|
毎日新聞2024/8/3 東京朝刊有料記事1976文字
東条英機(前列左から3人目)内閣の閣僚ら。有権者が選んだ衆院議員は一人もいない。発足約2カ月後に太平洋戦争が始まった=1941年11月16日
大手メディアが8月に力を入れる戦争報道を、私は一年中続けている。物珍しいのか、夏以外にもしばしば講演やトークイベントに招かれる。取り上げるテーマの一つが、大日本帝国の戦争と「国民の戦争責任」だ。1945年8月15日も含めれば80回目となる「敗戦の日」を前に、この問題を考えてみたい。なお、先回りして言えば、新聞の戦争責任は非常に重い。稿を改めて論じたい。
30年前の94年12月1日。衆院厚生委員会で「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律案」と「原子爆弾被爆者援護法案」について議論が交わされていた。焦点は被爆者に対する補償だ。原爆に限らず、政府は戦争被害者に対する「補償」という言葉を嫌う。国の不当な行為が国民に被害をもたらした事実を認めたくないからだ。代わりに前面に出すのが「慰謝」。つまりなぐさめだ。
Advertisement
광고
質疑の中で与党・自民党の熊代昭彦議員が述べた。「戦争に走った指導者を許してしまった、そういう国民の結果的な責任ではございますけれども、そういうものがあるということで、ひとしく受忍すべきであるというのも一つの考え方であります」。ここで言う「受忍」とは「戦争では国民全体が何らかの被害を負った。だから、それぞれが耐え忍ばなければならない」という理屈(戦争被害受忍論)であり、被害者への戦後補償を拒む政府やそれを追認する裁判所が繰り返してきた「法理」だ。
* *
熊代議員の主張は、戦争について「当時の政治家を選んだ国民にも責任がある」という主張に連なっている。しかし、私はこの主張にくみしない。大日本帝国の時代、国民は「戦争に走った指導者」を選ぶことができなかったからだ。
現在の日本国憲法の下では、国会は主権者である国民を代表する「国権の最高機関」であり、有権者が選んだ議員によって構成される。だが、明治憲法下の帝国議会は「最高機関」ではなかった。衆議院と貴族院で構成され、衆院議員は有権者により選ばれた。ただし、1890年の第1回衆院選の選挙権は、直接国税を15円以上納めた満25歳以上の男性に限られた。該当者は約45万人で、全人口の1%程度にすぎなかった。
1925年には納税の条件が撤廃され、有権者は1240万人と大幅に増えた。それでも人口の20・8%にとどまった。選挙権が認められたのは相変わらず満25歳以上、被選挙権は満30歳以上で、いずれも男性だけ。女性は立候補することも投票することも許されなかった。貴族院議員は皇族や華族、多額納税者などから選ばれた。25歳以上の男性すら議員を選べない貴族院が、衆議院とほぼ対等の権能を持っていた。
有権者が選んだ政治家が首相になり、その首相が戦争を主導したのであれば、国民全体の一部とはいえ、選んだ有権者の責任は問われるべきだろう。だが実際は違った。帝国では選挙を経ていない「政治家」がしばしば首相や閣僚になった。
24年の加藤高明内閣から32年の犬養毅内閣までは、衆院第1党の党首が首相を務めた。「憲政の常道」と言われ、政党政治が定着するかに見えた。しかし、犬養が5・15事件で殺害され「常道」は途絶えた。事件の後、45年の敗戦までの13年間で11人が首相になったが、うち8人は軍人だった。他の3人は貴族院議員の近衛文麿と司法官僚の平沼騏一郎、外交官の広田弘毅。衆院に議席を持っていた者はいない。つまり、25歳以上の男性であっても、首相選びには全く関わることができなかった。
閣僚の中に衆院議員がいれば、わずかでも「民意」を政策に反映できたかもしれない。実情はどうか。41年10月に近衛内閣が総辞職した後、昭和天皇に選ばれて後継首相となった東条英機は陸軍軍人。帝国を破滅させることになる太平洋戦争に突き進んだ時点の東条内閣に、衆院議員は一人もいない。
帝国の戦争は、国民による選挙を経ていない為政者たちによって遂行された。当時、国民は選挙権だけでなく言論の自由も、思想信条の自由も著しく制限されていた。戦時下で「戦争反対」と公言したら逮捕されただろう。殺されていたかもしれない。そんな条件下で、国民に「戦争責任」を求めるのは酷に過ぎる。
* *
政府は今、防衛費の増額や日米同盟の強化など「新しい戦争」への備えを進めている。私が繰り返し書いているように、戦争が起きれば、被害は庶民に広く長く深く及ぶ。
今、18歳以上の男女は国会議員を選ぶことができる。衆院第1党の党首が首相になることがほとんどなので、有権者はどの政党に投票すれば誰が首相になるかも分かる。そうした中で選んだ政党や政治家が国策を誤れば、有権者にも責任がある。安全保障だけでなく、医療も福祉も教育も。選択の間違いのツケは自分に回ってくる。そう自覚した上で、政党や政治家を選びたい。(専門記者)(第1土曜日掲載)