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毎日新聞2024/10/19 11:00(最終更新 10/19 11:00)有料記事2350文字
2024年のノーベル物理学賞を発表するノーベル財団の記者会見=オンライン記者会見のスクリーンショット
今年のノーベル自然科学3賞は、物理学賞と化学賞が人工知能(AI)分野の研究だった。長年「AIはノーベル賞を取れない」と言われてきたこともあり、科学界が受けた衝撃は大きい。ただ各研究の内容を振り返ると、受賞にふさわしい大発見・大変革だったことも見えてくる。
記事ではノーベル自然科学3賞を図付きで解説しています
AIの源流は日本にも
「ノーベル賞には『情報』の分野が無い。AIの研究、コンピューターなどの情報技術の受賞は、想像していなかった」。人工知能学会の会長を務める栗原聡・慶応大教授は率直に驚きを語る。
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物理学賞の受賞が決まったのは、米プリンストン大のジョン・ホップフィールド名誉教授とカナダ・トロント大のジェフリー・ヒントン名誉教授。脳の神経細胞(ニューロン)のネットワークを模した数理モデル「ニューラルネットワーク」を構築し、AIを支える基盤的な技術「機械学習」を可能にしたことが授賞理由となった。
画期的な人工知能
ニューラルネットワークは現在、画像認識や音声認識、「チャットGPT」などの生成AIなど、日常のありとあらゆるAI技術に使われている。ヒントン氏自身が発表後の記者会見で「産業革命に匹敵する」と述べたほどだ。
ではなぜ「物理学賞」だったのか。理論物理学者のホップフィールド氏は、「スピン」と呼ばれる電子の自転をニューロンの働きに見立てた。ニューロンの発火/静止をスピンの右回り/左回りに対応させるなどし、AIに、物理のエネルギーに相当する概念を持ち込んだ。そして、断片的な画像を入力しても、自動的に正しい画像を出せるようにしたのだ。
ヒントン氏はこれを基礎として、ニューラルネットワークに学習能力を持たせることに成功し、1985年に発表。ネットワーク網を多層にすることで高度の情報識別が行える(深層学習)ようにした。例えば、さまざまな種類の靴の画像を入力するだけでその特徴を学習し、学習していない種類でも靴として分類したり、画像生成したりできるようになった。
栗原教授は2人の研究について「あえて言えば、脳内で起こっている現象を、コンピューターを使って物理的に再現したと言える」と説明する。
日本人研究者もAIの発展に大きく寄与している。理化学研究所栄誉研究員の甘利俊一さんは67年、ニューラルネットワークを用いた新たな学習法を発表、今も広く使われている。電気通信大特別栄誉教授の福島邦彦さんは79年、深層学習の基本構造の一つ「ネオコグニトロン」を世界に先駆けて考案した。
甘利さんは今回の受賞決定を受け、「物理はもともと『物の理』を考究する学問であるが、これが『事の理』ともいうべき情報の理にまで幅を広げた。源流は日本にもあり、その成果が国際的に生かされて今日のAI時代を迎えた」との談話を公表した。
AIでたんぱく質の構造を予測
たんぱく質の構造予測
化学賞には、米ワシントン大のデービッド・ベイカー教授、米グーグル傘下ディープマインド社のデミス・ハサビス氏とジョン・ジャンパー氏の3人が輝いた。ハサビス氏とジャンパー氏はAIシステムの開発者だ。
人体に存在する約10万種類のたんぱく質は、わずか20種類のアミノ酸の組み合わせによってできている。数百のアミノ酸が1本の鎖のように連なり、その並びや組み合わせによって、立体的な構造が全く異なるたんぱく質ができる。
ベイカー氏はたんぱく質の構造を予測し、その通りに設計することに成功。ハサビス氏は2010年にディープマインド社を設立し、ジャンパー氏とともに、AIによってアミノ酸配列からたんぱく質の構造を予測する技術を確立した。この技術は「アルファフォールド」というサービスとして18年以降に普及し、世界中の生物学研究に大きな影響を与え、創薬にも活用されている。
一方でアルファフォールドの最新版は限定的にしか公開されておらず、ディープマインドの営利事業となっている。理化学研究所計算科学研究センターの杉田有治チームリーダーは「アルファフォールドは世界中で蓄積された実験データを活用しているのに、それが公開されないのは健全なのかという指摘もある」と話す。
ハサビス氏は、囲碁のトップ棋士に勝利して話題になったAIソフト「アルファ碁」の開発者でもある。物理学賞のヒントン氏も、グーグルで副社長まで務めた人物だ。今年のノーベル賞受賞者のうち、実に3人がグーグル関係者だった。
「線虫」のメリットを生かした研究
マイクロRNAの働き
生理学・医学賞は、米マサチューセッツ大のビクター・アンブロス教授と米ハーバード大のゲイリー・ラブカン教授が受賞する。細胞内での遺伝子の働きを左右する核酸「マイクロRNA」を発見した。
細胞は生物の「設計図」とも言えるDNAから、一部の情報を転写した「メッセンジャー(m)RNA」によって必要なたんぱく質を作り出す。ただ、どの細胞のDNAも同一なのに、筋肉細胞や神経細胞などは、それぞれの機能を果たすために異なるたんぱく質を作っている。2人の発見によって、小さなマイクロRNAがmRNAに結合して、特定のたんぱく質を作らないよう阻害し、遺伝子の働きを制御していることが分かった。
2人は体長1ミリほどの細長い生物「線虫」を使い、マイクロRNAの機能を解き明かした。線虫は透明かつ単純な構造で観察しやすいが、消化器や神経を持ち、人間と同じ遺伝子も多数持ち合わせている。そのため02年、06年、08年のノーベル賞も線虫の研究から生まれている。
過去にラブカン氏の研究室に所属していた木村幸太郎・名古屋市立大教授(神経科学)は「線虫のメリットを生かして予想し得なかった生命のメカニズムを解き明かした研究で、取るべき人が取ったと思う」と喜んだ。【中村好見、菅沼舞】