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毎日新聞2024/8/8 東京朝刊有料記事2838文字
ウクライナ戦争は世界に大きな影響を与えたが、その一つが、グローバルサウスの存在感の高まりである。その概念は学術的に確立されたものではなく、多くの議論がある。ただ確かなのは、ロシアはグローバルサウスを取り込み、西側からの制裁の抜け道を確保し、国際的孤立も回避できているということだ。
つまり、グローバルサウスがロシアの継戦能力を支え、ウクライナ戦争の鍵を握っていると言ってよい。グローバルサウスは、欧米にも中露にもくみせずバランス外交を維持しながら、その時々の最善の選択で最大の国益を得ようとする傾向がある。欧米の価値、規範を共有するとは限らず、中露とも緊密な関係を保つことも少なくない。
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東京で2022年に開かれた「中央アジア+日本」対話の外相会合=代表撮影
サミット参加せず
対露制裁に参加している国は40カ国足らずで、多くの国が今もロシアと貿易し、特に戦争勃発後は安価なエネルギーや小麦などの食糧の供給を享受している。それらの国の多くは国連におけるロシア非難決議などでも棄権や反対に回り、ロシア批判を避ける傾向がある。つまり、ロシアを経済的にも政治的、精神的にも支えていることになる。ゆえに、グローバルサウスの協力なしに、ウクライナ和平を達成することはできない。
戦争長期化の中で、停戦は言うまでもなく急務だが、そのハードルは高い。第一に、ロシア、ウクライナ双方の停戦条件が乖離(かいり)する中で、双方が受け入れ可能な停戦案を構築する必要がある。当然、双方の譲歩も前提となろう。更に、その停戦をいかに順守させるかという第二の問題がある。ロシアに停戦を守らせるための強制力を伴う国際システムが肝要であり、ロシアの再軍備などを支援するアクターの出現も阻止する必要がある。つまり、グローバルサウスも含めた国家、国際社会が全てその停戦案を受け入れ、その順守に協力しない限り、停戦維持は想定できないのだ。
このように、ウクライナ和平を考える上でもグローバルサウスの存在感は極めて大きい。だからこそ、ウクライナのゼレンスキー大統領は、6月にスイスで開かれたウクライナ平和サミットへのグローバルサウスの参加を呼びかけたのである。
その際、ゼレンスキー氏が特に強く呼びかけたのが、経済成長でグローバルサウスの一翼を担う中央アジア諸国=1=であった。旧ソ連の中央アジア及びコーカサスはロシアの継戦能力を実質的に支える国々であり、それらの協力なしにウクライナ和平の実現はあり得ないが、残念ながらロシアへの配慮などで参加した国はなかった。
筆者は、昨年から今年にかけて、中央アジアとコーカサスの6カ国で現地調査を行った。ウクライナ戦争は旧ソ連全体を見なければわからない。これらの国々は「戦争特需」を享受し、経済的に潤っていた。背景にあるのが、ロシアから流出した移民が持ち込んだ財産や、ITや金融などの知識を持つロシア人による新ビジネスの創出や技術向上への貢献、これまで欧米に旅行していたロシア人観光客の大量流入による観光収入などだ。
迂回貿易、潤う経済
さらに、これらの国が、欧米から制裁を受けるロシアの迂回(うかい)貿易を支える構図が生まれている。ロシアは欧米からの輸入ができない状況にあるが、旧ソ連諸国などが欧米から輸入し、それをロシアに輸出すれば、ロシアはかなり自由な貿易ができ、旧ソ連諸国も中間マージンで経済的に利得を得られる。特に注目されるのが白物家電の大量輸入で、ロシアは冷蔵庫、洗濯機などから半導体や電子チップを抜き取って書き換え、再利用している。それらは性能的に新規の兵器製造には使えないが、破損兵器の補修などに軍事利用されている。
つまり、旧ソ連諸国もロシアの継戦能力を大きく支えている。欧米はこの事実を重く受け止め、昨年から旧ソ連諸国にも2次制裁=2=を突きつけており、対露貿易の監視強化や経済関係縮小などに踏み切った国も出ているが、ロシアとの関係を断ち切るのは容易ではない。
なぜなら、ロシアは経済、エネルギー、さらに「脅迫」という切り札を持っているからだ。ロシアとの経済関係が緊密な国は少なくなく、例えばロシアへの出稼ぎ者からの送金が国内総生産の34%に相当するタジキスタンのように、ロシアへの移民が国の経済を支えているような国もある。ロシアは旧ソ連諸国にある原発も支配しており、関係悪化はエネルギー安全保障の大きなリスクにもなりうる。
さらにロシアには、かねて旧ソ連諸国内の小さな問題を炎上させて親欧米路線を妨害し、影響力を維持する傾向がある。その手法は今回のウクライナ戦争でも確認されたところだ。ロシアは「ハイブリッド戦争」の一環で国内問題を抱える国への挑発を続け、その脅迫は各国を影響圏内につなぎ留める有効な手段となっている。特にウクライナの西隣のモルドバのケースでは、ロシアが同国に軍事介入すれば、西側からウクライナ・黒海に攻め込む可能性も生まれる。「脅迫」は、ウクライナ戦争の戦闘自体にも影響を与えているのだ。
日本は自立支援を
岸田文雄首相は今月、カザフスタンを訪れ初の中央アジア5カ国首脳との会合に臨む。日本が2004年から続けてきた「中央アジア+日本」対話は、世界初の試みであった。近年、中露、欧米も同様の対話枠組みを進めているが、日本がその先駆者であり、また、中央アジア諸国には日本への期待が極めて大きいことは指摘しておきたい。
ロシアはそれを知ってか、中央アジアで反日情報戦を激しく展開しているが、日本は中央アジア諸国の真の自立を支えるような援助を行いながら、そのプレゼンスを強化し、ウクライナ和平への間接的協力も果たすべきである。
次回(9月12日)は中西寛・京都大教授です
■ことば
1 中央アジア
ロシアの南側に位置する、旧ソ連崩壊で独立したウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタンの5カ国。古くはロシアと英国が覇権を争った「グレートゲーム」の舞台。ロシアとのつながりが深く、最近では中国の影響力も強まっている。一方、カスピ海西側のコーカサス(ロシア語名カフカス)地方は、旧ソ連のアゼルバイジャン、アルメニア、ジョージア3カ国。
■ことば
2 2次制裁
経済制裁の対象国だけではなく、対象国と取引のあるパートナーにも制裁を科すこと。米国は対イラン制裁で、イランと取引のある外国企業に幅広く制裁を科した。ロシアに対しては昨年、欧州連合(EU)が軍事利用可能物資を供給する第三国への輸出制限を導入。米国は、露軍需産業と取引がある金融機関を欧米の市場から締め出す制裁を実施した。
■人物略歴
廣瀬陽子(ひろせ・ようこ)氏
1972年生まれ。東京大大学院博士課程単位取得退学。博士(政策・メディア)。旧ソ連地域の政治が専門。政府の国家安全保障局顧問など歴任。「コーカサス 国際関係の十字路」でアジア・太平洋賞特別賞。他の著書に「ハイブリッド戦争 ロシアの新しい国家戦略」など多数。