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毎日新聞2024/7/7 07:00(最終更新 7/7 07:00)有料記事1660文字
斎藤幸平・東京大准教授=東京都目黒区で2024年、長谷川直亮撮影
斎藤幸平・東京大准教授
普段、あまり映画を見ない。そんななか久しぶりに、日本での公開を待ち望んでいたスリラー映画、それが「HOW TO BLOW UP」である。
原題は「How to Blow Up a Pipeline」、つまり「パイプライン爆破法」。日本だとパイプラインといっても馴染(なじ)みがないかもしれない。北米には、石油を輸送する何百、何千キロにもおよぶパイプラインがいくつもある。映画では、初めて集う8人の若者たちが、このパイプラインを手作りの爆弾で吹き飛ばすストーリーが描かれる。
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一体、何のために? もちろん、気候変動に対する抗議活動だ。若者たちの背景は異なるものの、石油産業のせいで土地を奪われたり、病気になったり、差別されたりして苦しんでいるという点では共通している。そんな彼らがインターネットで出会い、気候変動を止めるためには、デモや署名集めのような平和的な活動ではもはや不十分であると確信し、大胆な破壊行動に打って出る。
不測の出来事が次々と起こり、ハラハラさせられる。さらに、あたかも自分もこの爆破行為に参加しているかのように錯覚する。途中で爆弾が誤爆したら。実行前に逮捕されたら。そして、葛藤するのだ。そもそも、こんな行為がなんらかの形で正当化されうるのか。これは紛(まが)いなきテロ行為ではないか、と。
実は、映画には原作がある。スウェーデンの環境活動家アンドレアス・マルムの『パイプライン爆破法』(月曜社)だ。この本は、世界的に大きな論争を引き起こした。なぜなら、マルムは既存の気候正義運動(例えば、グレタ・トゥーンベリが始めた「未来のための金曜日」)を批判し、暴力の必要性を説いたからである。
最近の環境運動はデモや座り込みのような活動はするが、その絶対的規則は非暴力である。マルムによれば、そのような運動は十分な成果を与えていない。というのも石油産業や政治家は、その程度の抗議活動で本当の意味での脅威を感じないからだという。
このことは歴史からも明らかだと、マルムは言う。例えば、非暴力で知られるキング牧師。彼が公民権運動において大きな影響力を持ったのは間違いないが、それは非暴力だったから成功したわけではない。同時代には、マルコムXのような暴力を肯定している人々がいた。彼らの破壊行為なしに、公民権運動は成功しただろうか。暴力(マルコムX)があってはじめて、非暴力(キング牧師)の価値が生まれるというわけだ。
石油産業というのは、かつての奴隷貿易と同じように資本主義にとってなくてはならないものである。それを解体するためには、相当の力が必要になる。事態をこのまま放置するなら、何百万、何千万の人が命を落とすことになる。そうであれば、それを防ぐためのパイプラインの破壊はなぜ正当化されないのか? 人殺しロボットが暴走したら、私たちはそれを躊躇(ちゅうちょ)なく壊すはずだ。では、なぜパイプラインはその対象にならないのか。これがテロ、いわば殺人と区別される、サボタージュ(抗議のための器物破損)のススメである。
人を傷つけないとしても、マルムの議論は日本社会では受け入れられないだろう。それでも、歴史を遡(さかのぼ)れば、脳性マヒの当事者団体「青い芝の会」の先鋭的な社会運動なしに社会のバリアフリー化が進んだろうか、と考える必要はある。
なにより、マルムの本を読むと、お前は気候変動を止めるために本気なのか、と問われているような気持ちになる。一方で、暴力による否定だけでは、新しい社会を作ることはけっしてできない。暴力は思考停止につながり、それが暴力の暴走を生むかもしれない。
暴力でも、非暴力でも社会は変わらないのか。それでも諦めずに、行動している人々はたくさんいる。ついに職場の東大でも始まったパレスチナ連帯キャンプや学費値上げ反対キャンプにも学びながら、新しい社会の可能性を考え続けたい。