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毎日新聞2024/8/1 東京朝刊有料記事2680文字
日銀は31日、政策金利を現行の0~0・1%程度から0・25%程度に引き上げると決めた。金利がほぼない状態を脱し、利上げの階段を本格的に上り始めたことになる。植田和男総裁は同日の記者会見で、更なる利上げへの意欲を強くにじませた。このタイミングで決断したのはなぜか。政策金利(短期金利)が上がると、景気や人々の暮らしにどんな影響を及ぼすのか。
「少しずつ調整(利上げ)した方が、急激な調整のリスクを減らす意味でプラスだ」。対応が後手に回れば、物価上昇が加速した際に急ピッチな利上げを余儀なくされ、経済に大きなダメージを与える恐れがある。植田氏は31日の会見で利上げを徐々に進める方針を強調した。
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日銀は消費者物価が前年比で安定的に2%上昇する経済を目指している。既に2%超の物価高が2年以上続いているが、これまでの日銀は「円安や資源高による一時的な上昇だ」として静観。賃上げに伴って物価が上がる好循環が生まれるか見極めてきた。
2024年春闘での大幅な賃上げ基調を受け、3月にマイナス金利など異次元の金融緩和策を終了。政策金利を0~0・1%程度に、約17年ぶりに引き上げた。ただ、日銀内では政策転換直後から「この水準が政策金利のゴールと考えていない」(幹部)との声が上がっていた。
植田氏も国会やこれまでの会見で「基調的に物価が上がれば、金融緩和度合いを調整していく」などと説明し、段階的な利上げ方針を示していた。
このタイミングで追加利上げに踏み切った理由は大きく二つある。一つは日本経済が大きく崩れてはおらず、日銀の見通しに沿って推移しているためだ。
厚生労働省が7月25日に公表した5月の毎月勤労統計調査(確報、従業員5人以上)によると、現金給与総額のうち、基本給を中心とした所定内給与(共通事業所ベース)は前年同月比2・8%増だった。4月(2・2%増)から伸びが拡大し、「賃金上昇は大企業だけでなく、中小企業にも広がっている」との受け止め方が日銀内に広がった。
物価の影響を除いた実質賃金は26カ月連続のマイナスで、依然として賃金の伸びは物価上昇に追いついていない。ただ、日銀は賃上げが今後も続き、政府の定額減税などの効果も合わさって、遠くない将来に実質賃金がプラスに転じるとみている。人件費の比率が高く、賃金動向が反映されやすいサービス価格の上昇も確認され始めている。
足元の円安進行も日銀の背中を押した。想定以上に堅調な米景気などを背景に、ドル円相場はここ3カ月ほど、歴史的な円安・ドル高の水準が続いた。一時は1ドル=161円台となり、4月以降に政府・日銀は複数回にわたって円買い・ドル売り介入に踏み切った。
円安が物価に与える影響は数カ月後に出てくるとみられる。「経済全体にマイナス」「物価上振れリスクだ」などと警戒する日銀幹部も少なくなかった。利上げで日米金利差が縮まれば円高方向に働きやすいため、追加利上げを判断しやすい状況だったと言える。
金融政策を巡ってはここ最近、岸田文雄首相をはじめ、閣僚や自民党幹部から利上げを促すような発言が相次いだ。
今後、日銀はどこまで利上げを進めるのか。市場では、半年に1回程度のペースで0・25%ずつ引き上げていくとの見方がある。24年末~25年3月をめどに、0・5%に引き上げるかどうかが焦点となりそうだ。植田氏は年内の利上げについて「一段の調整はありえる」として、排除しない姿勢を示した。長らく実施していない0・5%から先の引き上げが難しいか問われ、「壁とは認識していない」とも述べた。
JPモルガン証券の藤田亜矢子チーフエコノミストは、25年12月までに更に計3回の利上げを想定。政策金利は1・0%に上昇すると予想する。「日銀は現時点で『1%程度までの引き上げは可能』と考えているのではないか」と指摘する。
日銀「個人消費崩れない」
気がかりなのは、利上げによる景気への影響だ。
一般的に、利上げは物価上昇を抑制し、過熱気味の景気を冷やす効果があるとされる。一方、物価高で節約意識が強まっており、国内総生産(GDP)の約6割を占める個人消費は力強さに欠ける。景気に過熱感は見受けられない。
利上げで銀行は短期の貸出金利を引き上げるため、変動型の住宅ローン金利など、借り入れの負担が増して消費が失速する可能性がある。企業も値上げをためらうようになり、日銀が目指す本格的な物価上昇を阻害しかねない。
みずほリサーチ&テクノロジーズによると、日銀が25年3月までに0・5%への利上げをした場合、25年度の実質GDPを0・1%程度下押しする。日銀内でも「消費が上向いている姿をしっかりと確認したい」など、前のめりな利上げに慎重な意見が出ていた。
収益力が乏しく借金の割合が大きい中小企業は、借入金利の上昇で利払い負担が重くなる。
難しい判断を迫られたが、個人消費については「崩れることはない」というのが日銀の主要な考えだ。3月末時点の家計の現金・預金は1118兆円で全体の5割超を占める。利上げで利子が増えれば家計全体にとってはプラスとなる。
植田氏は「(今回の利上げで)景気に強いブレーキがかかるとは考えていない」として、景気腰折れリスクは大きくないとの認識を示した。みずほリサーチ&テクノロジーズは、家計部門は年間1・5兆円程度の所得増加(25年3月時点で政策金利が0・5%の場合)になると試算する。
利上げを続けることで過度な円安進行にブレーキがかかれば、原材料の輸入コストやエネルギー価格の上昇が抑えられ、企業や家計にはプラスとなる。
日銀はこれまで長い間、国債を大量に購入して金利を抑え込んできた。買い入れ規模の縮小とともに利上げの階段を上がる中で、日銀が発信の仕方を誤れば、長期金利の思わぬ上昇を招くリスクもある。植田日銀はこの先も難しいかじ取りを迫られる。【浅川大樹】
メガバンクも利上げ
日銀の追加利上げを受け、三菱UFJ銀行は31日、変動型の住宅ローンや企業向けの貸し出しなどの指標となる「短期プライムレート(短プラ)」を現行の年1・475%から1・625%に引き上げると発表した。引き上げは2007年3月以来、約17年半ぶり。また、普通預金の金利も0・02%から0・1%に上げる。08年以来の水準で、9月2日から適用する。
三井住友銀行やみずほ銀行も31日、普通預金の金利を0・02%から0・1%に引き上げると発表。三井住友銀は8月6日から、みずほ銀は9月2日から改定する。【竹地広憲】