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映画「どうすればよかったか?」から=Ⓒ2024動画工房ぞうしま
先日、いま話題の映画「どうすればよかったか?」(監督・藤野知明、製作・動画工房ぞうしま、2024年公開)を見てきました。
この映画、昨年12月7日にポレポレ東中野(東京都)ほか東京、横浜、大阪の四つの映画館で封切られるや、みるみるうちに観客動員を増やし、1月下旬からは全国100館以上で上映される大ヒット作となりました。ミニシアター系のドキュメンタリー映画としては異例だといいます。
藤野監督は、20年以上にわたり統合失調症の姉と両親にカメラを向け、家族の姿を映像に収めました。映画の冒頭、スクリーンに次のようなクレジットが出ました。「この映画は姉が統合失調症を発症した理由を究明することを目的にしていません」「また、統合失調症とはどんな病気なのかを説明することも目的ではありません」
ですから、ここで精神科医の私がコメントするのもちょっと気が引けるのですが、やぼを承知で感想を記してみたいと思います。
「早く病院に……」と答えるのは簡単だが
映画のタイトルでもある「どうすればよかったか?」という問いに対する一番簡単な答えは、「早く病院に連れて行ったらよかった」でしょう。なにしろ、姉のマコさんは発症から25年間、なにも治療を受けてこなかったのですから。おまけに、ある時期から家の玄関には南京錠で内鍵がかけられ、自宅に閉じ込められる生活を余儀なくされていました。
それが、3カ月の入院治療を受け薬を服用してからは、以前とは見違えるような穏やかな表情を見せ、家族との会話はもちろん、買い物や旅行も可能になったのです。この姿を見たら「もっと早く病院に……」と誰もが思うところでしょう。
しかし、そうは簡単にいかないのがこの病気の難しいところです。映画を見た人には、きっとわかってもらえると思います。そして、私たちは初めの問いに戻ることになります。どうすればよかったか?
精神科医の私にとっても、藤野監督が投げかけた問いは難題です。病名が同じでも、患者も家族も抱える事情はさまざまだからです。なので、もっとこうしたらよかった……という回答は、多くの場合、いわゆるタラレバ論に終わってしまう。反対に、映画を通して藤野家の事情を知ってしまった観客は、この問いに頭を抱え口を閉ざすことになるのです。
それでも、藤野監督はプログラムの中でこう語っています。「このタイトルは私への問い、両親への問い、そして観客に考えてほしい問いです」
これを一人一人の観客に向けた開かれた問いにするために、次の2点を考えておくことは有益かと思われます。一つは、なぜ統合失調症の患者はみずから進んで治療を受けようとしないのか。もう一つは、なぜ家族は本人を病院に連れて行けないのか。
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この疑問に答えるためには、やはり統合失調症がどんな病気かを説明しておかねばなりません。
映画「どうすればよかったか?」から=Ⓒ2024動画工房ぞうしまわかっていたことが「よくわからなくなる」病気
統合失調症は、脳の認知機能の障害と考えられていますが、それがなぜ起こるのか、脳のどこにどんな変化が生じるのか、本当のところはまだわかっていません。
認知機能の障害といっても、認知症のように記憶や見当識(いまがいつで、ここがどこかわかること)は失われません。病名の意味するところは、知覚や思考をまとめる力が弱くなる病気ということです。
この病気が始まると何が起こるかというと、それまで当たり前にわかっていたことが、よくわからなくなってくる。そうすると、周囲がいつもとどこか違って感じられる。そればかりか、自分の存在自体も不確かなものになってくる。「自分」と「自分の外」との境界線があやしくなって、考えや秘密が外に漏れ出てしまう。
想像するのはなかなか難しいかもしれませんが、これは大変恐ろしい体験です。それこそ正気ではいられない。そこで、当人は、ゆがんでしまった世界とどうにかして折り合いをつけようともがきます。
けれども、最初のショックが大きいとそんな余裕すらないので、急に興奮したり支離滅裂なことをしゃべり出したりする。あるいは逆に、自分の殻に閉じこもり、黙りこんで動かなくなってしまう。
こうした症状は、病気の急性期や再発時によく見られます。ですが、ここまでわかりやすい形を取ることなく、静かに始まってじわじわと進行するケースもあります。
ほかに、この病気に特徴的な症状といえば幻覚や妄想ですが、これらも突然表れる場合もあれば、あとづけのように表れて形を変えながら発展していく場合もあります。ある種の妄想は、失われそうな世界との関係を取り戻すべく、苦しまぎれにひねり出された理屈のようにも聞こえます。
「どうすればよかったか?」の製作の背景や家族について語る藤野知明さん=札幌市中央区のシアターキノで2024年11月27日午後5時49分、谷口拓未撮影
統合失調症は、このように多彩な症状、容体を見せる病気ですが、私が多くの患者さんを診てきてわかったのは、人間はそう簡単には自分の頭がおかしくなったとは思えないものだということです。自分の頭がおかしいとなったら、それこそ「自分」がわからなくなってしまうでしょうからね。
誰であれ、こんな事態に耐えられるはずがありません。だから、おかしくなったのは世界の方だ、周囲の人間の態度が変わった、自分を見る目が変わった、正体のわからぬ組織が自分を陥れようとしているなどといった考えが生まれてくるのでしょう。
なのに、「この患者は病識がない」なんてことを平気で言う医者がいる。自分が病気だとわかっていないというのです。これは病人の気持ちを理解する気のない失礼な言い草です。
25年間の治療的空白はなぜ生まれたか
おかしくなったのは自分ではなく世界の方と考えている人は、病院に行こうとは思いません。しかし、これもみんながみんなというわけではなく、なかには自分がどうかしてしまったかと疑う人もいます。そう感じてはいても、本人は周囲に対する恐怖心、猜疑心(さいぎしん)、警戒心でいっぱいですから、そう簡単に人の言葉に耳を貸そうとはしません。
こんなわけで、統合失調症が疑われる人に治療を受けてもらうのは大変なのですが、ここまでは本人側の事情です。では、家族の方はどうか。
まわりの人たちも本人の内面で何が起きているのかわからない。そのうえ、表に出ている言動は理解しがたいのですから、まず専門家のいる病院に連れて行こうと考えるでしょう。でも、そこにはまた、この病気ならではの問題が立ちはだかります。
映画に登場するマコさんは、医学部在学中に発病したようですが、これは1980年代初頭のことでした。当時は統合失調症ではなく「精神分裂病」という昔の名前が使われていました。
2002年に病名が変更されるまで、精神分裂病は名実ともに現在よりもっと恐いイメージを持つ病気でした。そのまがまがしい名称は患者や家族にとってはスティグマとなっていましたし、病名を告知するのをよしとしない医者さえいました。
私が精神科医として働き始めた時期は、ちょうどマコさんが病気になった頃と重なるのでよくわかりますが、当時は精神科の敷居は今よりずっと高いものでした。まして、医者から精神分裂病と告げられるのは、患者や家族にとって大変ショックな出来事だったはずです。
マコさんは医学生で両親もともに医者でしたから、この家族は病気の恐さや精神医療の現実を一般の人たちよりもよく知っていたでしょう。精神科の診断を受けることには強い抵抗を感じていたに違いありません。
マコさんは24歳のときに一度精神科に入院しますが、両親は彼女を一晩で退院させています。当時高校生だった藤野監督は、父親から姉はまったく問題ないと説明されたそうです。そのときから25年間、マコさんは未治療のまま自宅で過ごすことになりました。
両親は、家から精神病の人間を出すまいと事実を隠そうとしたのかもしれない。あるいは、事実から目を背けるうちに自分たちのうそを信じるようになったのかもしれない。誤った判断といえばそれまでですが、そこから始まった、いやすでに始まっていた家族の物語は、かつて「精神分裂病」と呼ばれたこの病気の特殊性に彩られていたように思えます。
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山登敬之
明治大学子どものこころクリニック院長
やまと・ひろゆき 明治大学子どものこころクリニック院長。同大文学部心理社会学科特任教授。1957年東京都生まれ。精神科医、医学博士。専門は児童青年期の精神保健。おもな著書に「子どものミカタ」(日本評論社)、「母が認知症になってから考えたこと」(講談社)、「芝居半分、病気半分」(紀伊國屋書店)、「世界一やさしい精神科の本」(斎藤環との共著・河出文庫)など。