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毎日新聞2024/11/28 05:21(最終更新 11/28 05:21)有料記事2594文字
インタビューに答える法政大前総長の田中優子さん=東京都千代田区で2024年10月25日、宮間俊樹撮影
気候変動の背景には、産業革命後の人間が抱いた果てしない欲望がある――。一方、人々が工夫をこらして持続可能な循環型社会を築いていたのが江戸時代だ。江戸文化の研究者で前法政大学総長の田中優子さんに、問題解決の手がかりを聞いた。【聞き手・寺町六花】
同時公開の記事があります。
◇AIが電力を食いつぶす 人間のあくなき欲望、社会や科学が向かう先は
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――気候変動の現状をどう見ていますか。
◆急に起きたことだとは思っていません。第二次世界大戦後にスピードが速まったということはあるかもしれませんが、産業革命以降に徐々に作られてきた人間の根本的な考え方や行動の結果だと思います。
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――産業革命とはどのような転換点だったのでしょうか。
◆一つ目は蒸気機関の発明です。列車が長距離を走るようになり、自然の力に頼らずに船が海を渡ることができるようになりました。重要なのは、蒸気機関の発明とともに、人間が拡大を求めたことです。
それが二つ目の転換点である植民地化です。英国とインドの関係が典型的でしょう。インドはかつて綿花を栽培し、国土の中で非常に高品質の綿織物を作って輸出していました。そこに入ってきた英国は、綿花をインドに安く生産させて英国に持ち帰り、蒸気機関を用いた機械がある工場で大量生産します。安い値段の綿織物をインドに逆輸出し、インドの織物産業を壊滅させました。
相手を弱らせて支配するのが植民地化の常とう手段です。産業革命とともに、他の土地に行って奪うということが、人間の有りようとして定着してしまいました。
奪い合いが起こした植民地化のために、どんどん機械化や武器の開発が進んだことで、二酸化炭素も排出されます。こうして、最大の環境破壊である戦争につながったのです。日本もまた開国を迫られ、世界の競争に巻き込まれることになりました。私が専門とする江戸時代までの社会とは全く違う社会になりました。
インタビューに答える法政大前総長の田中優子さん=東京都千代田区で2024年10月25日、宮間俊樹撮影
――江戸時代はどのような社会だったのですか。
◆江戸時代の人々は自分の足元を見ていました。1690年に来日したケンペルというドイツ人は、日本は金銀銅や陶磁器の材料が豊富で、織物や紙すきの技術も高く、穀物や魚もとれ、ありとあらゆる物があると著書に書き残しています。食料自給率は100%で、燃料も基本的には木材でした。江戸時代の初期には大量伐採もあったのですが、その後は木を切ったら植林をし、山を守っていました。各地域が特性を生かし、米や野菜、綿花などを生産していたのです。
江戸時代は自分たちが使える土地の範囲で、土や肥料の特性を考えて農業をしていました。江戸には人の排せつ物を回収して肥料にする下肥問屋がおり、お金が回る仕組みができていました。丈夫な和紙をすき返して再び和紙にし、着物は糸をほどいて布を再利用し、徹底的に使い尽くしました。捨てるものは何もないという考え方でした。
開発や工夫というのは本来、制限があるからやることです。産業革命以降、使える資源は無限なのだという幻想が人々の間に生まれてしまいました。
――具体的に今の社会にはどのような転換が必要でしょうか。
◆まずは今ある自分の国土の中で、どのような開発ができるかという価値観を作っていくことだと思います。日本は石油の輸入や原子力発電に頼っていますが、輸入ができなくなった時のことや、地震が多いという危険もあります。
参考にできるのがニュージーランドです。太陽光や水力、風力に加え、地熱発電でエネルギーの多くを賄っており、火山大国である日本にもできるはずです。また、日本は米どころですが、最近は米からバイオマスのプラスチック製品を作る技術も進んでいます。こうした研究に資金や人を投入すべきではないでしょうか。
――個人の行動を変えることは難しさもありそうです。
インタビューに答える法政大前総長の田中優子さん=東京都千代田区で2024年10月25日、宮間俊樹撮影
◆いま人々にあるのは、お金に対する漠然とした不安だと思います。自己責任の価値観が強く、お金がないと人や社会は誰も助けてくれないという考え方が広がってしまい、不安を引き起こすのだと思います。もちろん明日のパンを買うためのお金は大事ですが、お金とは何か、何を買うことができ、買えないのかを突き詰めて考える必要があるでしょう。お金があったとしても、食べ物やエネルギーはなくなってしまえば、手に入れることができないのです。
価格の安さの背景で、誰かが搾取されている可能性もあります。安い輸入木材に頼り続けた結果、日本の山は手入れされなくなり、回復が難しくなっています。物に対する敬意がなくなり、お金に目をくらまされている限り、この気候変動問題は解決できないと思います。
大企業が変わっていくことは難しいかもしれません。でも、持続可能な社会の実現を目指す小さな企業が組合のように支え合う動きは始まっています。そうした取り組みを進める企業の商品を買ったり、株主になったりと、市民が応援する意識がすごく大事になります。応援が社会を変えることにつながるのです。
――科学技術はどうあるべきでしょうか。
◆人為的に地球を冷やしたりする技術は、数年間は効き目があったとしても、やはり一時しのぎだと思います。他の星へ移住することも、結局は産業革命後のフロンティア精神と同じ構図です。今度は宇宙空間で各国が競争し、戦争が繰り返されるのではないでしょうか。地球の温度を下げるためのエネルギーをどこで得るのかという問題もあります。人間の欲望には終わりがありません。
気候変動は弱い立場の途上国にだけ影響するように見えますが、自分たちも同じ状況になるかもしれません。弱い立場に押しつけたつもりが、結局はこちらに戻ってくる問題で、地球全体で解決するしかないのです。
足元を見つめ直し、そこにある資源を最大限に生かす方向に科学技術を使うという考え方があってもよいのではないでしょうか。
法政大前総長の田中優子さん=東京都千代田区で2024年10月25日、宮間俊樹撮影
たなか・ゆうこ
1952年横浜市生まれ。法政大大学院博士課程単位取得満期退学。同大教授、社会学部長を経て2014~21年に総長。現在は同大名誉教授、同大江戸東京研究センター特任教授。専門は日本近世文学、江戸文化、アジア比較文化。05年に紫綬褒章。著書に「江戸の想像力」(ちくま学芸文庫)など。23年までコラム「江戸から見ると」を毎日新聞夕刊で連載。