げを行うとの観測が強い。そして日銀は徐々に利上げを行う見通しで、このままなら日米の金利差は縮小し円安も落ち着くはずだ。
だがトランプ氏が復帰し、米国の金利が上昇するとしたら、日米の金利差はさらに拡大する。そうなれば円安がいっそう進み、日銀は物価高を抑えるため、利上げの勢いを強めるかもしれない。
日銀が大規模な利上げに踏み切れば、住宅ローン金利はかなり上がる。日本では、金利が定期的に見直される変動型の住宅ローンを利用している人が大半を占めている。もし各家庭のローン負担が重くなれば、住宅・不動産市場は冷え込む可能性がある。
ただ冷静に日本経済を考えれば、日銀が大規模な利上げを行うはずはない。利上げが続くとしても、それほど大規模ではなく、各家庭の負担も限定的なはずだ。
住宅・不動産市場が実際に冷え込むとしたら、住宅ローン金利が少し上昇しただけでセンセーショナルに伝えられ、市場のムードが悪化する場合だ。誰もが冷静に現状を把握すれば、今の活況がそう落ち込むことはないと思う。
一方、不動産関連で言うと、米国のオフィスビルなどの商業用不動産市場には火だねがある。米国の商業用不動産価格は暴落している。新型コロナウイルス禍を機とした需要の激減や、高金利により借り手が資金調達できなくなっているためだ。
米国の不動産関係者は現在、一刻も早い利下げを求めているが、トランプ政権になれば金利上昇の可能性がある。もし状況が悪化すれば、08年のリーマン・ショック時のような大規模な金融不安につながり、日本に飛び火する危険もある。その可能性は低いとは思うが、注意しておくべきだ。【聞き手・宇田川恵】
荻原博子氏
企業は賃上げどころじゃない 荻原博子・経済ジャーナリスト
米国と日本の関係は、マンガ「ドラえもん」に登場する「ジャイアンとスネ夫」のようだと言われてきた。お金持ちのスネ夫(日本)は親分であるジャイアン(米国)のためにいろいろなモノを買って機嫌を取る。決して両者は対等な立場ではない。
トランプ氏はアメリカファースト(米国第一主義)が基本。安全保障面でも自身はカネを出さず同盟国に負担を求める。バイデン現政権下でも防衛費の増額圧力はあったが、もしトランプ氏になれば、日本はさらに防衛費増を求められる。国の支出が増え、巡り巡って庶民の暮らしに悪影響を及ぼすだろう。
トランプ氏のコアな支持者は、鉄鋼や自動車産業などが衰退した「ラストベルト」(さびついた工業地帯)の「プアホワイト」(貧しい白人層)だ。彼らの仕事を確保するには国内産業の保護、育成が必要で、トランプ氏は外国製品への輸入関税を引き上げ、一方で米国製品を少しでも多く売りつけようとしてくる。日本の輸出企業はトランプ氏の再選に危機感を抱いていると思う。
戦国時代に例えれば、トランプ氏再選は日本企業にとって、城の周りを、次に何をしてくるかわからない強敵に囲まれるようなものだ。城主は、家来の食いぶちを減らしてでも守りを固める必要に迫られる。再選されれば、日本企業経営者はさらに防御的な姿勢を強めざるを得ない。日本ではすでに2年以上、実質賃金の低下が続いているが、企業は従業員の賃上げどころではなくなるのではないか。
外交分野でもトランプ氏が何をやるのか、未知数の部分が大きい。トランプ氏の娘婿のクシュナー元大統領上級顧問は、戦闘が続くパレスチナ自治区ガザの海岸線を、「リゾート地として整備するため住民を移転させるべきだ」といった趣旨のことを語っている。実際にやれば世界がひっくり返る事態だが、イスラエルのエルサレムへの首都移転を認めたトランプ氏が再選されれば、そんなことが起きやすくなることは確かだ。
資源に関してもトランプ氏は、米国内の石油、天然ガスを「掘って掘って掘りまくれ」という姿勢で、中東は警戒を強めている。石油輸出国機構(OPEC)が対抗して産出量を絞れば原油価格は高騰し、資源を中東に依存する日本経済への影響は大きい。
米経済界は、減税をうたうトランプ氏を歓迎するだろう。金利も下がり、株価はもっと上がるかもしれない。一方で、日本の日経平均株価は4万円台を行ったり来たりしている。日本の投資家は、この先どうなるか見通せずに迷っている。外国人投資家が市場から「米国の方が景気がよい」と去ってしまえば、株価は急落する。日本の株価は米国次第だ。
トランプ氏にとって、一番利用しやすいのが日本だ。日本は富を吸い上げられて貧しくなる一方で、「トランプの米国」と取引し莫大(ばくだい)な利益を上げる人も出てくるだろう。「もしトラ」の実現は、日本の二極化をさらに進める方向に働くと思う。【聞き手・西尾英之】
経済政策、主張は
トランプ氏が掲げる経済政策は1期目と同様に、保護主義をはじめとした「米国第一主義」が色濃い。米国の生産者が最優先で、重要な物流網を国内に戻すほか、貿易赤字を縮小するため一律関税を導入すると主張。移民政策では米国史上最大の強制送還を計画する。さらにバイデン政権の気候変動対策を廃止して米国内のエネルギー生産の規制を撤回、それによりインフレを終わらせるとも言う。
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■人物略歴
上野泰也(うえの・やすなり)氏
1963年生まれ。上智大文学部卒。会計検査院、富士銀行(現みずほ銀行)などを経て現職。「No.1エコノミストが書いた世界一わかりやすい為替の本」など著書多数。
■人物略歴
吉崎誠二(よしざき・せいじ)氏
1971年生まれ。早稲田大大学院修了。船井総合研究所などを経て、2016年、一般社団法人住宅・不動産総合研究所理事長。著書に「不動産投資のプロフェッショナル戦術」など。
■人物略歴
荻原博子(おぎわら・ひろこ)氏
1954年生まれ。明治大卒。経済事務所勤務を経て82年に独立。生活者目線の経済解説に定評がある。著書に「私たちはなぜこんなに貧しくなったのか」など。