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毎日新聞2024/8/17 東京朝刊有料記事1857文字
毎年8月15日前後になると、メディアは戦争体験者の証言を報じる。戦後も79年が経過している。これからは生存者の証言が得られなくなる。危機感は強い。
私たち後の世代が戦争体験を継承すべきことに異論はない。しかし、たとえば次のような定型化したインタビューのスタイルには疑問が残る。戦後に長い間、沈黙を守っていた人々が自身の行く末を考える。最後に戦争の記憶を残さなければいけないと思い直して証言する。生き地獄のような被害体験を語った後、戦争は絶対にしてはならないと結ぶ。
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第一の疑問は、なぜ今も生存している人の証言にこだわるのかである。生存しているか否かで証言の重さに違いはない。既に膨大な戦争体験の記録が残されている。NHKの戦争証言アーカイブスもある。たとえ遠くない将来に生存者の証言が得られなくなっても、これらの証言を読んだり視聴したりすればよいではないか。
関連して、つぎのように指摘することもできる。史料実証主義の歴史研究者にとって、証言記録は2次的な史料である。当時の日記などの1次史料には及ばない。事後的な回想には記憶の改変が紛れ込むリスクがある。
第二に戦争の全体像を見失わせることにつながるのではないか。証言者は戦争の別の側面も語ったかもしれない。あるいはインタビューする側の問いかけ次第で異なる証言を得られただろう。
また、定型化されたインタビューが被害者の視点からなのに対して、歴史研究は民衆の戦争責任も追及してきた。この分野の古典的な研究と呼ぶべき「草の根のファシズム」(吉見義明著)の書名が示唆するように、民衆は被害者である一方、加害者として積極的に戦争に協力した。戦前の婦人運動家、市川房枝が戦時中の戦争協力を問われて、戦後、公職追放となったこともよく知られている。
このような戦時下の日本社会の現実を直視すれば、被害者の視点から戦争の悲惨さを訴えても、不戦を守ることができるとは限らないのではないか。
求めるべきは戦争の複雑な多様性を知ることのできる証言である。継承すべき記憶は、証言にとどまらず、広範な史料のなかにも存在している。記憶が持つ情報伝達量は、時間の経過とともに低減する。低減を食い止めむしろ情報量を拡大するには、私たち一人一人が戦争の記憶の能動的な継承者にならなければならない。
さて、第三の疑問である。生存者がいなくなると日本はすぐにでも戦争を始めるかのような危機感は、何に由来するのか。第一次世界大戦の凄惨(せいさん)な記憶が生々しく残っているなか、わずか20年後に第二次世界大戦が勃発した。この事実の示すところ記憶を共有すれば戦争を抑止できるとの考えは、楽観に過ぎる。
戦後79年間、曲がりなりにも日本が平和だったのは、戦争の記憶の共有に基づく不戦の誓いや平和憲法だけでなく、国際情勢の好都合があったからである。
日本はアメリカに負け実質的には同国に単独占領された。おかげで、同じ敗戦国ではあっても、ドイツとは異なり分断を免れた。対して周辺国は、独立を回復したはずの朝鮮半島に分断線が走った。中国大陸では内戦が起きた。これらの隣国が当事国となった朝鮮戦争に伴う特需景気により、日本は急速な経済復興を遂げる。
さらに世界的な高度成長の時代となった1960年代。冷戦によって生活の優劣を競うようになると、日本も高度経済成長を達成することで、アメリカ陣営の優等生となった。戦後日本は、冷戦の受益国として、平和と繁栄を享受することができたのである。
以上を踏まえて、8月15日を過ぎても考え続けるべきことを三つにまとめる。
第一に、戦争を知らない世代は、戦争経験者の完全なコピーとしての「語り部」にはなれないのだから、戦争の記憶をめぐるアーカイブスに分け入り、本の1ページからでも映像のひとコマからでも、そこで考えたことを自らの言葉で表現すべきである。
第二に、直視すべきは、凄惨な戦争の現実だけでなく、被害者でもあり加害者でもあった前線と銃後の日本国民の戦時下の日常である。あの時代と今とを無関係とするのならば、それまでだ。戦争の時代を反省的に振り返るまでもないだろう。
第三に、日本にとって好都合な国際情勢が失われていくなかで安全保障環境を整備しながら、平和構築の理念を掲げ続け、それを具体化する政策の実施を急がなければならない。そのために、私たち一人一人が国内政治の安定を求めつつ、安全保障政策をめぐる国民的な合意形成をめざすべきである。(学習院大教授、第3土曜日掲載)