|
毎日新聞2024/7/25 06:30(最終更新 7/25 06:30)有料記事2207文字
薬剤耐性大腸菌「ST131」の電子顕微鏡写真=佐藤豊孝・北海道大准教授提供
抗生物質などの抗菌薬が効かない「薬剤耐性菌」のまん延は世界共通の課題だ。2050年には、世界で現在のがんに匹敵するほどの死者が出るとの予測もある。その脅威は、あらゆる自然環境に広がりつつある実態が明らかになってきた。
人間社会の耐性菌が自然環境に移行
「薬剤耐性菌のまん延は『サイレントパンデミック(静かな世界的大流行)』と呼ばれています」。国立国際医療研究センター病院AMR臨床リファレンスセンターの松永展明・臨床疫学室長は、耐性菌の脅威についてこう説明する。
Advertisement
世界で深刻化しているのは、人間が過剰に抗菌薬を使うことによる耐性菌の発生や増殖だ。抗菌薬がきっかけで病原菌が耐性を獲得する場合がある。その薬に耐性を持たない病原菌を減らすことはできるが、同時に耐性のない常在菌も減って、耐性菌が増殖しやすい環境になってしまう。
高齢者や他の疾患などで免疫が低下している人が耐性菌に感染して発症すると、使える治療薬が限られたり、無かったりすることから、治療が難しくなる。健康な人の場合は感染しても全員発症するわけではないが、残った耐性菌が他者にうつり、世界中に広がるという事態が起こっているのだ。
国際研究チームによると、耐性菌が直接的な原因となって死亡した人は19年、世界で127万人と推計された。このままだと、50年には1000万人に上ると予測されている。現在のがんによる死者数とほぼ同じだ。
世界の原因別死者数(1年あたり)
耐性菌が広がっているのは人間の社会の中だけではない。
北海道大などの研究チームは16~21年に岐阜県内で採取した野生動物のふんや、岐阜県内の河川や琵琶湖(滋賀県)の水から、薬剤耐性のある病原性大腸菌のうち「ST131」と呼ばれる株を分離した。
大腸菌は尿路感染症などを引き起こす一般的な細菌だが、ST131は医療現場でよく使用される抗菌薬への耐性が確認され、世界中で深刻な問題になっている。その一部は抗菌活性が強く、「最後の切り札」として使われてきた「カルバペネム系抗菌薬」にも耐性があることが報告されている。
薬剤耐性大腸菌「ST131」の電子顕微鏡写真=佐藤豊孝・北海道大准教授提供
環境中から見つかったST131は、人間の社会に由来するものなのだろうか。
チームは岐阜、滋賀両県の医療機関で採取された患者の尿中の大腸菌と、野生動物などの大腸菌を全ゲノム解析した。その結果、両者は遺伝子レベルで類似性が高く、海外で見つかったST131との類似性は低かった。一定の地域内で遺伝子配列が非常に似た株が確認されたことから、「人間の社会で広がっているST131の一部が自然環境に拡散している可能性が高い」と結論づけた。
チームの佐藤豊孝・北大准教授は「薬剤耐性菌といえば、医療現場の中の問題と思われがちだったが、健康な人も保菌していたり、犬や猫などのペットからも確認されたりしている。人間と動物の間で相互に広がる可能性もあり、人間社会だけでなく、動物、自然環境も含めた対策が必要だ」と話す。
南極大陸まで菌を運んでいた動物
人間の影響がほとんど及ばないような場所にまで拡散しているという報告もある。
山梨大や国立極地研究所などの研究チームが18~19年、南極・昭和基地の周辺でアデリーペンギンとナンキョクオオトウゾクカモメのふんを採取し分析したところ、複数の病原体がみつかり、耐性菌の遺伝子も検出された。渡り鳥のナンキョクオオトウゾクカモメの場合は耐性菌の遺伝子が採取した全てのふんに含まれていた。
それまでも南極大陸では、ペンギンなどの動物のふんや土壌で薬剤耐性菌がみつかっていた。ただし、南米大陸に近い南極半島で調べたケースがほとんどで、人間が持ち込んだものが何らかの形で動物に移行したと考えられていた。
ところがチームが採取したのは、昭和基地の近くとはいえ、人間活動の影響がほとんどない場所だ。アデリーペンギンなどのふんや巣の近くの海水を分析しても、人間の便による汚染は確認されず、採取した場所の周辺に人間が耐性菌を持ち込み、動物に広がったとは考えにくい。
では、アデリーペンギンのふんの中の薬剤耐性遺伝子はどこからやってきたのか。
アデリーペンギンの巣に近づくナンキョクオオトウゾクカモメ(中央右)=国立極地研究所提供
動物を追跡するための装置を使って行動パターンを調べたところ、ナンキョクオオトウゾクカモメは南半球の冬になるとインド洋の熱帯・亜熱帯地域に移動し、夏には南極大陸にやってくることが分かった。一方、アデリーペンギンは一年中南極大陸とその周辺にとどまっていた。
こうした結果から、チームはナンキョクオオトウゾクカモメが渡りの期間にインド洋で耐性菌を取り込み、南極に持ち込んだとみている。ナンキョクオオトウゾクカモメが、卵やヒナを捕食するためにアデリーペンギンの巣に近づいたときにふんをし、そのふんなどに接触したアデリーペンギンに薬剤耐性菌が移行すると推測されるという。
チームは「人間が直接持ち込む可能性がほとんどないところでも、動物を介して拡散してしまうことが問題だ。耐性菌などの監視には動物の移動を考慮したアプローチが必要ではないか」と指摘する。
人間だけでなく、動物、環境全体が健康であることを目指そうという考え方は「ワンヘルス」と呼ばれる。松永さんは「ペットの治療や畜産業などでも抗菌薬は使われている。『ワンヘルス』の考え方に基づき、あらゆる場面で抗菌薬を適切に使用し環境中に広げない対策を取ることが、人間の耐性菌感染症予防にも重要だ」と話す。【大場あい】