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毎日新聞2024/11/25 06:00(最終更新 11/25 06:00)有料記事3371文字
酷暑に耐えうる生命とは
気候変動で、異常な酷暑が地球を襲っている。どうやって耐えるか。それを知るには、生き物が温度をコントロールする仕組みを知る必要がある。
東京慈恵医大の一室。ケージの中で、マウスがせわしなく動き回っている。
見た目は通常のマウスだが、全身麻酔をかけると、ある異変が起きる。体温の上昇が止まらなくなってしまうのだ。
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※『神への挑戦 第3部』連載スタート。テーマは気候変動。気温上昇にあらがう科学技術がもたらすのは…。地球沸騰の時代をどう生き抜くべきか考えます。
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悪性高熱症という病気で、遺伝子変異が原因とされる。鈴木団・大阪大准教授(生物物理学)によると、この変異がある個体では、麻酔成分が引き金となって、筋肉で熱を作ることを促す仕組みが止まらなくなり「熱暴走」を起こすという。
山沢徳志子・東京慈恵医大教授(薬理学・生理学)は、変異マウスの暑さへの耐性をみる実験をしている。
変異マウスを閉鎖装置の中に入れて内部の温度を35度に上げ、心電図や体内の温度を調べた。すると、通常のマウスは生存できたが、変異マウスは体温が上がり続け、1時間ほどで死んでしまった。
体温が上がる前に、悪性高熱症の既存薬などを注射すると、体温の上昇が緩やかになった。
質問に答える東京慈恵医大の山沢徳志子教授=東京都港区で2024年10月22日、内藤絵美撮影
つまりこの変異を持つ生き物は、麻酔をかけなくても、もともと暑さへの耐性が低い。ただ、それをコントロールできる可能性もあるというわけだ。
熱中症患者にも、この変異を持つ人がいることが報告されている。悪性高熱症は数万人に1人とされるが、全身麻酔後に初めて判明するため、変異を持つ人はもっと多い可能性がある。
「遺伝子変異があるかを調べられれば、暑さを避ける行動を促す指針を提供できるかもしれない」と山沢さんは語る。
暑さに慣れる仕組み
甲南大の久原篤教授(生体調節学)は、体長1ミリの細長い生物「線虫」を使った実験をしている。
線虫は、暑さに慣れることができる。久原さんによると、15度で育てた後、いきなり31度の高温に置くと線虫は死滅するが、25度で育てた個体は、31度でも生存できる。
どんな仕組みがあるのか。
線虫は温度の変化に慣れる
久原さんらの研究チームは、15度で育てた線虫を25度に置くと、腸の脂質が少なくなることを見つけ、2022年に論文を発表した。体熱をより放出するためだと考えられ、脂肪の量を自ら調節して、高温に「慣れた」と考えられる。
チームは、線虫の中でどんなメカニズムが働いているかを調べた。すると、まず脳が温度の変化を感知し、特定の神経回路によってその情報が全身に伝わり、脂肪の量を調節していたという。
久原さんは「線虫が31度の高温まで生存できることにも、この仕組みが働いている可能性がある」とみる。つまりこの仕組みを解明すれば、生き物が高温に耐えられる手がかりがあるのではないか、というのだ。
久原さんは、線虫の「人工進化」も進めている。
線虫にとっては高温の23度で14年間、1000代以上にわたり飼育を続けており、ヒトの数万年に相当するという。500代目ごろから温度に対する応答に変化が見え始めてきた。
人工進化させる線虫を恒温庫に入れる甲南大の久原篤教授=本人提供
今後、線虫のゲノムを解析し、遺伝子がどのように変化しているかを調べる。「地球温暖化に生命がどのように適応し進化できるのか、予測につながるかもしれない」と久原さんは期待する。
精子や胚に影響も
暑さに関する仕組みを解明できても、すぐにヒトへ応用できるとは限らない。
仕組みが遺伝子に起因する場合、狙った遺伝子を書き換えられるゲノム編集などを使う方法が考えられる。ただ現在は、遺伝性の難病の治療に使う研究が進んでいるだけで、健康な人に適用するのは倫理的なハードルがある。
また、マウスや線虫のようなモデル生物に比べ、ヒトが体温を調節する仕組みは複雑だ。発汗で体温を下げるという、ヒト独自の機能もある。
ヒトの機能を研究している早稲田大の永島計教授(環境生理学)は「暑さに関わる分子レベルの働きの解明が進めば、ヒトが真に暑さに強くなることにつながるかもしれない。ただし体温調節には体全体のバランスが重要だ。調節機能を無理に強化すれば、他の機能に影響が及ぶ可能性もある」と指摘する。
豪州の研究チームが11月に発表した論文によると、雄マウスを熱ストレスにさらし、その精子から作った胚に、通常では見られない変化が生じることが明らかになった。出生には問題がないとみられるが、子どもの健康状態への影響は不明だ。
悪性高熱症の治療薬「ダントロレン」=東京都港区で2024年10月22日、内藤絵美撮影
それでも、薬やサプリなどを活用し、一時的に暑さに耐える機能を高めることは可能かもしれない。
久原さんは、線虫の神経回路にある「Gたんぱく質共役受容体」(GPCR)というセンサーの一種が、温度への慣れを制御している可能性があることを見つけた。
GPCRは、ヒトを含めさまざまな生き物の細胞の表面にあり、細胞が外からの情報を受け取るセンサーの役割を担っている。この性質と構造の発見は、12年のノーベル化学賞の対象になった。
GPCRに働く既存の薬は、すでに多くある。温度への慣れに関わるGPCRがヒトにもあれば、これに作用する薬が作れる可能性があると、久原さんはみる。
「高齢や病気で発汗機能が落ちたり、暑い中働かなければいけなかったりする人が摂取し、真夏に耐えられるような緩やかな薬ができれば」と話す。
ゲノム編集で害虫根絶
酷暑がもたらす別の脅威が、熱帯の生き物による被害だ。マラリアを媒介する蚊などが生息域を広げている。どう対処するか。
「国境なき医師団」が開設した小児専用のマラリアの医療施設。重篤な患者から回復期の患者までがそれぞれの病状に分けられてテント内に入院している=ナイジェリア・ボルノ州マイドゥグリで2019年9月27日、山崎一輝撮影
近年、注目されるのが「遺伝子ドライブ」という手法だ。人為的に組み込んだ特定の遺伝子を、その種全体に広げることを指す。例えば、不妊遺伝子を組み込み、種全体を不妊にして子孫を残せないようにする、などだ。
ただ、普通に組み込むだけでは、交配を繰り返す中で改変の効果が消えるケースもあり、なかなか種全体には広がらない。
ところがゲノム編集の登場で、この技術が大きく進んだ。ゲノム編集のツール自体を遺伝子に組み込み、生まれた子どもは必ずその遺伝子が改変されるように設計するのだ。
この手法を使うと、非常に少ない世代交代で、種全体に改変を行き渡らせられる。
米国の「MITテクノロジーレビュー」誌は今年2月、ウルグアイの研究チームが2、3年以内に、遺伝子ドライブを使った野外実験を目指していると報じた。
中南米では、牛に卵を産み付けるラセンウジバエの被害が深刻化している。ふ化した幼虫が牛の肉を食べ、牛は死んでしまうからだ。チームは、遺伝子ドライブで不妊化をもたらすラセンウジバエの集団を野生に放ち、根絶させるねらいだ。
遺伝子組み換え実験の安全管理に詳しい広島大の田中伸和教授(分子生物学)は「殺虫剤を使うよりも効率的で持続的な手法だ。哺乳類であるマウスでも使えることが知られ、生物兵器にもなり得る」と話す。
ハマダラ蚊の雌の成虫=山本大介・自治医大准教授提供
マラリアを媒介するハマダラ蚊が、媒介できないようにしたり、そもそも人を刺さないようにしたりする遺伝子を見つける研究も進む。
蚊の吸血メカニズムに詳しい山本大介・自治医大准教授(寄生虫学)は、原虫の媒介に欠かせない蚊の唾液を作らせないようにする遺伝子の解明などを目指している。「マラリアは日本でも患者が報告されており、温暖化で生息域が拡大すれば流行する土壌はある」と対策の必要性を強調する。
元に戻せぬリスク
ただ、遺伝子ドライブは大きなリスクもはらむ。一度屋外に放せば、不可逆的にゲノム編集が進み元には戻せないリスクがあるためだ。
さらに、改変した生き物が他国に入り込み、国際問題になる懸念もある。米国立衛生研究所(NIH)は米国内での野外実験を禁じている。
関西大の藤木篤准教授(科学技術倫理)は、遺伝子ドライブに関する国際的なルールが必要と訴え、こう強調する。
「環境中から特定の生き物だけを取り除いて、生態系にどんな影響がいつ出るのか、全く予測できない。人が生き物の進化を操作し、自然を思い通りに改変するという、自然との向き合い方が大きく変わる技術をどう使うのか、安易に目先の利益だけで判断するのは危険だ」