|
毎日新聞2024/6/15 11:00(最終更新 6/15 11:00)有料記事2949文字
鳥類標識調査で「かすみ網」にかかった鳥を外す調査員。鳥を傷つけずに外すのは職人技だ=山階鳥類研究所提供
鳥類は見た目だけで一羽一羽を区別するのが難しい。判別できるよう「足環(あしわ)」と呼ばれる印を付け、個々の鳥の移動の様子などを調べるのが「鳥類標識調査」だ。日本ではちょうど100年前に始まったこの調査。鳥の知られざる姿が小さな足環を通じて見えてくる。
アシ原が最もにぎわう季節に実施
人間の背丈ほどのアシが生い茂る原っぱは、小さな野鳥にとって格好のすみかだ。天敵から身を隠しやすいことに加え、アシを材料に巣を作ることもできる。虫が豊富で餌にも困らない。
Advertisement
標識調査はこのアシ原などで行われる。山階鳥類研究所(千葉県我孫子市)は環境省からの委託を受け、主に北海道と新潟、福井で実施している。この他の地域でも独自調査をしているところもある。
定期調査は毎年秋に行われる。留鳥に加えて、渡り鳥が中継点として羽休めをしており、一年でアシ原が最もにぎわう季節だ。
特別な許可を得て「かすみ網」使用
警戒心の強い野鳥をどうやって捕まえるのだろうか。
アシ原での鳥類標識調査の様子。鳥獣保護法で使用が禁じられている「かすみ網」を特別な許可を得て使う=山階鳥類研究所提供
使用するのは「かすみ網」だ。鳥獣保護法で使用が禁じられているが、この調査では環境省の特別な許可を得て使う。網目は2センチ弱四方で、糸が細いため広げると鳥からは見えづらく、アシ原を飛び交う鳥を文字通り「一網打尽」にする。
例えば、新潟での調査の場合、高さ3メートル弱、幅12メートルにわたる網を20枚ほど設置すれば、多い日には1日で約40種計数百羽が網にかかる。
鳥を傷つけずに足環装着
調査員は1時間に1度見回り、鳥がかかっていれば、衰弱しないように素早く外して足環を取り付け放鳥する。足環は鳥の足につけるリング状の標識で、この調査では主に軽い金属製の、個体を認識するための番号などが刻印されたものを使う。既に足環が付いている個体が網にかかった場合は、番号を記録してから放つ。
網にかかった鳥を傷つけずにうまく外すのは職人技だ。山階鳥類研究所参与の平岡考さんは「どちらの方向から網に入ったかを見極め、網の絡まり具合を把握するのがポイントだ。ツバメは網にくるまるようになっていて取り外しやすいが、シジュウカラは足で網をつかむので、注意深く外す。小鳥は足も羽も傷みやすいので、力加減も難しい」と説明する。同研究所の認定調査員になるには、ベテランの教えを受けて数年はかかるという。
調査の「原型」は古代ローマ時代に
この調査の原型ともいえる、鳥に人工物をつける行為の歴史は驚くほど古い。
最古の記録は紀元前200年ごろの古代ローマ時代の戦争中にさかのぼる。ツバメの足に付けた糸の結び目の数で、援軍の到着日数などを伝えた記述があるのだという。十字軍の遠征で、ハトが通信手段に使われていたという逸話も残る。
一方、現代のように標識に固有の番号を記載して鳥の行動を把握するための調査は、デンマークで1900年ごろ、ホシムクドリ200羽弱を対象に始まった。この結果に触発されるように、欧州各国や米国で本格的な調査が行われるようになった。
日本では100年前にスタート
鳥を個体識別 100年続く「標識調査」
なぜ標識調査が必要なのか。鳥は哺乳類のように顔の特徴や体色、模様、傷の有無、角などの個性が表れにくい。このため固有の番号が個体識別の重要な手段だ。金属製の足環は脱落することが少なく、鳥の体への負担もほとんどないという。
「ツバメは冬になると東南アジアに行くといわれるが、各地でツバメを観察するだけではそれを証明するのは難しい。足環で個体識別できれば、実際にどこからどこに移動しているかや、野生下での生存期間も知ることができる」。同研究所自然誌・保全研究ディレクターの水田拓さんは話す。
日本での調査は、1924(大正13)年に旧農商務省鳥獣調査室が始めた。戦争による中断(44~47年)などを経て、60年代から同研究所が実務や結果の取りまとめ、調査員の育成を担うようになった。71年に旧環境庁が発足した後は「予算が増額され、調査は充実していった」(同研究所)という。
増減正確に把握、絶滅危機知るきっかけに
カシラダカ。ここ20~30年で生息数が激減したという=山階鳥類研究所参与の平岡考さん提供
長年継続しているからこそ見えてくることがある。
例えば、かつては冬場に河原などでよく見られたカシラダカは、ここ20~30年で大きく数を減らした。80年には全国の捕獲総数約6万7000羽のうち、カシラダカが最多の約3割(1万9000羽)を占めた。だが、2015年には捕獲総数12万羽中わずか4%(5000羽)へと激減した。減っているのは欧州も同じで、国際自然保護連合(IUCN)は16年に絶滅危惧種に指定した。
水田さんは「毎年同じ時期に同じ場所で、実際に捕獲して調べているので、正確に数の増減を知ることができる」と強調する。
ラムサール条約登録も後押し
日本でしか繁殖しないノジコ。標識調査によって、中池見湿地(福井県敦賀市)が渡りの重要な中継地であることが分かったという=山階鳥類研究所提供
中池見(なかいけみ)湿地(福井県敦賀市)が、日本でしか繁殖しないノジコにとって、渡りの重要な中継地であることが明らかになったのも標識調査の成果の一つだ。この調査結果が中池見湿地のラムサール条約登録を後押しし、北陸新幹線のルート変更にもつながったという。
他にも、鳥の生存期間や繁殖開始年齢、生存率などを個体群ごとに調べれば、その個体群が今後何年くらい存続できるかを推定することができる。絶滅のリスクを生息数以外の指標で数値化できるというわけだ。
1万キロ超の移動や「長寿」も判明
意外なことが分かることもある。
コアホウドリ。足に個体を識別するための標識「足環」が付いている=小川竜太さん撮影
南極で足環を付けられたオオトウゾクカモメが赤道を越え、北海道の近海で見つかったことがある。なんと1万2800キロもの長距離を移動していたのだ。
1975年に京都府で足環を付けたオオミズナギドリは2012年、マレーシア・ボルネオ島で衰弱した状態で保護され、約37年も生きていたことが確認された。コアホウドリが70歳になってから繁殖地に戻ってきた米国の例や、小鳥のアオジが14年以上も生きた例などもあったという。
一般的には限られたところで生息しているイメージがあるスズメも、過去には300キロ以上移動した個体がいることが知られている。ツバメでは、大阪からフィリピンまで2708キロを16日間で移動したという記録も残る。
予算削減、担い手不足で継続に課題
ホオジロの仲間のアオジ。鳥類標識調査で14年以上生きた個体がいることが確認された=山階鳥類研究所提供
こうした貴重なデータをもたらす調査も、継続していくには課題も出てきているという。
国の予算が削減され、調査の規模を維持するのが困難になっているという。平岡さんは「過去と同様の調査をしてデータを取り続けないと比較ができないのに、短期的に成果を求められる時代になり、息の長い調査の価値が認められにくい」と危機感を募らせる。
担い手不足もある。調査員として認定を受けた人が全国に400人ほどいるが、高齢化が進む。水田さんは「若い人たちが興味を持ってくれるような環境を整えていきたい」と話す。
観察と標識調査、補完し合う重要性
観察での鳥類調査を得意とするNPO法人「バードリサーチ」(東京都)前代表の植田睦之さんは「観察は大人数で広い面積を調査できるというメリットがあるが、目立つ鳥が中心となり、見えにくいところで生活する鳥の状況は分からない。観察と標識という手法の異なる調査を続け、互いに補完しながら鳥の生態などを明らかにしていくことが望ましい」と話す。【渡辺諒】