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毎日新聞2024/7/31 東京朝刊有料記事1907文字
幸陶一さんは認知症になった後も家族の応援を得て、生きがいの散歩を続ける=京都市西京区で5月、川平愛撮影
認知症になっても自分の望む外出をできるだけ長く続けるには――。そのための工夫や課題を考える連載企画「認知症の人の外出 あしたへつなぐ」をスタートした(社会面などに随時掲載)。平均寿命の延びた長寿社会は誰でも認知症の課題に直面する時代でもある。外出というテーマを通して、認知症になっても誰もが暮らしやすい社会のあり方を考えたい。
認知症の人の外出について考えるようになったきっかけは13年前にさかのぼる。
北九州市にある西部本社報道部にいた私(銭場)は、同市の田中紀行さん(当時71歳)が2011年5月に散歩で家を出たまま、行方が分からないことを聞いた。津波によって多くの人が行方不明になった東日本大震災の被災地への出張から帰ってきた時期で、災害が起きたわけでもない身近な場所で人の行方が分からなくなることに驚いた。
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「早く連れて帰ってあげたい。同じ思いをする人は二度と出てほしくない」。取材に応じてくれた妻、澄江さん(80)のその言葉は今でも私の心に残っている。現在も行方は分からず、澄江さんは帰りを待ち続けている。
「守れなかった」 家族も孤立感
東京に異動後も取材を続けると同じように行方が分からないままの当事者は各地にいた。これまで10人を超える家族に直接話を聞いた。捜索活動など自分たちにできることには限界があり、本人を守れなかった後悔とともに孤立を感じている家族も多かった。
実際に認知症が原因で行方不明になる人は増え続けている。23年に警察に届け出があったのは1万9039人。統計を取り始めた12年(9607人)以降、11年連続で増えてほぼ倍になった。多くは無事に見つかるものの、田中さんのように行方不明のままの人もいる。過去の届け出を含め23年に死亡して見つかった人は553人に及んだ。
こうした課題を知ってもらおうと何度も記事にする中、ある不安を感じるようになった。行方不明の実態を伝える報道が「認知症になると何も分からなくなる」という偏見を強める恐れがあることだ。
ある大学生からこんな感想を直接聞いて懸念はさらに膨らんだ。「認知症の人にはチップを体に埋め込んで(位置情報で)場所が分かるようにした方がいいですね」。当事者を守りたい気持ちから生まれた発言だと思うが、人を人とも思わないような言葉にショックを受けた。
そうした気持ちを抱えた時期に私は同じ地域に暮らす認知症の人と偶然出会い、地元の集まりで一緒に活動するようになった。当事者が実際にどんな思いで過ごしているか、知りたい気持ちもあった。
ともに運動をしたり、遊びに出かけたりする中で実感したことは多い。認知症になって苦手になることはあっても、「何も分からなくなる人」ではない。感情は当たり前に生きており、望んだ場所に出かけて充実した時間を過ごすことは、自分の人生を「生きる」ことにつながっていた。
日常生活送るノウハウ模索
課題も見えてきた。家族が片時も目を離さず付き添うようになると、家族も精神的に苦しくなる。家族の負担を減らしてどうやって本人を支えるか、真剣に考える必要があると感じるようになった。
認知症といっても人によって年齢や症状、生活環境などは異なる。だからこそ本人が「自由」と「安全」を両立して外出を続けるためのヒントは一人一人の中にある。
道に迷うなどのトラブルがあってもどうすれば落ち着いて対応できるか。一人で出かける力のある早い時期から自分に合った工夫や備えを考えることは、長く外出を続ける力になる。問題が起きた後の話し合いも重要だ。京都市の幸陶一(ゆきすえかず)さん(79)が散歩中に山道の急斜面を滑り落ちる経験をした後、家族は本人を交えた会議を開いて安全に散歩を続ける方法を一緒に考えた。
一人で目的地にたどりつくことが難しくなっても、移動の付き添いなどの支援を得て自分の望む活動を続けている認知症の人も多い。問題を防ぐための「監視」ではなく、生きがいを持った本人の暮らしを応援するようなサポートがもっと増えてほしい。
毎日新聞は30年を目標に果たすべき役割として「見逃されがちな社会課題を照らし出し、伝えることで、誰もが自分らしく生きられる社会を実現していく」ことを掲げている。今回の企画では、外出を続けるための工夫や体験談、あってほしい支援策などを募集して「あしたへつなぐ」ことを目指している。
認知症になった人たちが前向きに暮らす姿は社会に安心をもたらすだろう。一人一人の当事者や家族を大事にできる取り組みをともに考えていきたい。