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毎日新聞2024/8/21 07:00(最終更新 8/21 07:00)有料記事2183文字
奈良県立医科大の研究チームが開発した人工赤血球製剤=奈良県橿原市で2024年7月1日、菅沼舞撮影
生命の維持に欠かせない血液だが、体中に酸素を運ぶ赤血球を一から作製することは極めて難しい。その中で日本の研究チームは、廃棄予定の献血を「再利用」する方法で治験にまでこぎつけた。こうした「人工血液」は備蓄ができるため、戦時も含めた有事の利用を見据え、各国が開発を競っている。
難しい人工の赤血球作製
血液は赤血球、白血球、血小板の細胞と、血漿(けっしょう)と呼ばれる液体とで構成されている。白血球はウイルスや細菌、異物、がんといった「敵」から体を守る役割があり、血小板には止血作用がある。血球細胞の9割以上を占める赤血球の仕事は「運び屋」。赤血球内にある、鉄とたんぱく質が結びついた「ヘモグロビン」が酸素と結合し、全身に酸素を運搬する。
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現在、ES細胞(胚性幹細胞)やiPS細胞(人工多能性幹細胞)から白血球や血小板を作る研究が進められている。赤血球のもととなる細胞も、幹細胞やさい帯血中の血液細胞などから作られてはいるが、需要を満たすほどの大量生産は他の血球細胞に比べて難しいという。また、献血から作られた赤血球製剤は、生きた細胞であることから使用期間は採血後28日に限られる。災害や戦時のための「備蓄」には適さない。
そうした状況を踏まえ、奈良県立医科大(奈良県橿原市)の研究チームは、室温で2年間、低温では最長6年間も保存できる人工赤血球製剤を開発した。用いたのは、保存期間が過ぎるなどして廃棄されるはずだった、輸血用の献血だ。
人工赤血球製剤の特徴
日本赤十字社(日赤)から廃棄予定の献血の提供を受け、取り出した赤血球を洗浄・破壊して内部のヘモグロビンを回収。4種類の脂質で構成される特殊な膜で作った微小なカプセルでヘモグロビンを包み込んだ。この「人工赤血球」は赤血球の30分の1程度の大きさ(直径250ナノメートル)で、膜を透過した酸素がヘモグロビンと結びつく。
治験で有効性を確認へ
輸血では、異なる血液型を輸血すると赤血球が壊れて重篤な症状に陥る。しかし、この人工赤血球は血液型を決める「糖鎖」を持っていないので、血液型不一致の心配がない。また、製造過程で加熱処理をしているため、ウイルスなどの感染リスクを排除できる。
人工赤血球の製造方法
チームはすでに少量を健康な人に投与し経過観察しており、輸血時にもみられる発熱などの副作用があったものの、有害な症状は確認されなかった。今後は2026年度にかけて投与量を増やした治験を実施し、さらにその次の段階で有効性を確認していく。
国内の献血は23年、500万人超から成分献血も含め推計223万リットルが集まった。しかし、一部は期限切れなどで廃棄されている。酒井宏水教授(医工学)は「人工赤血球製剤は、必要な時にいつでもどこでも投与できる上に、献血された血液が無駄にならずに済む」と有用性を強調する。チームは離島・へき地医療や大規模自然災害などでの利用を想定している。
一方、備蓄できる人工血小板は、血液を使わない方法で、防衛医科大の木下学教授(免疫・微生物学)らの研究チームが「止血ナノ粒子」の作製に成功している。
粒子は血小板を活性化する物質を脂質膜の中に封じ込めたもの。さらに膜の表面には、血小板を集める働きがあるたんぱく質をくっつけた。血小板が少ない状態でも、この粒子を投与すれば出血部位に血小板を集めて活性化でき、効率良く血栓を作れるという。常温で1~2年保存でき、動物実験をほぼ終えて人への投与に向けて準備が進んでいる。
木下教授は「日本は険しい山地が国土の多くを占め、離島も多い。大地震や豪雨が起きると交通網が完全に寸断してしまう」と地形的リスクを指摘。「輸血が必要な災害は起きないに越したことはないが、万が一発生してもベストを尽くせるよう準備していきたい」と語る。
高まる安全保障上の需要
備蓄できる人工血液は、戦時の利用も想定されている。輸血は救命率に直結しており、米テキサス大の研究によると、イラク戦争とアフガニスタン紛争では、医療施設に搬送する前に死亡した兵士の24%は、治療していれば生存の可能性があった。さらにこのうちの死因の内訳を調べると、「出血」が9割以上を占めていた。
戦場における輸血の重要性
こうした状況を受け、先進各国は独自の輸血戦略を進めている。
米国防総省の国防高等研究計画局(DARPA)は23年、どんな血液型にも投与でき、保存可能で止血効果も備えた万能全血代替製剤の開発に着手した。韓国では少子化による将来的な供給不足に備え、政府が最初の5年間で50億円相当を支援して幹細胞から人工血液(赤血球・血小板)を作る事業を同年にスタートさせており、37年までの大量生産・実用化を目標としている。
日本では防衛省の有識者検討会が24年2月、有事の最前線で負傷した自衛隊員への輸血のあり方として、血液型を問わず投与可能なO型の血液製剤を「極めて有用」と評価する提言をまとめた。人工赤血球や人工血小板についても「実用化されれば非常に有用な製剤となりうる」と言及している。
人工赤血球製剤の開発に携わった奈良県立医大の松本雅則教授(血液内科学)は「人工赤血球製剤は戦場でも利点があるが、医師としては、この製剤が軍事用に使われるのでなく、発展途上国の人たちの命を救うものになってほしい。世界中の人に役立つ製剤に育ってほしい」と話す。【菅沼舞】