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毎日新聞2024/8/18 東京朝刊651文字
人間国宝に認定されることになった浪曲師の京山幸枝若さん=大阪市中央区で2024年7月17日、西村剛撮影
桃中軒(とうちゅうけん)牛(うし)右衛(え)門(もん)は異色の浪曲師だ。明治初めの1871年にいまの熊本県荒尾市に生まれ、父や兄たちを通し自由民権思想の影響を受けた。97年には亡命中の孫文と出会い、中国革命の支援に奔走する。宮崎滔天(とうてん)の名の方が知られているだろうか▲激動の半生記「三十三年之夢」に、中国での蜂起失敗後、浪曲師への転身を決意し1902年、桃中軒雲右衛門に入門するまでをつづる。「夢の名残の浪花武士、刀は棄(す)てゝ張り扇」と歌う「落花の歌」に革命に挫折した思いがにじむ▲浪花節とも呼ばれる浪曲は、デロレン祭文(さいもん)などといった大道芸にルーツを持つ。その社会的地位を上げ、中興の祖とされるのが雲右衛門だ。優れた芸質はもとより、台本を整え、豪華なテーブル掛けの演台といった現在のスタイルを確立した▲九州で絶大な人気を博し、ついに東京の大劇場に進出。活躍ぶりは07年に「浪花節」が流行語になったことからもうかがえる。芸の革命の陰には、牛右衛門の少なからぬ助力があったという▲「浪曲語り」が国の重要無形文化財に初めて指定され、京山幸枝若(こうしわか)さんが人間国宝に認定されることになった。同じ大衆芸能でも落語はこれまで4人、講談は2人が選ばれている。幸枝若さんの「夢でした」という言葉に真情がこもる▲昭和初めの最盛期には3000人ともいわれた浪曲師も、いまは東西で60人ほどだ。今回の認定は後継者育成の弾みになるだろう。「日本中の人に浪曲を知ってほしい」。夢への道はまだ続く。