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毎日新聞2024/8/26 東京朝刊有料記事1021文字
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東京都武蔵村山市の住宅街。バス停から少し歩くと、民家の庭先に木造の「小屋」が見えてくる。外の看板には三つの名前が。「PTSDの日本兵と家族の交流館」「村山お茶飲み処」、そして後から加わった「子ども図書室」。
小屋の持ち主は黒井秋夫さん(75)だ。2020年、近所の大工さんに建ててもらった。6畳ほどの広さで、壁一面に本や資料が並ぶ。手狭だが、長椅子もある。
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兵士のPTSD(心的外傷後ストレス障害)について黒井さんが知ったのは9年前。生活協同組合を定年退職し、妻と憧れの世界を巡る船旅に出て、船内でベトナム戦争の帰還兵のドキュメンタリーDVDを見た。戦争体験で心を病み、家族との関係を築けなくなった男性。中国への出征経験があった亡き父と重なり、衝撃を受けた。「無口で笑わなかった父も、戦争で心を壊したのではないか」
戦後生まれの黒井さんは、定職に就かず無気力に見えた父と、心を通わせることができなかったという。遺品のアルバムを探すと、軍服姿の若き父の写真の傍らに、手書きの言葉があった。
「帝国の生命線を死守する軍人僕の姿である」「昭和維新を飾る導士でなければならぬ」
死と隣り合う戦場で植え付けられた使命感と、復員後の日本の価値観。父はそのギャップに苦しんだのかもしれない――。
同じような体験をした同世代とつながりたいと思い、18年に「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」をつくった。だが、活動を始めてすぐ、前立腺がんが再発し、不整脈で心臓の手術も受けた。「このまま死んだら何も残らない」との焦りから、急ごしらえで交流館を建てた。
ところが、予想外に近所の小学生も集まってきた。「お茶とお菓子を用意しています」という軒先の貼り紙につられたらしい。会報作りや交流会の打ち合わせをする横で、お菓子を食べてくつろぐ子どもがいる光景が日常になった。
私が久々に訪れた8月中旬も、常連という中学1年の女子5人がおしゃべりに興じていた。「やかましい!」と黒井さんが一喝しても、笑い声にかき消される。
訪問者は約4年で延べ3000人近くになり、その7~8割が子どもだ。でも、黒井さんから戦争の話をすることはない。「大人になって私や交流館のことを思い出してくれたら、それでいい」
入り口には「戦争はしません。話し合い和解しましょう」と書かれた白旗がはためいている。願いは、きっと子どもたちにも伝わっている。(専門記者)