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毎日新聞2024/8/18 06:00(最終更新 8/18 10:17)有料記事2638文字
「虎に翼」の一場面。闇市の屋台に座る寅子=NHK提供
NHKの朝ドラ「虎に翼」で主人公の寅子が敗戦後の絶望の淵から再起する場面で、ヤキトリを新聞紙に包んで渡した闇市のおかみを覚えているだろうか。台本には書かれていないが、実はおかみは在日朝鮮人という設定だった。
タレの付いた新聞には、1947年5月3日に施行された新憲法が載っていて、寅子は声を出して読み、生きる希望を抱く。「新憲法万歳!」とは言っていないが、一見そんな場面だ。
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ただ、おかみが在日と知ってからは、私の妄想力が暴走して止まらない。おかみは新聞を読んだのだろうか。新憲法施行の前日に発布された外国人登録令で、一方的に日本国民から除外されたことをあの時知っていただろうか。
裏設定は「ホルモンを焼く在日のおかみ」
おかみ役を演じた在日コリアン3世で劇団「タルオルム」代表、金民樹さん(49)に会いに大阪の劇団稽古(けいこ)場に飛んだ。
市販されている台本で闇市の場面に登場するのは、「店の女将」としか書かれていない。おかみは在日?
金さんによると、昨年末に演出家が来て、「ほんの一場面だけど重要なカギを握る役があります」と出演を依頼された。「当時、闇市には在日もたくさん働いていたはずだから、在日の設定でやりたい」と話し、「台本ではヤキトリを売っていますが、ホルモン焼きを売る在日が裏設定だ」と具体的なイメージも説明してくれたという。
金さんが「朝鮮なまりになっていいですか」と聞くと、「主人公が感情を揺さぶられる場面なので、できるだけ控えめにお願いします」と指示されたという。
「虎に翼」の一場面。本名を砂に書く崔香淑=NHK提供
言われてみれば「ヤキトリ」とか、「ちょっと」のトの音とか、詰まり方とか、かすかに朝鮮人っぽい。ただ、朝鮮服のチマ・チョゴリを着ているわけでもなく、私はSNS(ネット交流サービス)で話題になるまで気づかなかった。裏設定は宣伝しない暗黙のルールがあるのかもしれないが、微妙すぎる。
空襲の在日被害者はどこへ
「これでどれぐらいの人が在日だと気づいてくれるのか、不安だったんですが、現実にはたくさんの人が気づいてくれました。特に在日同胞は熱狂的に喜んでくれました。劇団をよく知るファンの方とかね」
反響の大きさに驚いた金さんは「うれしくもあり、悲しくもありました」と明かす。悲しい?
45年の大阪空襲の時、1万5000人と言われる犠牲者のうち、約2000人が朝鮮人と推定される話をひもときながら語る。
「私たちの劇団では、大阪空襲の朝鮮人被害者の経験談を基にした『キャンパー』という演劇をやってきました。でも、一般的なドラマや映画では描かれない。そもそも在日はそこに存在しなかったかのように。ようやくここまで来たか、それが悲しい」
朝ドラにちょっと出演したからと注目されるのは、金さんにとっては副次的なこと。演劇で表現しようとしていた「在日をいなかったことにしない」という目標の水準から見ると、おかみの裏設定はまだまだという思いのほうが強いのだろう。
国籍にとらわれない憲法の権利は
憲法第14条に「すべての国民は法の下に平等」とある。当時の在日の団体は日本国民になりたいと運動していたわけではない。植民地支配の経緯を踏まえた「独立国民」「解放民族」と認められることを求めていた。しかし、外国人登録令は一方的に「当面の間、外国人とみなす」と議論の余地も選択の機会も与えなかった。
歴史的経緯を踏まえ、国籍にとらわれない権利への道がなかったわけではない。連合国軍総司令部(GHQ)の憲法草案には、「国民」の代わりに人を意味する「自然人」という表現が入っていたが、日本政府との交渉過程で消えた。
「虎に翼」の脚本家、吉田恵里香さんは「透明化された人々を描き続ける」と自身のX(ツイッター)で語っている。「透明化」という言葉には、悪意も自覚もなく、社会的な刷り込みによる色眼鏡を意味しているように思う。おかみの置かれた状況を知りもせず、新聞に書かれた新憲法を読んで感動する寅子も、無自覚な限界があると気づかされる。
劇団「タルオルム」の稽古場で語る金民樹さん=東大阪市で2024年8月7日、堀山明子撮影
おかみは新憲法の載った新聞を読んだか
ところで、おかみはあの新聞を読んでいただろうか。妄想ゲームに、金さんにもつきあってもらった。
「死に物狂いで働いて、あれだけ日本語ができて、それなりの店を構えて、毎日必死に生きているおばちゃんにとって、あの新聞はただの紙にしか見えなかっただろうと思いますね」
恐らくそうだろうと私も思う。日本社会に適応している在日ほど透明化されがちだが、当事者が納得しているかは別問題だ。
順応して見える少数者の胸の内
ドラマでは放火事件で起訴された無実の在日朝鮮人も登場する。法廷翻訳の誤訳が証拠とされても、被告は反論しない。法廷で日本社会への不信感をあらわにする被告の弟とは対照的だ。
在日コリアンで、「虎に翼」の朝鮮文化考証に協力した大阪産業大学准教授の崔誠姫(チェソンヒ)さんは「兄弟2人で助け合って生きてきて、立場は違うけれど、日本社会に対する不信感がベースにあり、それぞれ別の形で表現したと思います」と語る。日本社会に順応して見える被告の兄も、納得しているわけではないという分析だ。
ドラマで「ヒャンちゃん」と呼ばれているのは、朝鮮人留学生出身の寅子の学友、汐見香子。子供を差別から守るために、日本名で日本人として生きる決意をした。放火事件の被告が弟にあてた手紙を読んで、自分と重ね合わせ「(抵抗を)あきらめたんだと思う」と涙を流す。
社会に溶け込むにはみんなと同じことをするのが当たり前と考えると、こうした順応している少数者を無自覚に「透明」にしてしまう。
隣に日本名の在日がいるかも
「すぐ隣にいる佐藤裕子さんが、実はキム・ジヨンさんかもしれないですよ」。崔さんは、日本でもベストセラーになった韓国のフェミニズム本「82年生まれ、キム・ジヨン」を例に出しながら、見えない少数者を意識して日常的に過ごす大切さを語る。韓国本のタイトルは82年に生まれた最も多かった女性の名前。日本では佐藤裕子にあたる。自身に起きた差別や違和感を率直に表現したこの本にいろいろなバージョンがあると想像すると、気づき力の筋トレになりそうだ。
人知れずあらがう少数者を想(おも)う。無自覚に透明化している人が私の中にもいると疑い、アンテナを背骨に1本立てるイメージをしてみる。【外信部・堀山明子】
<※8月19日のコラムは古河通信部の堀井泰孝記者が執筆します>