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毎日新聞2024/8/23 06:00(最終更新 8/23 06:00)有料記事1814文字
基地があった瀬戸内海の大津島で展示している、復元された「回天」=山口県周南市で2011年8月7日、遠藤雅彦撮影
旧海軍の人間魚雷「回天」は、爆薬1・5トンと550馬力のエンジンの間に操縦席がある。潜水艦などからいったん発射されると、永遠に戻らない。79年前の夏、この直径1メートルの「鉄の棺おけ」から生還し、戦後は「大東亜戦争の遺産」にこだわり続けた人物がいた。哲学者の上山春平(1921~2012年)だ。
京都大名誉教授で紫綬褒章受章者、文化功労者。天皇に進講し、中曽根康弘元首相(1918~2019年)とも交流した。次女の上山あゆみ九州大教授(61)に素顔を聞くと「合理的に生きようとしつつ、どこか保守的な面もある人だったと思います」。
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京都帝大(現京都大)を43年秋に卒業後、回天搭乗員に志願した。回天は訓練時から事故死者が出た。上山も水中で約20時間閉じこめられ、窒息死しかけた。
戦友は実戦で続々と発射され、次は本人の番だ。45年5月と8月に潜水艦で出撃したが、戦闘の機会なく敗戦。
哲学者の上山春平・京都大名誉教授
戦後は「中央公論」61年9月号の「大東亜戦争の思想史的意義」を皮切りに、80年代まで関連論文を書いた。
その要点はまず、①日本が戦ったのは「大東亜戦争」であり、米国側の呼称「太平洋戦争」を使うのはおかしい②極東国際軍事裁判(東京裁判)は勝者による一方的な裁き③日本国憲法は連合国に「押しつけ」られた――。ここまでは凡百の「右派」と同じ。圧倒的に違うのは、あの戦争のアジア侵略の面を認める点だ。
上山の理解では、多くの日本人は戦後、連合国軍総司令部(GHQ)に太平洋戦争という戦争名を強制されるとともに、連合国目線で過去を認識しだした。米英側は完全な善で、私たち国民は軍部にだまされただけ。だから、東京裁判もひとごとだと思った。
確かに、明治憲法は国民主権ではなかったから、一般国民に開戦などの制度的責任はない。が、上山は自分たちが主体的に戦争を戦ったと実感していた。東京裁判の趣旨はいいが、米英との戦いは資本主義国同士の縄張り争いにすぎず、彼らが日本を裁いたのはおかしい。アジア侵略などを日本が自らで反省するには、大東亜戦争という言葉を忘れてはならないと考えた。
上山は護憲派でもあった。「押しつけ」の経緯は嫌だったが、その内容は人類の平和への意志の集大成と見なし、高く評価した。敗戦から半年もたたない46年1月に新聞へ投稿した「新憲法私案」にも、「軍備の廃止」を明記している。「『GHQよりも先だった』と誇らしげに言っていました」(あゆみさん)
上山春平の大東亜戦争論集は収録論文を入れ替えたりタイトルを変えたりしながら繰り返し刊行されている。左から1964年、72年、2013年の初版刊行=2024年8月21日、鈴木英生撮影
上山は、<大東亜戦争の意味に固執するのは、あの戦争に投入した自らの青春と、失われた戦友たちの生命を、無意味なものと思いたくなかったからだ>とも書いた。
そんな上山は、映画で見た第二次大戦下のポーランドの対独レジスタンスの人々と戦時中の自らを比べたことがある。どちらも自分の命と引き換えに祖国を守る英雄的な行為に、いわば陶酔していた。
ただし、レジスタンスは全体主義の侵略に対する完全に正当な戦いである。他方、日本の特攻は、いわば失敗した侵略の尻拭いだった。
しかも、GHQの占領は比較的寛大で、<私たちが身命を賭して防がねばならぬと決意した国民共通の不幸とはまったく別もの>。ならば戦友たちは「犬死に」か? 違う! 彼らの死の意味をなんとか守りたい上山は、まるで力技の議論をこう組み立てた。
人間は古来、自らの属する集団のために戦い死ぬことを最高の美徳としてきた。が、日本では分のない戦争による大量の戦死者と敗戦により、この常識が大きく揺らいだ。世界でも例外的な事態だ。
「中央公論」1961年9月号に載った「大東亜戦争の思想史的意義」のコピー=2024年8月8日午前9時、鈴木英生撮影
戦後も、米国や旧ソ連が侵略や他国の軍事支配を繰り返したが、日本のような敗戦はしなかった。米ソなどに抗した国では戦死=名誉だった。
つまり、日本は戦争で死ぬ意味を根本から考え得る、人類史上貴重な機会を得た。この経験や憲法9条の意義を踏まえて主権国家や国際社会のあり方を問い直せば、戦争廃絶へと未来を開けないか。これが戦友らの死を無意味にしない唯一の道だ、と。
さて現代。インターネット上などで、大東亜戦争という言葉の是非や、特攻は「犬死に」かといった議論がかまびすしい。だからこそ、当事者の上山が同じ言葉を考え抜いた経緯は「継承」され続けるべきだと改めて思った次第。上山の戦友ら戦死者を真に「犬死に」としないためにも。【オピニオン編集部・鈴木英生】
<※8月24日は休載します。25日のコラムは外信部の鈴木玲子記者が執筆します>