|
毎日新聞2024/8/21 東京朝刊有料記事4398文字
防衛省・自衛隊で7月、国の安全保障に関わる「特定秘密」の不適切な取り扱いなど不祥事が相次いで発覚した。幹部や隊員ら218人が処分され、海上自衛隊トップの海上幕僚長が事実上更迭されるなど、異例の事態になっている。問題の背景に何があるのか。信頼回復のためには何が必要なのか。
「特定秘密」の扱い 構造的問題 香田洋二・元自衛艦隊司令官
香田洋二・元自衛艦隊司令官=古関俊樹撮影
今回、多くの不祥事が同時に発表されたが、それぞれ発覚した時に速やかに調査をし、国民に説明をすべきだった。タイムリーに情報を出さなかったことで、傷口が広がったと思う。
Advertisement
海上自衛隊の潜水手当の不正受給は組織ガバナンスに問題があった。ダイバーは深海に潜る前、水圧に体を慣らすために加圧・減圧装置において週単位で拘束されるが、その間は潜っていないから手当が出ない。そうした処遇に不満があれば不正が生まれかねず、そこを組織としてチェックできていなかった。
海自は艦艇の中で多くの隊員が一緒に生活し、人間関係が濃くなりやすい。そこには良い面もあるが、時として部下に厳しく接するのが難しくなる。そこが落とし穴だ。(不正を指南した)潜水員長は潜りの専門家だが、部隊の管理について責任感と倫理観が欠けていた。幹部はなれ合いを避けるため、心を鬼にして、勤務状況などを厳しく見ることが必要だった。
一方で特定秘密の不適切な取り扱いは、背景に構造的な問題があるとみている。
自衛隊は日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法(1954年施行)に基づき、米軍から提供された装備品の性能に関する情報を「特別防衛秘密」として管理してきた。そうした中、2014年に特定秘密保護法が施行され、外交や防諜(ぼうちょう)などの分野に関わる特定秘密を規定した。現在は自衛隊が扱う機密情報は2本立ての保全体系になっている。
特定秘密の不適切な扱いがあった艦艇内のCIC(戦闘指揮所)は、特別防衛秘密を扱う資格がある隊員にとって働き慣れた場所だ。新しい法律ができ、特定秘密もCICで扱うことになったが、(閲覧を物理的に制限する)専用区画を設けるような配慮はなかった。狭い艦艇で情報を適切に管理できるかなど法律を作る際にしっかりと秘密保全の面からシミュレーションすることが必要だった。
2種類の「秘密」を扱うのは現場にとって大きな負担だ。どちらも扱うには適性評価をクリアしなければならず、申請書類の作成や管理に多大な労力が要る。私も若い頃に特別防衛秘密の資格申請と管理を直接担当したが、人事異動の度に隊員に何枚もの書類を書かせ、資格認定後も書類の保管状況を定期的にチェックするなど、大変だった。特定秘密の仕事も加わり、現場の負担は倍増している。
今後、防衛省はCICなどに立ち入る可能性がある約2000人に適性評価を実施し、特定秘密を扱う資格がある隊員を増やすとしている。無資格での立ち入りは厳に慎むべきで、その対策はやらなければならないが、現場の負担軽減にも目を向けなければならない。2本立ての適性評価を一本化するなどの措置を取らなければ、隊員の理解は得られない。
一連の不祥事で防衛省・自衛隊に対する国民の信頼はずたずたになった。信頼を取り戻すためには分かりやすい言葉で説明し、速やかに是正措置を取ることが必要だ。【聞き手・古関俊樹】
独立組織調査で膿出し切れ 布施祐仁・ジャーナリスト
ジャーナリストの布施祐仁氏=幾島健太郎撮影
一連の不祥事に共通しているのは、隊員らの順法精神の欠如だ。自衛隊は強大な武力を持つ実力組織で、政府の中でも最も厳格な順法精神が求められる。200人を超える前代未聞の処分が事態の深刻さを物語っている。
背景にあるのは、軍事組織特有の密室性だ。情報保全が優先され、外部の目が行き届きづらい。引責辞任した酒井良・前海上幕僚長が不祥事の背景として指摘した「なあなあ」の組織文化が生まれる要因にも、この密室性がある。機密性が特に高い潜水艦部隊で川崎重工業からの不適切な金品の授受が長年行われていたことは、その最たるものだろう。今回の不祥事は「なあなあ」の組織文化が自衛隊内にまん延していることをうかがわせる。
それは不祥事の大臣報告や公表のタイミングからも見てとれる。警務隊が潜水手当の不正受給で元隊員4人を逮捕しながら大臣に報告していなかった。防衛相はシビリアンコントロール(文民統制)を担う要で、実力組織のガバナンスの根幹に関わる致命的な問題だ。さらに防衛省は川重からの利益供与を4月に把握しながら公表は国会が閉じた7月だった。国会での追及を避け、審議されていた自衛隊関連の法案を通すために公表を先送りしたとの疑いを禁じ得ない。
今回の不祥事で自衛隊への国民の信頼低下は避けられない。深刻な隊員の成り手不足に拍車がかかる懸念がある。今回の処分に限らず、防衛省・自衛隊ではハラスメント行為による処分が大量に発生している。そんな組織に我が子を就職させたいと思う親がいるだろうか。どんなに防衛費を増やしても、肝心の隊員がいなければ意味がない。
国民の信頼がなければ、自衛隊という組織は成り立たない。政府は安全保障環境が厳しくなっていることを理由に防衛費を大幅に増額しようとしているが、信頼回復がなければ国民の理解は到底得られないだろう。
信頼回復には、実態を解明して膿(うみ)を出し切るしかない。だが、防衛省の調査には限界がある。川重からの利益供与を調べる特別防衛監察も、トップは元検事だが、実際に調べるのは隊員たちで、完全な独立性は担保されていない。参考になるのは、議会による軍の統制を重視するドイツの制度だ。軍内部のいじめやハラスメント事案などの調査を議会に設置された組織が担う。事情聴取や内部文書の閲覧が可能で対策も勧告する。日本も国会の文民統制機能を強めるべきだ。
自衛隊は今、深刻な組織矛盾に直面している。近年、任務は急激に増えたのに、政府は米国からの「爆買い」も含めて高額な兵器を買いそろえることを優先し、隊員不足の解消や負担軽減を後回しにしてきた。そのせいで組織内に大きなひずみが生じているように見える。一連の不祥事もこのひずみと無縁とは思えない。自衛隊内での再発防止策とともに、政府の防衛政策の在り方についても真剣に議論すべきだ。【聞き手・大場弘行】
漏えい防止、法律の理解不足 鈴木秀美・慶応大教授
鈴木秀美・慶応大教授=宮本明登撮影
防衛省・自衛隊で特定秘密を不適切に取り扱っていた問題が発覚し、特定秘密保護法の存在意義自体に疑問符を付けざるを得なくなった。本来は特定秘密に当たらない情報を行政が恣意(しい)的に指定していないのか。30年以上に延長できる指定期間が妥当なのか。この法律に基づく制度全体の課題を洗い直すべきだ。
問題の発生が集中した海上自衛隊では、犯罪歴などを調べる「適性評価」をクリアしていない隊員が特定秘密を知り得る状態にあった事例が多かった。この状態が「漏えいに該当する」との認識がなかったことも問題だが、そもそも特定秘密に指定した対象範囲は適正だったのか。指定する情報自体を最小限にしなければならないのが、特定秘密保護法の本来の趣旨だったはずだ。安全保障に関わる機密情報の漏えい防止のために設けられたはずの法律への理解が、肝心の自衛隊で不十分だったのは、正直驚きだ。
2022年12月には海自OBへの漏えいが明らかになった。一方、旧防衛庁時代の02年には情報公開請求者の身元を調査しリスト化していた問題が発覚している。秘密を守るために外部からの開示請求は警戒するのに、元上官のOBや無資格者の隊員は仲間だから教えても大丈夫という感覚が、ずさんな運用につながった面もあるのではないか。
各省庁の運用状況をチェックするために内閣府に置かれた独立公文書管理監の監視や指導が行き届いていなかった点も問題だ。米国では国立公文書館の情報保全監察局が、不適切な秘密指定の解除を求める権限を持ち、専門スタッフの目で政府内の運用状況をチェックしているという。日本でこの役割を担う独立公文書管理監に強制力はなく、米国より実効性が不十分だ。
国会の衆参両院にも議員各8人からなる「情報監視審査会」が設けられている。今回も防衛相に対し、情報保全教育の抜本的な見直しを求める勧告を行うなど一定の役割は果たしているが、委員に守秘義務が課せられているのに政府側が情報開示を拒否できるなど、こちらも限界がある。
こうしたチェック機関の権限強化に加え、民主党政権が11年に法案提出したものの廃案になった、情報公開法の改正も再検討すべきだ。当時の改正案には、文書の不開示決定に不服で請求者が提訴した際、裁判官が非公開の場でその文書の中身を実際に見て開示の是非を判断する「インカメラ審理」の導入が盛り込まれていた。現行の情報公開訴訟で、裁判官は行政が不開示決定した文書そのものを見ることができない。インカメラ審理が導入され、さらに特定秘密に指定された文書も対象になれば、指定が妥当だったかのチェックが可能になる。
機密情報の保全対象を経済分野に広げる「重要経済安保情報保護・活用法」が近く施行され、「秘密」とされる情報と、それを扱うために適性評価を受ける人はさらに拡大する。重要な政策決定のブラックボックス化を防ぐためにも、恣意的な情報隠しができない実効的なチェックの仕組みを早急に構築する必要がある。【聞き手・斎藤良太】
幹部含め218人処分
防衛省が7月に幹部や自衛隊員ら218人を懲戒処分や訓戒などにした問題では、「特定秘密」の不適切な取り扱い▽潜水作業で支給される手当の不正受給▽基地内の隊員食堂での不正な飲食▽部下へのパワーハラスメント――の4事案が対象とされた。他に、川崎重工業が裏金を捻出して海上自衛隊員に利益供与した疑惑も浮上し、防衛相直轄の防衛監察本部が特別防衛監察を実施している。
ご意見、ご感想をお寄せください。 〒100-8051毎日新聞「オピニオン」係 opinion@mainichi.co.jp
■人物略歴
香田洋二(こうだ・ようじ)氏
1949年生まれ。防衛大卒。72年海上自衛隊入隊。92年に米海軍大指揮課程を修了。海上幕僚監部防衛部長、統合幕僚会議事務局長、佐世保地方総監などを歴任し、2008年退官。
■人物略歴
布施祐仁(ふせ・ゆうじん)氏
1976年生まれ。2017年に防衛相が引責辞任した自衛隊日報の隠蔽(いんぺい)問題を表ざたにした。著書に「日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか」(共著)など。
■人物略歴
鈴木秀美(すずき・ひでみ)氏
1959年生まれ。慶応大大学院博士課程単位取得退学。2015年から慶応大メディア・コミュニケーション研究所教授。専門は憲法、メディア法。大阪大名誉教授。