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毎日新聞2024/10/22 08:00(最終更新 10/22 08:00)有料記事2255文字
環境負荷の少ない農業を推進するスタートアップ「アグリサークル」の最高経営責任者(CEO)のピーター・フレーリッヒさん(右)=同社提供
「気候テック(Climate Tech)」と呼ばれる技術を持つ新興企業に熱視線が注がれている。地球温暖化に歯止めがかからない中、問題解決に貢献すると期待されるこの分野。世界ではどんな取り組みが進んでいるのか。スイスの事例を取材した。
アルプス山脈など、雄大な自然に囲まれたスイス。国土面積は九州とほぼ同じ、人口880万人の小国だが、最先端の技術を強みとしたスタートアップが続々と誕生。中でも気候テックに取り組む企業数は欧州でも突出しているという。
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気候テックとは、温室効果ガス排出削減や温暖化の被害軽減など、気候変動対策を目的とした技術の総称だ。二酸化炭素(CO2)を排出しない燃料の開発などエネルギー分野だけでなく、空気中からCO2を直接回収する技術(DAC)、生産段階で環境負荷の小さい代替肉など多岐にわたる。
スイスの気候テック企業の一つ、「アグリサークル」(2013年創設)は、最新の技術を活用して、環境負荷を抑えた農業を実現する手段を生産者に提案している。
気候変動対策の強化を求めてデモ行進する若者たち=スイス・チューリヒで2024年4月19日、田中韻撮影
環境先進国というイメージの強いスイスだが、温室効果ガス排出削減では苦慮している。欧州人権裁判所(仏ストラスブール)は今年4月、世界の平均気温を産業革命前から1・5度上昇に抑える国際目標に沿っていないとして、スイス政府の現状の気候変動対策は「人権侵害」にあたるとする市民団体の訴えを認めた。
農業は温室効果ガス排出削減のカギを握る分野の一つだ。国連食糧農業機関(FAO)によると、21年に農産物や食品の生産から廃棄までの一連の過程で排出された温室効果ガスは、人間活動による総排出量の30%だった。このうち農場などでの出荷前段階での排出量が半分を占めると指摘する。拡大する食糧需要に対応するため、森林を農地に転換することなどは、生物多様性の損失にもつながっている。
アグリサークルは独自に開発したシステムで、作物の成長の鍵となる農地の土壌の表面温度や、リンやマグネシウムなどの有機物の割合を解析。結果に基づいて、追加する化学肥料を最小限に抑え、温室効果ガス排出を減らせる最適な耕作プランを提案するビジネスを展開する。
雄大な自然に囲まれたスイス。温室効果ガス排出削減では課題も多いという=スイス中央部マイリンゲンで2024年4月19日、田中韻撮影
また、人工衛星による観測データと人工知能(AI)技術を組み合わせ、土壌に貯蔵される炭素量を測定する方法も開発した。こうしたデータを活用することで、炭素貯蔵量を増やすための対策も取りやすくなると期待される。
最高経営責任者(CEO)のピーター・フレーリッヒさんは実家が農業を営み、「(製造段階で温室効果ガスを排出する)化学肥料の大量使用など、収量確保のために続けていたことが温暖化に拍車をかけていた事実は、農家にとって長年のジレンマだった」と振り返る。そのうえで、「農業を持続可能なものにするためにも、温室効果ガス排出を減らす取り組みが必要で、解決には新しい技術が欠かせない」と力を込める。
00年にチューリヒで創業した「エメラルドテクノロジーベンチャーズ」は、アグリサークルを含む気候テック企業に特化して出資する、世界でもユニークなベンチャーキャピタル(VC)だ。資金調達額は23年までに2億5000万ユーロ(約406億円)を超えたとされる。同社はこれまで支援してきた130社以上の技術によって、23年までに870万トンのCO2排出量を削減できたと試算する。
同社のゼネラルマネジャー、シモーヌ・リーデル・ライリーさんは「スイスには世界トップクラスの理工系大学に多くの優秀な人材が集まり、ユニコーン企業(創業10年以内で企業価値10億ドル以上の非上場新興企業)も生み出すなど、気候テック成長の原動力となっている。気候変動は人類が存続できるかどうかが問われる地球規模の難局。世界中の英知を結集させ、イノベーションで乗り越えなくてはいけない」と話す。
気候変動への危機意識が高まった00年代後半、米国を中心に太陽光発電など再生可能エネルギーを主軸とした「クリーンテック」がブームとなった。ブームは一時、下火となったが、15年に温暖化対策の国際枠組み「パリ協定」が採択されたころから、民間レベルでも脱炭素の動きが活発化した。
排出削減に向けた大規模投資も加速し、例えば、米IT大手マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏らは気候変動対策に役立つ技術のための基金を16年に設立した。また、AIをはじめとした新たな技術も気候テック分野の成長を後押ししている。
こうした潮流の中で、日本国内での動きはまだ限定的だという。
電気自動車(EV)導入支援などの事業を手がけ、22年にアジア太平洋の気候テック25社に選出されたコンサルティング企業「アークエルテクノロジーズ」の宮脇良二代表は、「日本の気候テックのスタートアップの数は世界に比べて圧倒的に少ない。日本には気候変動対策に資する技術がまだ多くある。気候テックへの投資は衰え知らずで、ビジネスチャンスをつかむためにも、官民一体となった下支えが必要だ」と話す。
ただし、技術だけに依存した気候変動対策の限界も指摘する。宮脇さんは「イノベーション一辺倒では1・5度に抑える目標を達成するのは不可能だ。環境負荷を抑えたライフスタイルなど個人の行動変容との両輪でないと実現は難しい」と強調する。【田中韻】
気候テックの例
・再生可能エネルギー
・代替燃料
・マイクログリッド(小規模電力網)
・二酸化炭素回収・貯留
・電気自動車(EV)
・高速充電ステーション
・建物の断熱化
・代替肉、培養肉
・次世代プラスチック