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毎日新聞2024/8/23 東京朝刊861文字
ヘルメット姿で当時の新日本製鉄君津製鉄所工場内を視察する鄧小平副首相(中央)一行=1978年10月26日
半世紀近い歴史を持つ日中の経済協力の象徴的プロジェクトに終止符が打たれる。
日本製鉄が中国の宝山鋼鉄と運営する自動車向け鋼板の合弁事業から撤退する。約2兆円規模の米USスチール買収交渉を進めており、今後は北米とインドに経営資源を集中させる方針だ。
宝山との関係は1978年、当時の最高実力者、鄧小平氏が日本政府に製鉄所建設への協力を要請したことで本格的に始まった。中核を担った日鉄は多くの人材を派遣し、技術を伝えた。日本側には過去の戦争へのしょく罪意識や、中国再興への思いがあった。山崎豊子氏の小説「大地の子」のモデルにもなった。
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中国はその後、改革・開放路線を推進し、2010年には日本をしのぐ世界第2位の経済大国に浮上した。世界最大の人口を抱えていた巨大市場は、日本企業の「ドル箱」となった。自動車需要が拡大する中、日鉄も重要市場と位置づけてきた。
にもかかわらず、合弁解消に踏み切る背景には、複数の事情がうかがえる。一つは新車市場の構造変化だ。電気自動車(EV)の普及に伴って、近年、地場メーカーが台頭し、日鉄の主力顧客である日系自動車各社の販売が急減した。このため、自動車向け鋼板事業の先細りが避けられなくなった。
力関係の変化も影響している。宝山が世界最大手に上り詰めた一方、日鉄は4位に甘んじる。EVなどに使われる電磁鋼板の技術を巡り、日鉄は21年、特許を侵害したとして宝山を訴えた。両社の関係がパートナーから競合相手に変質したことを象徴している。
しかも、中国では景気低迷の中でも過剰生産が続く。鉄鋼価格の世界的な値崩れを招き、米政府は「自国産業の保護」を理由に中国製鋼材に高率関税を課した。日鉄幹部は「中国はかつて大きな機会だったが、今はリスクの方が大きい」と強調する。
米中対立の激化を受け、鉄鋼や半導体など経済安全保障に関わる分野では、先進国企業の「中国離れ」が進む。日本も最大の貿易相手国である中国との関係再構築を迫られている。先人が築いた協力の歴史をどう生かすか。そのための知恵が求められている。