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毎日新聞2024/9/30 11:00(最終更新 9/30 11:00)有料記事3090文字
就職活動を機に、吃音がある吉田修平さん(仮名)がさいたま市で取得した精神障害者手帳=本人提供
言葉がなめらかに出ない吃音(きつおん)の当事者が、職場での配慮を求めて障害者手帳を取得するケースが目立っている。吃音を「障害」と捉えることに抵抗感を抱く人も少なくない。だが、当事者団体によると、社会で吃音への理解が十分ではない中、安心して働くために「手帳取得は有効な選択肢」と考える人が増えているという。【遠藤大志】
モニター越しの面接官が言ったのは…
「話し終えるまで待っていただけると助かります。職場の人には自分から吃音を打ち明けたいです」
今春、オンラインで実施された大手電子部品メーカーの1次面接。東京都内の私立大に通う4年生の吉田修平さん(仮名、24歳)=さいたま市在住=は自宅で、パソコンのモニター越しに対面した面接官に語りかけた。
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写真はイメージ=ゲッティ
緊張した。でも、自分の思いは伝えられた。
吃音者の多くが就職後に苦しむのが、電話対応やあいさつなど、基本的なコミュニケーションだ。
ただ、面接官には「その程度の症状であれば、業務に影響はありません」と言われた。
職場で望む「合理的配慮」について会社側と確認し合うと、トントン拍子に最終面接まで進み、5月には内定通知をもらった。
障害者雇用促進法により、民間企業は雇用者の2・5%以上の割合で障害者を雇い、個々のニーズに合わせ働くための環境も整える義務が生じている。
バイデン米大統領も苦しんだ吃音
選挙集会で演説するバイデン大統領=米南部バージニア州マナサスで2024年1月23日、秋山信一撮影
吉田さんは、英語のコミュニケーション能力を測る国際テスト「TOEIC」で885点(990点満点)をマークした実力を買われて、貿易管理部門への配属が決まった。
「お、お、お、おはようございます」
幼いころから言葉の最初の一音を繰り返す「連発」性の吃音があり、思春期になると、言葉自体が出にくくなる「難発」の症状が表れた。
人口の1%が持つとされる吃音は、言語障害の一つで原因はよく分かっていない。「伸発」(おーーーはよう)といった症状もある。バイデン米大統領は自伝で、幼いころ吃音で苦しんだ経験などを明かしている。
人と話すことは嫌いじゃない
吉田さんは、学校生活で教科書の音読や人前での発表が苦手で「どもることが怖く、コミュニケーションを避ける時期もあった」という。
だが、いじめやからかいもなく、人と話すことは嫌いじゃなかった。「吃音を理由に就職先の選択肢を狭めたくはなかった」
イメージ写真=ゲッティ
障害者雇用枠での採用を望んだのは、吃音が理由で就職活動が不利になると考えたからだ。
大学3年時、企業のインターンシップの面接では、流ちょうな会話ができない上に「言葉が出ないかもしれない」との不安で頭がいっぱいになり、落ち続けた。
「このままではどこも通らないのでは」と就活に危機感を覚えた。昨秋に医師の診断を受け、今年1月、さいたま市から精神障害者手帳の交付を受けた。
障害者雇用枠に絞って就活し、受験した5社のうち電子部品メーカーを含む2社から内定をもらった。
手帳を取得して公的に「障害者」と認められることに抵抗感がある人も少なくないが、吉田さんは「葛藤はありませんでした。職場で配慮を受けられる安心感は大きい」と振り返る。
職場内の連絡はメールやSNSで工夫
角田幸信さん(仮名)は、大学に在職中に「吃音に対する理解は進んでいないことを実感しました」と話していた=大阪市で2022年8月31日午後3時17分、遠藤大志撮影
吃音が原因で仕事を辞め、手帳取得後に再就職したケースもある。
大阪市の角田幸信さん(仮名、30代)は吃音が原因で勤務していた大学を退職後に障害者手帳を取得。今年2月に大阪市内の食品メーカーの障害者雇用枠で働き始めた。
在庫管理などのデータ入力が主な仕事だ。自分の机に電話はなく、職場での連絡もメールや社内SNS(ネット交流サービス)でこなせるなどの配慮を受けている。
細々とした報告など同僚と短く会話することもあるが、「みんな私の障害を知っているので、気が楽です」とほっとしている。
「どもりすぎ」「流ちょうに話して」
2023年3月まで大学で数学講師を務めていたが、授業で吃音が出たことに「どもりすぎ」「流ちょうに話して」などと学生による授業評価アンケートで苦情が相次いだ。
受講した全学生に勇気を出し、吃音があることをカミングアウトするメールを送ったが、返信はゼロ。心が折れてしまった。
角田幸信さん(仮名)が学生から指摘された授業評価アンケートの一部=東京都中央区で2022年9月29日午後4時8分、遠藤大志撮影
大学退職後、難関とされる統計検定準1級を取ったスキルも生かし、いずれはデータ分析を生かした経営戦略の立案に携わりたいという。
角田さんは「今の仕事に不満はありません。障害があることを前提に求職活動をすることで、できること、できないことを採用の入り口段階で明確に伝えられたことが大きい」。
障害か否かの議論に意味はあるのか?
吃音者の就労を支援するNPO法人「ストライド」(東京都)の玉木奨悟理事は「職場の理解がないと、吃音者の能力を正当に評価してもらえない傾向があります。ただ、障害者手帳を持っていれば、企業側も配慮の理由を他の社員に説明しやすくなり、当事者の受け入れがスムーズに進むケースが多い。手帳の取得で配慮を受けられるのは大きなメリットです」と話す。
吃音を「個性」と捉えるのか、配慮が必要な「障害」とするのかを巡っては、当事者でも意見が分かれる。
「吃音が障害か否かという議論は、本質的には意味がない」と指摘するのは、自身も吃音者で、当事者の就労に詳しい筑波大の飯村大智助教(障害科学)だ。
写真はイメージ=ゲッティ
飯村助教は15年に自助団体に参加する吃音者ら628人を対象にアンケートを実施。有効回答者177人のうち「専門・技術的職業」の従事者が29・4%を占め、日本の労働人口一般の約2倍の割合だった。
その一方で、対人スキルが重視される「販売・営業」は約半分の割合の7・3%となるなど、吃音が職業選択に大きな影響を及ぼしていることが分かった。
飯村助教は「ポイントは、吃音者にとって生きにくい構造が社会の側にあるならば、社会の方に障害があると考えるべきだということです。本人が必要と考えるならば、手帳の取得は有効な選択肢の一つとして考えるべきです」との見解だ。
当事者団体「手帳の取得者増えている」
吃音が障害者手帳の交付対象であることが当事者の間でも広く認識されるようになったのは10年代に入ってからだ。
写真はイメージ=ゲッティ
各地の当事者団体をとりまとめるNPO法人「全国言友会連絡協議会」(全言連)などによると、障害者差別解消法の施行(16年)など、障害者の権利を尊重する動きが社会に広がったことが影響した。
全言連の斉藤圭祐理事長は「各地の言友会でも手帳取得者が増えています。特に若い当事者は障害者手帳を取得することに、ほとんど抵抗感がありません」と指摘する。
言友会でも以前は症状の克服や受容などセルフケアに重きを置く活動をしていたが、近年は吃音が手帳交付の対象となることを前提に、社会的理解を広げる運動にも力を注ぐ。
斉藤理事長は、吃音者の手帳取得について「当事者全員が必要としているわけではありませんが、吃音は外見からは理解してもらうのが難しいので、周囲に支援を働きかけるには有効な手段の一つです」と話した。
障害者手帳は3種類
写真はイメージ=ゲッティ
地方自治体が障害者を支援するために発行する手帳には、身体障害者、精神障害者保健福祉、療育(知的障害)の3種類がある。
取得には医師に診断書を作成してもらう必要があり、障害の程度によって交付されないこともある。
吃音の場合は、発達性の障害とみなされて精神障害者手帳の対象となるケースが多い。
交付されると、税金の減免や公共料金の割引などが受けられるほか、雇用者の一定割合以上で障害者を雇うよう民間企業や国、地方自治体などに義務づけている障害者雇用率制度の対象となる。